フランシスは最初の無言無表情から一転して優しい笑顔を見せると、彼女の右手を下から掬い上げてその甲に口づけた。

フランシス

叔父上の若い細君の噂は、王宮内の大きな話題の一つですよ。叔母上、お目に掛かれるのを楽しみにしておりました。しかし、これほどお美しい方だったとは。叔父上もお人が悪い。屋敷の奥に隠されていては勿体ないですよ

フランシスは、シャルロットの手を名残惜しそうに離した。

彼の肩を、リチャードはポンポンと叩いて歩き出す。行き先は晩餐の間だ。

外は宵闇が漂い始めている。


どちらも高い上背があるので、並んで歩く姿も様になっていた。シャルロットは後ろからついて歩く。

フランシスが妻帯者であればシャルロットの横には王太子妃がいることになるが、彼はまだ婚約もしていない。

リチャード

美しい妻を得ると、自慢したくて人に見せる者と、隠したくなる者とに分かれるのではないかね。私は隠したい方だ

フランシス

叔父上らしい。宝物は常に懐に隠される。外に出されるときは、最高の時と場を用意されるのでしょう?

リチャード

そういうことだ。そろそろ社交界へ出さなくてはならんだろうが、心配だな

フランシス

心配されるお気持ちは分かりますよ。叔母上を攫いたくなる者は大勢出るでしょうね。本当に……抱えて走りたいくらいですよ

冗談めかして言い、フランシスはちらりと後ろへ視線を投げて寄越す。
リチャードは鷹揚に笑った。


シャルロットは、向けられたフランシスの微笑に狼狽えた。

先ほどの妖しい笑みと同じ違和感を覚える。

シャルロット

……フランシス様は、以前となんだか違う? 大学にいらっしゃったときは、もっとおおらかに笑っておられたと思うけど。でも、王太子殿下になられるまでが大変なら、そのあとも順風漫歩とはいえないとリチャード様が話しておられた。そのせいかもしれないわね

次男を飛ばして三男が王太子になるには、国王の指名と議会の承認が必要だった。

国王はともかく、王弟のリチャードが強硬にフランシスを押して、議会での議論を引っ張ったそうだ。

フランシスにとってリチャードは、叔父であり、最大の後見者でもある。

ところが、決定しても騒ぎは終わらなかった。

次男のサミエル王子が王太子に指名されなかったのは、あまりにも放蕩を繰り返したからだという。

ただ、権力争いには、放蕩など些細な理由でしかなく、あちら側の勢力とは今もって陰に日向にぶつかりあっているようだ。

リチャードの話では、フランシスの暗殺騒ぎまで起きているという。

シャルロット

フランシス様は、次期国王に相応しいお方だと思うけれど、簡単にはいかないのね……

明るく前向きで、勉学に勤しんでいた大学での彼の姿が脳裏を過る。

友人も多かった。周囲の者たちを引っ張る力もある。国の未来についても大いに語っていた。

シャルロットはリチャードとフランシスの背中を見つめる。

経験も豊富で財力も力もある年配の紳士と、これから先どんどん伸びそうな若い貴公子の二人の背中は、年齢的な差こそあれ、どちらも男性としての魅力に溢れていた。

そして晩餐が始まる。


晩餐では、男性二人の会話を興味深く聞いた。
料理長が腕をふるった料理も美味しい。軽いお酒しか飲めなくても、楽しいひとときだった。

夜も更けてから、フランシスは見た目にも分かるほど上機嫌で王宮へ戻って行く。

馬車が表玄関から離れてゆくのをリチャードと連れ立って見送った。
隣に立つリチャードが遠ざかる馬車を眺めながらシャルロットに問う。

リチャード

彼をどう思ったかね?

