智秋

月海さんがこの部の顧問代理になったってこと、さっそく生徒会のメルマガの記事にするよう手配しときますね。
校内に広めるには、それが一番手っ取り早いし

月海

あ、頼む

戸惑っている月海とは対照的に、問題発言をした智秋はまったく態度が変わらない。

月海

どうなってんだ?

なにやらひとりで勝手に振り回されているような感じがして、落ち着き払った智秋がちょっとだけ小憎らしい。

月海

そのメルマガって、教師の俺が見てもいいもの?

智秋

大丈夫ですよ。
任期が終わったら自動的に解約されるでしょうけど。
――登録ページのアドレス送ります

携帯のメルアド教えてくれますか? 
と言われるままにピピッと通信でデータを送った。

月海

……っと、まずかったかな

生徒達とは携帯電話等での個人的なやり取りは控えるようにと学校側から言われていたのを思い出し一瞬戸惑ったが、智秋は生徒というよりは以前からの知人だからいいだろうと、ひとりで納得した。


その代わり、自分だけが教えたんじゃフェアじゃないと、智秋の携帯電話の番号もお返しに教えてもらう。


メルマガのアドレスをせっかく教えてもらったが、登録認証に時間がかかるとかですぐには見られない。

とりあえず智秋の携帯電話を借りて、自分を紹介している部分をチェックさせてもらうことにした。

月海

嘘は書いてないな。
大丈夫そうだ

昨日教えたことがそのまま記事にしてあった。

記事を書いた生徒の私見が、コメントとしてちらほら追加されているが、好意的なものばかりで、ちょっと嬉しくなる。

智秋

これ全部、本当のことなんですか?

脇から、額を触れ合わせるぐらいの距離で、智秋が携帯電話の画面を覗き込んでくる。

月海

まあね

智秋

恋人って、どんな人です?

月海

ああ、それは嘘

これが他の生徒だったら、ノーコメントだと答えるところだが、智秋はかつての恋人の弟だ。

他の生徒と同列に扱う必要はないだろうと思って、月海は本当のことを言った。

智秋

いないんですか?

月海

うん。ちょっと前に別れて今はフリー。
教師やってる間は新しい彼女つくる暇なさそうだし、女子高生は守備範囲じゃないから、彼女いるって嘘ついて予防線を張っといただけ

智秋

俺にはいいんですか?

月海

え?

質問の意味がわからず携帯電話の画面から視線を上げると、智秋と目が合った。

智秋

予防線。張らなくていいんですか?

月海

…………えぇ?

一拍置いて言われた意味を把握して、驚きのあまり智秋の顔をまじまじと見た。




今までとは違って、今度の智秋の発言には疑う余地がない。

月海

もしかして、まじ?

今までの思わせぶりな台詞もすべて本気だったりするんだろうか?
 

智秋は、微かな笑みを口元に浮かべて、月海の反応を窺うように瞳を覗き込んでくる。

身長が同じだけに、軽く身を乗り出せば、唇が触れる至近距離。

そう自覚した途端、鼓動がぐんと跳ね上がる。


ほんの一瞬、このままキスしたいような衝動に駆られた。

月海

ホントにやったら、あの子達きっと悔しがるだろうな

ぐるっと背を向けて、月海から智秋へとあっさり乗り換えた女の子達の姿が脳裏に浮かぶ。


仕返しのつもりでキスしたい衝動に駆られたなんてずいぶんと子供っぽいと、そんな自分にちょっとあきれた。

だが、どうしたわけか動悸は一向に収まらないし、耳まで熱くなっているみたいだ。

月海

もしかして、まだシンクロしてたのか

勝手に想像した女子高生の気持ちに……。


憧れの先輩の側にいられるだけでも楽しいのに、あとほんの一押しでキスできる距離になったとしたら、やっぱりこんな風にドキドキするんじゃないだろうか。

生憎と月海自身は片思いをした経験がないから、そういう気持ちは経験したことがない。


ないだけに、余計に想像は広がっていく。

月海

実際にキスしたら、どんな感じだろう

もっと、ドキドキできるかもしれない。


いや、もしかしたらこんなもんかと現実に返って、この不思議に楽しくときめくシンクロ状態から冷める危険もある。


それは、ちょっと勿体ないような気もする。


ひとりであれこれ考えすぎて、フリーズしてしまった月海を見た智秋は、苦笑しながらゆっくりと身体を離した。

智秋

今日は何時ぐらいに帰れそうですか?

