七日目
昼餉狂騒―ひるげのきょうそう―

昼休みに購買へ行こうと席を立つと、ポケットから財布がなくなっていることに気がついた。

平桔平

……弦巻(つるまき)、お前またやりやがったな?

俺は、自分の席でもりもりと昼餉(ひるげ)に勤しむ弦巻藤吾(とうご)に声をかける。


するとこの男は案の定、ヘラッとした調子で肩を竦めた。

弦巻藤吾

桔平(きっぺい)ちゃーん。
いくらなんだって、俺が親友から財布を盗むなんて卑劣な真似すると思うかい?

平桔平

じゃあそれは何なんだよ?

弦巻の手には見覚えのある二つ折りタイプの財布が握られている。




見覚えがあるのは当然、それが正真正銘、俺の物だからだ。

本当にいつの間にやりやがった?

しかしこちらの糾弾にも弦巻は余裕綽々といった様子。

それどころか人を小馬鹿にしたような態度に拍車がかかる。

弦巻藤吾

これ? これはついこないだ自分で買ったんだよーん。たまたま桔平ちゃんのとかぶっちゃったのかもしんないねぇ。もしかして、運命ってやつ?

平桔平

ほざけ

ああムカつく、このクソッタレめ。

毎度のことだと承知していながらも、この苛立ちは抑えがきかない。


そしてそこからの流れもまた馴染みの恒例行事。

弦巻の真正面に机を付き合わせた巴求真(ともえきゅうま)がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。

巴求真

へへへ、藤吾君の言ってることは本当ですよ、平さん。唯一無二の友人を疑うなんて、あなたの心も随分と荒んでいるようですねぇ

平桔平

てめえは黙ってろ、ペテン師が

小柄な体格に目深にかぶったニット帽、そして目の下の濃い隈が特徴的なこの男子生徒、まともに相手をすると大抵碌(ろく)なことがない。

もっとも、まともな相手などさせてもらった記憶もないのだが。

あなた達、食事時くらいは静粛にしてもらえないかしら

不意に、鋭利な刃物のような声が飛んできた。

俺はぴくりと反応し、その音源へと恐る恐る顔を向ける。




すると委員長の八重梅規理(やえうめきり)がこちらを射殺す……否、斬り殺すような眼差しでこちらを睨めつけていた。

平桔平

わ、悪かった、八重梅。静かにするから、せめてこいつから財布を取り戻させてくれ

波一つ立たない水面の如き静かな殺気を放つ彼女を前に、俺の怒りも急速に冷え込んでいく。


だが一方の弦巻は相変わらずのノリで、

弦巻藤吾

ちょっとちょっと桔平ちゃん。これが君の物だって決まったわけじゃないっしょ? 自分のって主張するからにはそれなりの証拠を提示してもらわないと

とシラを切り通す。

平桔平

お前はホント、この期に及んで……!

一旦は身の安全のため感情を鎮めた俺も、この舐めくさった態度を前に、つい頭に血を昇らせてしまう。


このふざけた状況をどう切り抜けようかと思考していると、別の席から決死の勇気を振り絞ったような女子の声音が届いた。

しょ、証拠なら、あるよ……

俺は八重梅の時とはまた違う意味で戦慄し、そちらの制止を最優先事項に切り替える。

平桔平

ええとな、鳥居笹(とりいざさ)、お前は大丈夫だ。これはこっちの問題だからお前はゆっくり飯を食って──

鳥居笹千流

えと、桔平君のお財布には千円札が一枚と五百円玉が一枚と百円玉が三枚と五十円玉が一枚と十円玉が六枚と一円玉が二枚の計一九一二円入ってて、四〇〇円分のポイントが貯まったレンタルビデオ店の会員証と漫喫の会員証と七つスタンプがついた靴屋のポイントカードと保険証と自宅近くの病院の診察カードと銀行のキャッシュカードとコンビニでグラビアの掲載された雑誌と飲み物を買った時のレシートが挟まってて

平桔平

ああああ、ストップストップ! 止めてくれ鳥居笹!

怒濤の勢いで俺の個人情報を流出する鳥居笹千流(ちる)をどうにかして黙らせる。
ようやく口を噤んだ本人はしかし、えらく嬉しそうだ。

鳥居笹千流

えへへ……私、役に立った? 桔平君

平桔平

ああ、立った! べらぼうに役に立ったから、これ以上は控えてくれ!

彼女の保有する圧倒的な情報量に、クラスの面々からも感嘆の声が上がる。


とりわけ弦巻に関しては、絶賛の拍手を送っている。

弦巻藤吾

うーん、いつものことながら、ちるるの献身ぶりには痺れちゃうね。桔平ちゃんが羨ましいや

平桔平

だったらこのポジション代わってくれよ……

鳥居笹はぱっと見、大人しめで可愛い女の子なのだが、こんな性質だと知っていたなら安易に優しくしたりなどしなかった。


だが彼女の暴露は、この停滞した状況でいくらか効果的に作用したようで、

弦巻藤吾

そんじゃ、ここはちるるの無償の愛に敬意を表して、この財布は返還するとしよう。からかって悪かったね、桔平ちゃん

ひょいと放られた財布を受け取り、ようやく俺は安堵する。




たかが昼飯を買いに行くだけで酷い精神の消耗だ。

巴求真

でも、それが本当に自分の物かどうか分かりませんよ〜?

平桔平

言われるまでもねえ

巴の嫌味ったらしい忠告をほどほどにやり過ごしつつ、財布の中身を確認する。




……よし。




中まではいじられてないな。

ポケットに財布を収め、俺は早足で廊下へと歩み出た。

LINK

1|七日目 昼餉狂騒―ひるげのきょうそう―

facebook twitter
pagetop