すると背後に離れゆく教室から、かすかに会話が漏れ聞こえてきた。

弦巻藤吾

でもグラビア付きの雑誌を買うなんて、桔平ちゃんも分かりやすい奴だなあ

巴求真

あれだけお金がないだのと慌てふためいてたクセに、そんなものを購入する性欲は一丁前にあったわけで……ところで彼の通帳にはあといくら入っているんですか、鳥居笹さん?

鳥居笹千流

えーっと、六千円ちょっと。あと家に現金が二万円あって

平桔平

──待て待て待てぇぇぇぇ!

再びの個人情報発表会を食い止めるべく、俺は華麗かつ豪快に教室へ飛び込み、鳥居笹を怒鳴りつけた。

平桔平

お前また家に入ったのかよ!? 百歩譲ってそれは仕方ないとしても、訊かれてすぐにペラペラと喋るんじゃねえ!

鳥居笹千流

大丈夫だよ。たとえ桔平君が借金百億背負ってたとしても私はついていくから

鳥居笹はグッと可愛らしく両拳を握り込んだ。

平桔平

愛が重い! 重い割に口が軽い! まずその矛盾から修正して

リアルな話、それほどの借金があったら最早怖いものなどない気もするが、この場合、それでもついていくという彼女の情熱こそが最も恐ろしいと言えるだろう。




すると一連の騒ぎにいよいよ業を煮やしたのか、八重梅が苛立たしげに最後通牒(つうちょう)を叩きつけようと立ち上がった。

八重梅規理

……ねえ、私さっきから静かにしてって

──お前ら

が、その八重梅の台詞に、さらなる怒気の込められた言葉がかぶさった。

……やっば。

俺は恐怖のあまり、そいつを見つめながらどこか諦観にも似た表情を浮かべた。


かぶさった声は、このクラスで最も危険とされる女子生徒のものだった。

う・る・せ・え・ん・だ・よぉぉぉぉぉぉ!!

人性悪乃(ひとさがあくの)は自分の机を高々と掲げると、次の瞬間には微塵の躊躇もなくこちらへ向けて投げ飛ばした。

平桔平

うおおおおおぉぉぉぉぉぉ!?

俺は決して恵まれてはいない運動神経を総動員し、瞬時に横へ跳躍した。

その数センチ横を放られた机がかすめ、派手な音を立てて落下する。

平桔平

お、おおお落ち着け人性! こっちの手違いで起きた、ほんの些細なトラブルだから!

俺は尻餅をついたまま懸命に説得を試みるが、人性はそんな雑音に耳を貸す気もないようで、

人性悪乃

こっちが黙って飯食ってりゃ、てめえらゴチャゴチャと騒ぎやがって! そんなに潰されてえならあたしが直々に手ぇ下してやんぞコラァ!

憤怒(ふんぬ)に両目をギラつかせ、長い金色の髪を振り乱しながら獅子の如く猛(たけ)るその姿は、すでに人類という種を遥かに逸脱していた。


あるいは大昔の人々は、こういった人物を鬼や悪魔と形容したのかもしれない。


この非常事態には、さすがの弦巻と巴のお調子者コンビも自分達の机の下へと緊急避難。




両者の顔に張りついた笑みもぎこちない。

弦巻藤吾

き、桔平ちゃん。ここは君が代表して謝ったほうが

巴求真

……その通りですよ。あなたがさっさと購買に行ってれば、全て円満に終結したはずなんですから

平桔平

そもそもは弦巻が財布をスッたのが原因だろが。こうなったら全員で雁首揃えて許しを乞うしか……

人性悪乃

──覚悟はいいな、てめえら

人性は指の骨をパキパキと鳴らしながら、小動物のように震えるか弱き男性陣へゆらりと歩を進める。


こうなってしまっては最早こちらが取り得る対抗策など一つもない。


後はただ、この災害が最低限の被害で収まるよう神に祈るしかない。

平桔平

ぎゃああああぁぁぁぁぁ…………

弦巻藤吾

ぎゃああああぁぁぁぁぁ…………

巴求真

ぎゃああああぁぁぁぁぁ…………

男三人分の断末魔の叫びが上がるなか、八重梅は呆れたように溜息をつき、鳥居笹は神妙な面持ちで両手を合わせ、最後に俺の一つ後ろの席でノートPCをタイプする音と共に、

菊菱遊

……うるさい

菊菱遊(きくびしあそび)が呟いた。

最初に伝えておくが、この場面はすでに物語の結末部分である。






ここから突然、未知の生命体による襲撃や謎めいたデスゲーム等に巻き込まれ、あれよあれよという間に平和な日々が失われるというような意表をつく展開になったりはしない。


この物語はいわゆる日常系や空気系と類別されるそれであり、特に大きな事件が起こったりなどということもない。








……いや、よくよく思い返してみれば事件は起きていたかもしれない。

それだけで丸々一本、話が書けそうなくらいの代物が。


だが悲しきかな、こいつらの個々のインパクトがでかすぎたおかげで、今ではほとんどと言っていいほど記憶から忘れ去られている。




もう一度言うが、これは日常系で空気系の物語だ。




俺が新しくやってきた学校で、地獄のような日常を、最悪の空気の中で過ごした、ある一週間の記録である。

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2|七日目 昼餉狂騒―ひるげのきょうそう―

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