なにもなかったかのように、さらりと話題を変えて話しかけてくる。

月海

定時ってわけにはいかない仕事みたいだから、はっきりわからない。
それに、今日は同じ英語科の先生達に飲みに誘われてるし……

月海

……残念

あの唇までの距離があいてしまったことが、なんだか酷く惜しまれる。

月海

でも、なんで聞くんだ? もし早めにあがれたら、俺と一緒に帰るつもりだったとか?

ふと、気持ちの距離をはかりたくなって聞いてみた。

智秋

もちろん。――迷惑でしたか?

月海

いや、そんなことない。でも、夏生のことで気を使ってるんなら必要ないよ

智秋

それは関係ないです。俺が月海さんと少しでも長く一緒にいたいだけですから

智秋の言葉を聞いた途端、月海の胸は再び大きく高鳴った。


まるで、心の中の女子高生が、そうこなくっちゃとはしゃいでいるような感じだ。

月海

帰る時間帯が違いすぎるんじゃないか?

智秋

平気ですよ。
ここか、図書館で時間を潰せばいいだけですし……。
今日は諦めますが、明日都合がよかったらメールしてください

待っていますから、と智秋が優しい微笑みを口元に浮かべた。

月海

うわっ、やっぱりいいぞ、この感じ♪

月海は思わず、ぐっと拳を握った。

心の中の女子高生が大はしゃぎして、胸の奥がむずむずとこそばゆい。


全校生徒に一目置かれている憧れの先輩が自分を特別扱いしてくれている。


それを純粋に嬉しいと思う気持ちと、ちょっとした優越感とが相まって、なんとも気分が高揚する。

月海

わかった、そうする

月海は、浮かれる気持ちのまま、口元をゆるめて頷いていた。

その日以降、学校で過ごす時間がいっそう楽しくなった。

電車通勤には一向に慣れなかったが、なんの約束もしていないのに毎朝駅に行くと智秋が当然のような顔で待っていてくれたし、帰りも都合が合うときは一緒に帰ってくれるお陰で不快感は半減されていた。

