序章

まだ十代の若き公爵夫人シャルロット・ディ・カリィは、王都屋敷の女主人用衣装室にある姿見をつぶさに眺めた。

鏡が映しているのは、晩餐会に相応しい豪華なドレスを纏う貴婦人の姿だ。

金褐色の髪と、ほぼ同色の瞳の色。
真剣そのものの表情が華美なドレスにそぐわない感じがして、緊張しているのが自分でも見て取れた。
それを解すために、微笑んでみる。

――にこ……っとね。にこ……っと。
……家庭教師の先生が《微笑は武器になります》と言われていたけど、本当にそうかも。自分を隠すためにも使えるわね。

結婚をしているので髪はきっちり結われているが、頬の両脇を流れる二房と前髪は綺麗なウェーブを描いて彼女の若々しさを示している。

派手なドレスよりも可愛らしいものが似合うと夫リチャードに言われていたが、今夜は大人の雰囲気を持ったものを用意するよう衣装係の侍女たちにお願いした。

シャルロット

これなら公爵夫人らしく見えると思うけど……。どうかしら?

着付けられたのは、古典柄で地紋の入った朱色のドレスだ。
半透明の白いジョーゼットと繊細なレースがふんだんにあしらわれ、主張が激しいわりに品がよい。

夜のドレスらしく襟元も背中も広く開いているから、彼女の白い肌がより美しく強調されていた。

これだけ開いていても、残暑の熱が夜にも残っているから寒くはない。

確かに大人っぽいドレスだ。
首回りを飾るネックレスの宝石類や、幾つも嵌めた指輪の豪奢な感じが、カリィ公爵家の財力を物語っている。


まさに公爵夫人! ……と思うのだが。

鏡を見ていた彼女が振り返って問いかければ、侍女たちが澱みなく答えてくれる。

侍女

はい。奥様。大変お美しゅうございます

侍女

このドレスですと、お腰の細さがいつもより目立ちますね。公爵様も、きっと目を細められてたくさんお褒めくださいますよ

シャルロットの唇に、今度は自然な笑みが溢れる。


二年前に結婚した相手、リチャード・ディ・カリィは、シャルロットよりも三十二歳年上だ。

この年齢差では親子といってもいいほどで、実際、父親と娘のようなやり取りも多い。

リチャードは、カノーファ王国の現国王の弟にあたる。王弟殿下だ。

侍女

フランシス殿下も驚かれますでしょう。奥様は宮廷の社交場にはお出になられませんし、ご結婚当時、殿下は大学にいらっしゃっいました。殿下にお逢いになるのは初めてでいらっしゃるのではありませんか?

にこにこと笑う若い侍女は、先日正式に王太子となったフランシス・オブ・カノーファが、カリィ公爵家の晩餐にやって来ると伝えられたときに大喜びをした一人だ。


招待客は彼だけと聞いている。主賓だ。

見目麗しく聡明で明るいと評判のフランシス王太子殿下は、シャルロットよりも三歳上で、今年二十一歳になる。

リチャードの甥だから、シャルロットにとっても甥だ。フランシスからみれば彼女は年下の叔母になる。

年齢差があるからという理由で、シャルロットとリチャードは大仰な結婚式はせず、公爵家の敷地内にある聖堂で、神父の前に二人だけで立った。

親族の顔合わせも、リチャードの兄君となる国王陛下に、王宮でひっそりと逢ったのみだ。

シャルロット

初めてお逢いする……そうね

わずかな戸惑いを見せながら、シャルロットは再び鏡に目を向けた。

二年前は小柄で細くて少年のようだった彼女は、十八歳の今、相変わらず平均身長より低いとはいえ、どこからどう見てもちゃんとした女性に見える。

――フランシス様は、すごく敏い方だわ……。
でも、これなら分からないわよね。
これほど女性的なドレスで、髪型もまったく違うもの。身長もあのころより少しくらいは伸びていると思うし、多少は肉付きもよくなっているし。

