僕のはじめての生徒会室占いは、小吉だった。

いかにも僕にふさわしい結果だなあ、と、ドアの隙間から無人の部屋を見て思う。


それにしてもすごい部屋だ。

床一面が毛足の長い緋色の絨毯(じゅうたん)敷き、手前にはガラステーブルに瀟洒(しょうしゃ)なソファの応接セット。
天井にはシャンデリアが当たり前みたいな顔してぶらさがっている。

壁際に並んだ書棚は葡萄(ぶどう)の蔓(つる)の彫刻が施された重厚なもので、奥には社長室にあるような執務机が三つ、たっぷり間隔をあけて置かれている。


その背後の壁には、まったく同じつくりの黒檀(こくたん)のドアが五枚。

設備がどこもかしこも豪勢な白樹台学園だったが、この生徒会室はとびっきりだった。
金が余ってるのか。

僕みたいな落ちこぼれ寸前にも奨学金出してくれるくらいだもんな。

牧村ひかげ

失礼します……

おそるおそる小声で言って、部屋に入った。


静かだった。
まったく人の気配がしない。

右手の窓からいっぱいに西陽が差し込んで、野球部だかソフトボール部だかの練習している声や音が聞こえてきて、いっそう静寂を引き立たせている。


でも、聖橋キリカはまず間違いなく生徒会室奥の会計室にいると聞いている。
デスクを迂回して五枚の扉に近づく。
それぞれプレートが埋め込まれている。
いちばん右の扉から、こうだ。


《広報》
《副会長》
《会長》
《書記》
《会計》


役員それぞれに個室があるのかよ。

そんなに金があるなら寮もぜんぶ個室にしてくれれば、僕が不当にうらやまれなくてすむのに。

左端の扉をノックした。

─だれ

少しかすれ気味の、女の子の声が中から聞こえてきた。

牧村ひかげ

……ええと。同じクラスの牧村だけど

なに

生まれてこのかた二文字より長い単語をしゃべったことがないみたいな、ぶっきらぼうな口調だった。

これは千早先生がめんどくさがるのもわかる。

牧村ひかげ

千早先生に言われてきたんだ。提出するプリント色々たまってるから

いい

なにがどういいんだ。
要らないって意味か?
要らないとかそういう問題じゃないぞ?


僕はだんだん腹が立ってきた。

牧村ひかげ

選択授業とか決めなきゃいけないんだよ?
出さないと先生たちだって困る

わたしは困らない

三文字以上しゃべったと思ったらこれだよ!

牧村ひかげ

僕だって困るんだよ、千早先生に変な脅され方してて

じゃあ、あなたが勝手に書いて出せば

僕は扉の前にへたり込んだ。なんだそれ。

選択授業なんてどれでもいいからてきとうに選んで

本気で言ってんのかよ?

牧村ひかげ

……あのさ、僕は編入生だからこの学校のこと全然知らないんだよ。うちは普通科だから選択授業むちゃくちゃ多いし

べつにどうでもいい。どうせ授業出ないから

僕はため息を吐き散らす。

なるほど、教師たちにも完全にあきらめられているレベルの問題児だったわけだ。
なんで退学にならないんだろう。

牧村ひかげ

授業出ないのに、なんで学校きてんの?

と思わず訊いてしまう。

八億円

牧村ひかげ

……え?

昨年度の生徒会予算。八億円

僕はちょっと耳を疑った。


八億円?


ガキが振り分けてガキが遣う金額が、八億円だと?


しかし、冷静に生徒数で割ってみると、一人あたり十万円。
僕みたいな奨学生以外は学費をしこたま取られているだろうし、あり得る……のか?
いや、それで、いったいなんの話だ?

