駅から学校までは、徒歩で十分弱。




一応、臨時という立場なので、本職の教師達より少し早めに学校に着くように計算してある。

月海は疲れた足を労るように普段よりは幾分遅い歩調でのんびり歩いた。


智秋も、月海の歩調に合わせてくれているようだ。

月海

智秋くんって、昔っからマメに気遣いする子だったっけな

夏生を自宅まで迎えに行くと、たいていの場合はまず先に智秋が現れ、姉は準備にもう少しかかりそうだからと謝ってから、応接室に招き入れてくれた。


待っている間の話し相手になってくれたし、家政婦に頼めばいいものをわざわざ自分でお茶まで出してくれたりもしたっけ……。

月海

――あれ? 御堂の家からだと、路線違うんじゃない?

昔のことを思い出していた月海は、ふとその事実に気づいた。

月海

もしかして、わざわざ迎えに来てくれた?

なんでまたそんなご苦労なことをするのかと、びっくりして智秋を見る。

智秋

ふた駅ほど戻っただけです。高校入学と同時に家を出てマンション暮らしなんで、いつもとほぼ同じルートですよ

智秋は、軽く微笑んだ。

月海

家を出た?

智秋は父親がよそに産ませた子供だと、昔、夏生から聞いたことがあった。

生まれてすぐに認知だけはしていたが、小学校に入る前に母親が亡くなり、父親が自宅に引き取ることにしたらしい。


話を聞いた当時は、愛人の子供だからといって冷遇されているようには見えなかったが、その後事態が変わったのだろうか?

月海

なにかトラブルでもあった?

心配になって聞くと、智秋は

智秋

違いますよ

と軽く首を振った。

智秋

ちょうど俺の高校入学の時期に、姉が家を出てひとり暮らしをしたいとごねたんですが、女のひとり暮らしは駄目だと父に反対されまして……。
それで、ふたりならいいんじゃないかってことで、俺が一緒に暮らしてるんです

月海

え、じゃあ今、夏生とふたり暮らし?

智秋

はい。家政婦さんのお世話にはなってますけど

月海

そっか……。でもそれって、夏生に気を使ってのことじゃないのか?

夏生には、智秋の他にも上に兄がひとりいる。

でも兄弟の中では智秋と一番仲がいいし、智秋も自分に一番なついてくれていると、夏生はことあるごとに自慢していた。


昔から夏生のフォローを進んでしていた智秋のことだ、姉の望みをかなえるために、自ら進んで犠牲になったんじゃないだろうか?
 

ちょっと月海は不安になった。


だが、智秋はまた

智秋

それも違います

と首を振る。

智秋

大学生になったら家を出ようと思ってたので、計画を少しだけ早めただけなんです。
いつまでも実家で暮らしてると、自然の流れで父の会社に就職する羽目になりそうですし……

月海

お父さんの会社に就職するの、嫌なのか?

智秋

組織に組み込まれるのは嫌ですね。
入社したら、将来の自分がどんなポストについて、どんな風に立ち回っているかまで予測できてしまって憂鬱になるし……。
できるなら、自分の力を試せる仕事をしてみたいんです

月海

へえ、ちゃんと考えてるんだ。
俺なんか迷わずオヤジの会社に就職して、親の七光を利用して気楽にやってるクチだから、ちょっと耳が痛いよ

智秋

俺だって、親の七光を利用できるときは迷わず利用してますよ

月海

へえ。……智秋くん、意外にしたたかだったんだ

細やかな気遣いを見せていたおとなしげな子供時代のイメージが強いから、『利用する』という言葉が、妙に意外に思えた。


大人びた横顔を見せる智秋に、月海はちょっと目を見張る。

智秋

意外ですか?

月海

うん。中学生の頃は、おとなしい印象だったから……。
立場が立場だし、その……少し遠慮してるのかと思ってた

智秋

まさか……。
流されるまま生きてきたわけじゃないですよ

そう言って、智秋は穏やかに微笑む。


子供の頃の少女のように柔らかな微笑みとは違う、精神的な余裕を感じさせる大人びた笑い方。

月海

……やっぱり、格好良いんだ

智秋が夏生の弟だと知ってからは、なんとなく中学の頃の優しげで可愛らしいイメージを重ねてしまっていた。


でも、この微笑みに、昨日再会したときの第一印象がまた甦ってくる。

月海

この数年で、ずいぶん成長したんだな

外見だけじゃなく、中身も……。


さて、その間の自分はどうだろうと考えると、ちょっとばかり苦笑いが浮かぶ。

月海

いや、でも智秋くんは、歳よりも大人びてるほうか

高校生で自分の将来をちゃんと考えている者がどれだけいるか。


再会時の印象通り、智秋は学校内にひとりかふたりしか現れない、いろんな意味で特別な、群を抜いて大人びた生徒なんだろう。

月海

――あれ?

遅ればせながら、またしてもふと気づく。


見回した周囲の歩道に、高校の生徒の姿がまったく見あたらないことに……。

月海

智秋くん、もしかして、わざわざ俺に合わせて早く来てくれた?

智秋

そうですね

月海

あらら、わざわざごめんな。今度のことは智秋くんのせいじゃないんだから、夏生の代わりに尻拭いなんかしなくていいのに

ふた駅戻ったと言っていたから、たぶんいつもより一時間近く早く家を出ているだろう。


月海が申し訳ない気分になっていると、智秋はまたしても

智秋

違いますよ

と首を振る。

智秋

姉のためにしてるわけじゃありませんから……。
月海さんもさっき言ったじゃないですか。俺はしたたかだって

月海

ん?