そんな風にほぼ毎日一緒に登下校していたせいか、他の生徒達に月海が智秋と親しいのだという認識が広まり、そのことで生徒達から話しかけられることも多くなった。

どういう知り合いで、どの程度の関係性なのかと、好奇心から生徒達が聞いてくる。


そんな質問には、知り合いの弟だと応えた。




女生徒の場合には、自分のことをほとんど語ろうとしない智秋のプライベート情報をなにか知らないかとこっそり聞いてくることもあった。


そういうときには、たとえ月海が知ってることを聞かれても、本人に直接聞けば? と必ず黙秘権を発動した。




今までの人生いつももてまくりで、周囲の女性の目は常に自分に向いていたから、自分の存在が完全スルーされた上で、他の男の情報源扱いされるなんて経験ははじめてだった。


少しばかり屈辱的な立場だったが、月海は不愉快には思わなかった。


黙秘を通すことで、ケチ、意地悪と文句を言われてもむかつかない。




むしろ、それが楽しい。




彼女達が知らないことを自分は知っているし、自分が聞けばきっと智秋は答えてくれる。

そんな特別な立場なんだと実感できるたび、月海の心の中に住み着いてしまった女子高生が凄く嬉しいとはしゃぎまくって、胸がこそばゆくなる。

月海

ホントに恋してるみたいだ

恋愛じゃなく、恋。


それも、かなう可能性が大ありの片思い。


月海の心の中だけに生息する、想像上の女子高生の架空の恋だ。




それでも、あっさり手に入れることができる恋愛しかしてこなかった月海にとっては、充分に目新しくて楽しい経験だった。

月海

ふふん♪ なんだかんだいっても、俺って運がいいんだよな

こんなに楽しい経験ができるんだから、臨時教師を引き受けたのは正解だったと自画自賛。


教師としての仕事のほうも、特にトラブルもなく順調だ。




毎日が楽しいせいか日々はあっという間にすぎ、気がつくと三ヶ月を迎えていた。


いきなりの教職だったというのに、周囲の教師や生徒達に目立った迷惑をかけることもなく、順調に臨時期間は終わりかけている。


自惚れ屋さんな月海は、充実した日々を過ごせたことを単純に喜んでいた。

そして最終日の出勤時。

月海

面倒見てもらったお礼に、そのうち食事を奢らせて

満員電車から解放されてホッとした後で、月海から智秋に申し出た。


智秋が毎朝、一緒に電車に乗ってくれていなかったら、満員電車の不愉快さに耐えきれずに途中で挫折していたかもしれないからと……。




だが、そんなのは食事に誘う口実に過ぎない。




満員電車が嫌なら、学校の近くに個人で駐車場を借りることだってできたし、タクシーで出勤するという手段も月海にはあった。

そうしなかったのは、智秋とふたりで過ごす時間がとても楽しかったからだ。




でも、学校を辞めたら、もう智秋と一緒に歩くこともなくなる。


毎日が楽しくて浮かれていたせいか、月海がその明白すぎる事実に気づいたのは今朝の満員電車の中だった。


智秋に支えてもらえることに慣れてしまった月海は、けっきょく最後まで電車の揺れに順応することができなかった。

いつものように、智秋の腕につかまっていると、智秋が今日の帰りの予定を聞いてくる。

月海

今日は、先生達から送別会をしてもらうことになってるから、一緒には帰れないな

そう月海が伝えた途端、智秋は酷く残念そうにため息をついた。

智秋

そうですか……。じゃあ、こんな風に一緒に電車に乗れるのは、これが最後なんですね

背中に回された智秋の手の力が、少し強くなったような気がした。

月海

……つッ

と、同時に月海の胸が酷く痛む。


どうやら、すっかり心の中に居座ってしまった想像上の女子高生が、ヤダヤダと大暴れしているようだ。

月海

そっか……。一緒にいられるのも、これで終わりになるかもしれないのか

月海が担当していたのは一年生だから、普通に教師の仕事をしている限り二年生の智秋とは接点がない。


明日からはもう高校に通う必要もないから、この電車から降りて校門に入るまでの短い間しか、智秋とは一緒にいられない。


そんなの絶対ヤダと、心の中の女子高生がまた大暴れする。




月海もまったく同感だった。


だから、面倒を見てもらったお礼を口実に食事に誘ってみたのだ。


月海の誘いに、智秋は微かに驚いたような顔をした。

智秋

月海さんから誘ってくれるの、はじめてですね

月海

そういや、そうか

朝も帰りも、いつも智秋のほうから声をかけてくれていたから……。

月海

で、どうかな?

智秋

喜んで

智秋は目元をゆるめ、はにかんだような微笑みを浮かべた。

月海

あ、これ、昔みたい

なんだか、とても懐かしい微笑みだった。


智秋が、いつもこんな風にはにかんだように微笑んでいた頃。




もしも、この子が女の子だったら夏生より絶対に好みなのに……なんて、自分が考えていたことを思い出す。

月海

すっかり男らしくなった今じゃ、笑い話か

それでも、頬の丸みがそげ凛々しくなった今でも、こんな風に笑うとやっぱり可愛い。

夏生

家に来たばかりの頃はね、智秋、笑わない子だったんだよ











プリプリピリピリと怒っていない、穏やかな夏生の声が耳元にふと甦る。


新しい環境に萎縮しているようにも見えなかったから、元からそういう子だったんじゃないかと……。




一緒に暮らすようになって一年がすぎた頃、はじめてぎこちないながらも自分に向けて微笑みかけてくれた。


それが凄く嬉しかったのだと、夏生は『姉』の顔で微笑んでいた。

月海

その気持ち、わかるなぁ

今の智秋は当時と違って、いつも大人びた微笑みを浮かべている。


でも、こんな風にはにかんだような微笑みを向ける相手は、今でもきっと限られているに違いない。


自分がそのひとりになれたことが、なんだか凄く嬉しい。




月海は、ふんわりと幸せな気分になっていた。

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