ここなら、お金たくさん動かせる。
お金動かすの好きだから

牧村ひかげ

はあ……

柔らかい絨毯に尻をついて、僕は間抜けな声を吐き出した。
《会計》と書かれたドアプレートを見上げる。
なるほど、生徒会の会計。


しかし、考えてみれば、僕よりもずっとましな理由じゃないか?
僕なんて家から逃げるためにここにきたのだ。
白樹台じゃなくても、どこでもよかった。
それこそ中卒で就職しちゃう選択肢だってなくはなかった。


ひるがえって、彼女には明確にこの白樹台でなくてはならない理由がある。

牧村ひかげ

楽しいの? それって

金を動かすのが好きという感覚はまったく僕の想像の枠外だったので、訊いてみた。

……え……?

ドア越しに、明らかに戸惑いを含んだ声が返ってきた。

牧村ひかげ

いや、億なんて金額、自分の金じゃなくても見たこともないからさ。どういう感覚なのかなって

なんでそんなこと訊くの

あらためて訊き返されるとこっちも困る。

牧村ひかげ

ただの好奇心だけど

そんなこと訊くの、あなたがはじめて

牧村ひかげ

そうなの?

だってみんな、お金が好きなのか、そんなののために学校にきてるのか、って変な目で見るから

そりゃそうだろうけど。

牧村ひかげ

僕なんて、親の顔見たくないから寮で暮らそうって思ってこの学校に入ったんだよ。それに比べれば、なんていうか、ううん、はっきりしてていいんじゃないの

というか、全校生徒を見渡してみても、そこまで明確に『白樹台にいなければいけない理由』を持っている人間は他にいないんじゃないか。

みたいなことを言ってみると、ドア越しの声は

ん、……そう……?

と、なんだかもどかしげになる。


それから、くすぐったい沈黙が訪れる。


なにしにきたんだ僕は。
そうだ提出プリントだ。
気づかないうちに落っことして絨毯の上に散らばっていたプリントをまとめて拾う。


自分から話をそらしてしまったので、どう声をかけていいか迷っていると、ノブの回る音がした。
驚いて顔を上げる。


黒檀のドアが細く開いた。
少し灰色がかった黒い髪がまずのぞく。
それからドアの端にかけられた指。
やがて顔が半分だけ出てくる。

牧村ひかげ

あー……ええと

僕がまだ言葉を絞り込めないでいると、彼女は左手を差し出してきた。
ボールペンが握られている。


よくわからないまま受け取ったとき、はじめて、彼女のブレザーが二の腕までずり落ちていることと、首に紺色の帯を巻いていることに気づいた。
だぶついたマフラーみたいに、あごの先を隠している。


人語をしゃべれるくせに人がきらいな猫。
そんな印象だった。
眼が、とくにそうだ。
冷たくて無表情なのに、惹きつけられる。

聖橋キリカ

書いて

と彼女は言った。

牧村ひかげ

え……あ、ああ

僕は手元のプリント類に目を落とし、またすぐに顔を上げた。

牧村ひかげ

いや、だから、選択授業決めてよ

聖橋キリカ

一緒でいい

牧村ひかげ

え?

聖橋キリカ

どうせ授業出ないから。……あなたと一緒でいい

僕はしばらく呆然として彼女の顔を見つめてしまう。
それは、楽でいいけど。……いいの?
彼女が身を引っ込めてドアを閉めようとするので、僕は我に返った。

牧村ひかげ

あ、ちょ、ちょっと待って、あと進路アンケート!

五ミリくらいの隙間だけ残してドアの動きが止まる。
猫の眼が闇の筋の真ん中に浮かんでいる。

聖橋キリカ

……進路?

牧村ひかげ

どこの大学行きたいのか、とか

聖橋キリカ

どこにも

僕は頭を掻(か)いた。
言うと思った。
それじゃ困る。

聖橋キリカ

生徒会室

と彼女はつぶやいた。

牧村ひかげ

え?

