栗毛の女の子とニット帽の男は俺を見るとそう口々に発した。
確か……鳥居笹千流と、男のほうは巴求真。
巴は大量のプリントを抱えたまま佇んでおり、鳥居笹は屈み込んで廊下に散らばった、これまた相当量のプリントをせっせと集めていた。
あ。転校生の、えっと……
平桔平さん、でしたっけ?
栗毛の女の子とニット帽の男は俺を見るとそう口々に発した。
確か……鳥居笹千流と、男のほうは巴求真。
巴は大量のプリントを抱えたまま佇んでおり、鳥居笹は屈み込んで廊下に散らばった、これまた相当量のプリントをせっせと集めていた。
そ、そうだ、平君だ。……あの、これ、ごめんね。すぐに片づけるから
俺の名前を思い出しながら、鳥居笹は両手を動かしつつ謝罪する。
すいませんねえ、鳥居笹さんがヘマをやらかしたもんで
状況から判断すると、鳥居笹が自分のプリントをうっかり廊下に撒き散らしてしまい慌てて回収している、といったところだろうか。
しかし巴は彼女があわあわと紙を拾い集める様を小馬鹿にした目で見物するだけで手伝いもしない。
代わりに手の空いている俺が遠くに落ちていた残りを集めて、彼女に手渡してやる。
あ、ありがと。……平君って、優しいんだね
受け取った紙の束を両手で大事そうに抱えながら、鳥居笹がえへへと笑みを返した。
瞬間、とくんと心臓が音を立てた。
頭一つ分背が小さいため、自然と上目遣いになる瞳には柔らかな光彩が灯り、ちょこんと小首を傾げると肩まで伸びた栗色の髪がふわりと揺れる。
そんな一見純情可憐な女の子に優しげな笑顔を向けられては、健全な男子だったらときめきの一つも覚えてしまうのは、ごく自然なことだろう。
だが男一匹平桔平、この程度で心を乱すようなヤワじゃない。
ここは爽やかな笑みと共に気の利いた台詞でも返してやらねば。
いや……べ、別に普通だろ……こんくらい
うっわ、やっちゃった。
目と口元をひくつかせながら、数センチ先にも届いていないであろうこもりにこもった声。
絵に描いたような挙動不審である。
……でもこういうのも、青春ならではだよな。
なに、にやけてるんですか、平さん。もしかして一目惚れでもしちゃいました~?
…………
甘酸っぱい恋の一ページから一瞬で現実に戻された俺は、離れた位置からこちらの様子を窺う男を睨みつける。
巴も鳥居笹ほど小さくはないが、俺よりも数センチ頭の位置が低い。
よって彼女同様その目線は見上げられるものになるのだが、この男の場合、可憐さなどとは無縁で、蛇や蜥蜴のような全身を舐め回すごとき生物的不快感しかない。
それは巴求真という男の不気味さと卑屈さを印象づけるのに一役も二役も買っていた。
加えてやたら恭しく敬語を用いる口調も、こちらの苛立ちを無性に煽り立てる。
お前のほうがにやけてんだろ。てか少しくらい拾うの手伝ってやれよ。薄情だな
へへへ、僕だって大荷物を抱えているのに? でも、まあ彼女には優しくしてあげてください。実は鳥居笹さん、そのドジなキャラクターのせいでよく苛められていたんですよ……
そうなのか?
いやいや、そんなことは全くないよ! ドジなのは認めるけど
鳥居笹はぶんぶんと首を横に振って巴の言葉を否定する。
本当になかったのか、強がっているのかは判断しかねたので、変に掘り下げるのは控えておく。
それに彼女もあのクラスにいる以上、何らかの特性を持っているのだろう。
しかし今のところはごく普通の可愛らしいふんわり女子にしか見えない。
巴求真についてはすでに異臭がぷんぷんしてるけど。
そういえば平さん。人性さんにはもう接触しましたか?
こちらの警戒など意にも介さぬ調子で巴が尋ねてくる。
……てかまた人性か。
そんなにヤバい人なの?
いいや、まだだけど
こちらが否定すると、
もしあの人に会ったら、ヘアカラーを褒めてあげてください。きっと喜ぶと思いますよ
はあ?
もう、巴君はまたそんなこと言って
へへへ、と粘着質に笑う巴を、鳥居笹が困り顔で非難しているが、俺は意味も分からず眉を顰(ひそ)めることしかできなかった。
それじゃ、僕はさっさと帰宅させてもらいますよ。春休みの宿題をやってこなかったってだけでこんなに課題を出されちゃったんですから。……あ~あ、参りますよ全く
そう言い残すと、巴は玄関のほうへよたよたと消えていった。
大量の荷物は宿題忘れのせいだったようだ。
すると鳥居笹も同じなのだろうか。
あ、こ、これは違うよ! 巴君は全然やってないけど、私は今日たまたま忘れちゃっただけだから! だ、だから、私のこと、お馬鹿さんだとか思わないでね!
こちらの心の内を読んだのか、わたわたと言い訳をする鳥居笹。
そんな慌てた姿も非常に愛くるしい。
安心してほしい。
お馬鹿さんでも可愛いは正義。
安いコスメのCMみたいだけど、大抵の男はそんな考えなのだ。
そっか、課題頑張れよ
俺は努めて平常時の脈拍を保ちながら極力自然な形で微笑みかけた。
大丈夫だよな?
今度は顔強張ってないよな?
ありがと! じゃ、じゃあまたね! き……桔平君!
! お……おう、またな
なんと、女子から名前で呼ばれた!
彼女も勇気を振り絞ったのか少し頬が赤らんでいて、それを悟られまいとさっと駆けていったように見えた。
そうして一人廊下に立ち尽くす俺はある一つの結論に達した。
もしかして転校初日にして……春到来?
廊下の窓から差し込む日の光を浴びながら、思春期特有の妄想は膨らんでいった。