智秋の言葉の意味がつかめずに、月海はちょっと戸惑った。

智秋

だから、俺は誰にでも親切にできるほど、できた人間じゃないんです

智秋は首を傾げ、戸惑う月海の顔を覗き込み、

智秋

これは、自分のためにやってることです。月海さんと少しでも長く一緒にいたいから

月海の瞳を見つめたまま、穏やかに微笑んだ。

月海

………………え?

月海はというと、やっぱり言われた意味がすんなり把握できず、軽く眉をひそめてしまう。

月海

こんなの、まるで告白みたいだ

月海の外見とステイタスに惹かれた女性達の一部が、そんな風に誘いをかけてくることがたまにある。


私のために時間をつくってくれない? とか、もっと一緒にいたい、などと言っては、月海の反応を窺うかのように瞳を覗き込んでくるのだ。


普段だったらうまくあしらえる自信があるのだが、目の前にいるのは好意を寄せてくる女性ではなく、元カノの弟で、しかも臨時とはいえ勤務先の学校の生徒だ。

月海

……きっと、ただなつかれてるだけだよな

妙な反応をしたら、逆に怪訝に思われるかもしれない。

月海

っと、これじゃ不愉快だって勘違いされるか

月海は、怪訝そうにひそめた眉を、慌てて元に戻した。

月海

特別扱いはちょっと嬉しいな

そう言って、顔を覗き込んでくる智秋に微笑みかけてみる。

智秋

こちらこそ。迷惑じゃないならよかった

智秋は少し笑みを深くしてさらりと返事をすると、すっと視線を外して前を向く。

月海

うわ~、格好良い

月海は思わず、その仕草にみとれてしまった。


落ち着いた口調と穏やかな眼差し。


それらからは確かな好意が感じられるが、決して押しつけがましくはない。


まるで大人の男のような余裕のある態度なのに、背筋を伸ばして歩く凛々しい横顔は成長途中の高校生のもので、そのギャップがまた妙に格好良い。


実際に、大人の男がこういう態度を取ったら気障な感じがするかもしれないが、清涼感溢れる高校生だといっそ清々しくさえある。

月海

絶対もてるよな

同年代の女の子達の目から見たら、これはきっとたまらないだろう。


男の月海でさえ、ちょっとばかりぐっときて、もう一度こっちに視線を向けて微笑みかけて欲しいような気分になってるんだから……。


脇を歩く智秋の横顔が気になって、月海はついチラチラと何度も視線を向けた。

智秋

どうかしましたか?

それに気づいた智秋が、また月海の顔を覗き込むように軽く首を傾げる。

月海

……やっぱり格好良い

望み通りの微笑みを向けられ、月海の胸が不自然に高鳴った。

月海

え、あ、いや……。……いい天気だなぁと思って

適当なことを言って、ははっと誤魔化し笑いをする月海に、

智秋

――そうですね

と、智秋はあっさりと同意してくれて、その視線を空へと向ける。

月海

う~ん、智秋くんってば大人だ

不自然さに気づいているだろうに、焦ってはぐらかそうとしている月海のために、気づかぬふりをしてくれているに違いない。

ほんの少し顎を上げて空を眺める爽やかな横顔に、また視線が吸い寄せられた。

月海

こういうのも、いいなぁ

高校生時代からイロモノだった月海には、こういう爽やかさの持ち合わせはなかった。


ふと、ひらりとスカートの裾をひるがえして、クスクスと笑いあいながら走り去って行く少女達の姿が脳裏をよぎる。


もしここに、あの子達がいたら、いったいどういう反応を見せるだろう?



想像すると、なんだかやけに微笑ましい気分になってきた。

月海

絶対、ドキドキするよな

きっとひとりでに笑みが浮かぶ口元を手の平で隠しても、微笑んだせいでふっくらした頬のラインは隠しようがないはずだ。

それに、頬やら耳やらが、跳ね上がった鼓動の影響で、ほんのり赤くなってしまうのも隠せやしないだろう。

月海

……あ、あれ?

可愛らしい女子高生の姿を想像したせいか、ふと気づくと月海自身も知らず知らずに口元をゆるめていた。


思わず手の平で押さえたら、指先にふっくらしている頬のラインが触れた。

それに、耳のあたりが微かに熱いような……。

月海

な~に、なりきっちゃってるんだか

想像するあまり、少女達の気持ちにシンクロしてしまったようだ。


アホか……と自分を諫めてみたが、鼓動の速さも、耳のあたりの熱さも一向に収まらない。




月海は、そんな自分の反応に戸惑う。


だが同時に、なんだかちょっと気分が浮き立つのも感じていた。

月海

こういうのって、ちょい新鮮?

彼女とつき合ってから別れるまでのサイクルが常に短く、かなりの回数を重ねてしまったせいか、最近の月海は恋愛に関してはすっかり慣れっこになってしまっている。

そのせいで、純粋に恋愛でときめくことなんてなくなっていた。


勝手な想像でシンクロした結果とはいえ、こんなにドキドキしたのは本当に久しぶり。




ちょっと、悪くない気分だった。

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