聖橋キリカ

わたしが居たいのは、生徒会室だけ。
だから、そう書いておいて

隙間が閉じた。


それっきり、いくら待ってみても、物音ひとつしなかった。
僕はしばらくプリントとボールペンを手に途方に暮れていたけれど、しかたなくデスクのひとつを借りて、彼女の言ったとおりに必要事項を埋めていった。


選択授業はまだいい。
僕とみんな一緒ということで単位も足りている。


第一志望、生徒会室、だって。
馬鹿か。
千早先生になんて言われるだろう。


でも、僕の進路じゃないし。
彼女がそう言ったんだから、その通り書くしかない。
その先は僕には関係ない。


入り口の扉に向かう僕の足取りは、来たときよりもだいぶ軽くなっていた。

最初は二文字しかしゃべらなかったやつと、最後にはどうにかこうにか会話できたのだ。
まずまず気分がよかった。

やればできるのかな。
クラスメイトとも、もうちょっと積極的に話をしてみようか……


ノブを握った瞬間、扉が廊下側にものすごい力で引かれ、僕はつんのめった。

天王寺狐徹

おっと

だれかの腕に肩を支えられる。
身体を立て直して視線を上げると、切れ長の鋭い眼にぶつかった。


制服を着た、すらりとした長身の女だった。
長い濡れ羽色の髪を二つに束ねて垂らしている。
その眼が猛禽(もうきん)みたいに細められる。

天王寺狐徹

なんだ、帰るところか。なんの用事か知らないけど、あたしが戻るのがぎりぎり間に合うなんて運がいいじゃないか

とその女は言った。
大凶─死ぬと思え─というクラスメイトの言葉が頭を巡った。


その女の腕章には、そのときは気づきもしなかった。

だいいち、狐徹、という生徒会長の名前だけを聞いたときには、僕は当然ながら男の名前だと思ったはずなのだ。

にもかかわらず、その女が生徒会長であることが直感できた。

つまり、僕が感じていたのはこういうことだ。


ああ、こいつライオンだ、食い殺される。


女は牙をむいた。
でもそれは僕の喉に食らいつくためではなく、笑っただけだった。
彼女の視線は、僕が握っていたプリント類に注がれていたのだ。

天王寺狐徹

第一志望、生徒会室か。なるほどわかった。うちは慢性的に人手不足だ

牧村ひかげ

……え、えええっ?

女の指が僕の両肩に痛いほど食い込んだ。

天王寺狐徹

総務執行部はきみを歓迎する

牧村ひかげ

い、いえ? けっこうです歓迎しないでください

思わず変なことを口走る僕。
会長の手が重く両肩にのしかかる。

牧村ひかげ

それにあの、勘違いされてるみたいだけど、その

天王寺狐徹

勘違い?

彼女の眉が寄る。

天王寺狐徹

きみはOCS1‐F(高等部普通科一年F組)の牧村ヒトデ、本年度編入生で高等部第三寮住まいで、洗面所の電灯が切れかけているが身長が足りずに交換できないでいて、区立第四中学校に在学中は帰宅部で、この学校では力強い人間関係をつくりたいと思ってこの生徒会室に来たんだろう? どこがどう勘違いなんだ

僕は口を半開きにして一瞬固まる。

牧村ひかげ

……あ、え、ええと? なんでそこまで知って……あ、いや、その、下の名前と、生徒会室に来た理由だけは全然ちがいますけど……

クラスや名字はおろか、寮の部屋のことや中学時代のことまで、どうして。

天王寺狐徹

生徒のことを憶えていないようでは生徒会長はつとまらない

僕はそのときは、たぶん数少ない編入生だからチェックしていたんだろうな、くらいにしか考えていなかった。
天王寺狐徹を完全に見くびっていたわけだ。

天王寺狐徹

あたしの記憶ではきみは放課後まったくひまなはずだ

牧村ひかげ

え、ええまあ……

帰宅部を続けるつもりだったけど。

天王寺狐徹

友人も一人もいないしクラスメイトにすら自分から話しかけられない、そんなみじめなきみを総務執行部は全力で歓迎するよ

余計なお世話だよ!

牧村ひかげ

失礼します

と言ってさっさと生徒会室を逃げ出した。

僕の脳みそのキャパシティはもういっぱいいっぱいだった。
あの聖橋キリカに続いて、あの天王寺狐徹である。

生徒会室には今後一切近づかないようにしよう、と決意する。

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