シャルロット

……とても素敵な方だと思いました。ご立派な国王陛下になられますね、きっと

リチャード

そうだな。ただ、まだ結婚相手が見つからない。そろそろ婚約の一つもしないと、後ろ盾の力が不足するときに困ることになる

ぎくりとしてリチャードを見上げる。

心臓に問題のあるリチャードは、長く生きられないと、すでに説明されていた。


鋼のような夫はシャルロットを眺めて柔らかく笑う。

リチャードは彼女の肩を緩く抱くと、共に歩いて屋敷の中に入った。

その夜から、フランシスはカリィ家の屋敷をたびたび訪れるようになる。


王宮では話せないことを相談したり、気晴らしを兼ねてリチャードとチェスの勝負をしたり、楽しく有意義な時間を過ごしているように見えた。

盤上の戦いには、ときおりシャルロットも参戦するが、悔しいことにフランシスには一度も勝てたことがない。




季節は晩夏から秋、そして冬へと移る。

五十一歳になったリチャードは、気温が下がってくるのが堪えるようで、ベッドに横になることが多くなった。

シャルロットは心配で仕方がない。
昼間はできる限りリチャードの部屋で過ごす。

生誕祭も過ぎて、年も明け、水温む春が近づく。

シャルロットは十九歳になり、フランシスは二十二歳になった。

思わず口元に微笑を浮かべたシャルロットは、駒を進めるために手を宙に浮かせる。

フランシスとの盤上の戦いは、次の一手で終了するはずだ。

シャルロット

E―5ビショップ、チェック

軽やかな声がリチャードの寝室に流れ、同時に細い指先が駒を動かした。

袖にあしらわれた繊細なレースが、開け放たれた窓から入る初春の風に乗ってふわりと揺れる。


ゲーム中の緊張から満足な結果へたどり着いたことで、シャルロットは気持ちが高揚するのを抑えきれない。

――あぁ、とうとうこれでフランシス様に勝てた……。

……かな?

満面の笑みで顔を上げた彼女は、ゲーム盤を載せた小ぶりのローテーブルの向こうで、一人用肘掛け椅子に座ったフランシスがとてつもなく真剣なまなざしを彼女に向けているのに気が付いた。


どきりとする。
フランシスはたまにこういう〈人を切り裂くような眼〉を彼女に向けてきた。

大学都市ベルンで笑いあって過ごしたフランシスから寄越されたことのない視線は、彼女に言い知れぬ不安を呼び起こす。身震いがでそうだ。

ところが、それはいつも一瞬で終わる。
すぐに彼はニコリと微笑を浮かべ目を細めた。


緊張から緩和へ移動すると、自分が熱を帯びてとろりと蕩けるようにも感じられて、シャルロットはいつも戸惑ってしまう。

シャルロット

フランシス様、あの、なにか

フランシス

この巧手は、今考えられたものですか? 叔母上

シャルロット

え……?

眩しいようなフランシスの金髪がさらりと揺れる。

急激に膨らんでくるいたたまれなさを抱えながら、シャルロットは完成した盤へ目線を下げた。


盤上の駒の状態を見つめ、ここへ行きつくまでの動きを思い起こしてゆく。

百手前までも脳内で再現させながら、みるみるその作業に集中していった。


こうなると彼女の感覚も意識もすべてが一点に向かい、周囲の状況は遠ざかってしまう。
昔から本を読むときや考えごとに没頭するときは、近くで何か言われても知覚できないという困った癖がある。
今もまさにその状態だ。


シャルロットが怖いと感じるきつい視線で、フランシスが再びこちらを凝視しているのも気が付かない。

――わたしが仕掛けたこの手……。
そう、そうだわ、ベルンでやったのと同じ手じゃないかしら……っ。な、なんてこと。

二年以上も前だ。

そのときは、フランシスにどうしても負けたくなくて、一晩待ってもらって考えた結果の指し手だった。

彼は緩やかに笑って《よくやった》と言ってくれたが、覚えていたということだろうか。

どきどきと早まる鼓動が収まらない。

顔が上げられなくなってしまった――と、突然、咳込む声が耳に入る。

リチャード

ごほっ、ごほっ……

はっとして顔を上げたシャルロットは、慌てて椅子から立ち上がる。

ドレスのための女性用の椅子とローテーブル、フランシスが腰を掛ける対面の肘掛け椅子は、天蓋付きの豪奢なベッドの横にセッティングされている。

ベッドで横になっているのは、一日のほとんどを寝込むようになったリチャードだ。

叔父の体調を心配するフランシスは、カリィ公爵邸を訪れる頻度を高くしている。

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