シャルロットには、公に出せない秘密があった。


結婚してすぐに、リチャードにお願いして大学都市ベルンで半年の大学生活を経験した。十六歳のときだ。


周囲に都市を形成できるほど大きなベルン大学とはいえ、女性には門戸を開いていない。


シャルロットは男装をして、シャルル・シーモアという少年の名で半年の間、大学に通った。
下宿先は、リチャードが懇意にしているブラウン教授の家だ。


宮廷社交界では、付添い人もなしで未婚の女性が出歩くことを許さない。
未婚の女性は〈屋敷の奥で結婚のための自分磨きをすること〉というのが貴族家の女性観だ。


既婚者でも外へ出るときは侍女と従僕が必須なのに、シャルロットはその条件を満たさず、男性主体の大学都市に男装して半年も一人でいた。

外に漏れれば、どれほどの醜聞になることか。王宮社交界では嘲笑の的になるだろう。


大学生活は素晴らしいものだったけれど、誰にも話さない方がいいとリチャードには注意されている。


彼女は大学都市でフランシスに出逢った。

――あのときは、髪を切っていたわ。

殿下にはすごくお世話になったのに、何も話さず半年で消えてしまった。きっとお怒りになったでしょうね。

シャルロットからすると、先輩であり学友でもあるフランシスには、ずいぶん面倒を見てもらった。

たくさん議論をして遊びもした。

女だったとは、見抜かれていないはずだ。

――〈男装〉だと分かれば、指摘されているはずよ。
花嫁修業ばかりの寄宿女学院と違って、一般教養と専門を学ぶ大学に、女性は入れないんだもの。

女だと知られれば即時退学だ。

リチャードが学長へ申し入れて、半年の留学扱いになっていた。

学長も了解の上だったとはいえ、規則を曲げていたから誰が知っても快く思わないだろう。
フランシスであっても。

――〈シャルル〉は女の子だった……なんて、最後まで分からなかったはず。

誰かに同意を求めるわけにもいかず、彼女は微かにうんうんと頷いて自己確認した。
鏡に映る貴婦人然とした自分も頷いている。


何気に優雅さが漂うのは、シャルロットが小柄ながらも大層、美しいからだが、本人にその自覚はない。


二年前の男装時には前髪を額に垂らして切り下げ、後ろ髪を襟足辺りで真っ直ぐに切りそろえた髪型にしていた。いわゆる〈ボブスタイル〉だ。

髪は二年の間にそれなりに伸びて、肩先から少々下がるくらいになっている。


今夜は、両頬の横側にある髪を、コテをあてて巻き加減を深くした。
顔の造りは変えようもないが、化粧をしているから多少は違って見えるだろう。

――これなら〈シャルル〉とシャルロットが同一人物だと分からないわ。

……そうよね? ね? ……誰か大丈夫だって言ってくれないかな……。

鏡を見てどれほど心の中で確認しようとも、心配は拭えない。

大学時代のフランシスは第三王子だった。
王位からは遠く、自由に学生時代を謳歌していた。


おおらかで友人も多く、勉学にも励んでいた彼は、たまたま出逢った〈シャルル〉という少年のおぼつかなさを助けられるような懐の深さまであった。

〈シャルル〉が消えて一年後くらいに、当時王太子であった長兄が急死して、フランシスは大学都市から王宮へ呼び戻された。


国葬が終わったあと、国王陛下が第二王子のサミエル殿下を飛ばしてフランシスを王太子に指名したことにより、王宮内も貴族で構成される貴族院も大騒ぎになった。

彼女は社交界へほとんど出ていないので、そういった話はすべて夫からのものだ。

それもようやく決着がついて、フランシスは正式に王太子になった。次期国王だ。

今夜はその祝いを兼ねて、カリィ公爵家の晩餐に主賓として彼を招いている。



祝いの席である以上、普段は表舞台から切り離されているシャルロットも、公爵家の女主人という立場で同席しなくてはならない。


王太子の指名で半年ほど揉めているから、大学都市から〈シャルル〉が消えて、一年半過ぎての再会だ。

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