智秋

智秋です。御堂智秋(みどうともあき)。――お久しぶりです。月海さん

月海

うん。久しぶり。……そっか、智秋くんだったか……。うわ~、大きくなったね

記憶の中のはにかんだ微笑みと、目の前の顔をついついしみじみと比較してしまう。


当時、たぶん中学生になるかならないかぐらいの時期だった智秋は、顔立ちもまだまだ幼く、目元をゆるめ、まだ柔らかだった頬をふっくらさせて微笑むとそりゃあ可愛らしかった。


ちょっとしたことでプリプリピリピリと怒ってばかりいた夏生が、いつもこんな風に笑ってくれるような温厚な性格だったらと、心密かに思っていたぐらいだ。

智秋

まだまだです。もう少し大きくなれそうですよ

月海

今、何年生?

智秋

二年です

月海

そうか。それなら、もう一息伸びるかもね

ちょっと羨ましいかな、と同じ目線の智秋に月海が言うと、智秋は首を振った。

智秋

俺、月海さんは、今ぐらいの身長が一番お似合いだと思います

月海

あ、やっぱり?

月海は、親指を顎に当て、ニッと微笑んだ。


今の月海は日本人男性の平均クラスの身長だったが、自分の顔立ちや体付きとのバランスを考えると、やっぱりこれぐらいがベストだと思うのだ。


鏡を見るたびにそんな風に自画自賛していたものだから、ついうっかり本音が口から飛び出てしまったが、智秋はあきれるでもなく微笑んで、

智秋

はい

と頷いてくれた。

智秋

月海さんのスーツ姿、はじめて見たけど、やっぱり素敵ですね

月海

……え、そう?

基本的に誉められるのは大好きだが、他の先生達との釣り合いをとるために仕方なく着ている、出来合いの地味なスーツを誉められてもあまり嬉しくない。


微妙な反応を返した月海に、智秋は怪訝そうな顔をする。




月海は事情を説明して、普段の自分はもっと綺麗なラインのスーツを着てるんだと訴えた。

智秋

ああ、そういうことですか。昔から、月海さんはとてもお洒落だったから……。――不愉快なことをさせてしまって、本当に申し訳ないです

月海

え?

いきなり智秋から頭を下げられて、月海は首を傾げる。

月海

なんで智秋くんが謝るんだ?

智秋

……もしかして、わかってなかったんですか?

月海

なにを?

智秋

ですから、その……。月海さんをこの高校に引きずり込んだ張本人が、誰なのかってことなんですが

月海

あ……あ……そうか! 犯人は、夏生かっ!

夏生の生家である御堂家は、新興の笠原家とは違って、古くから続く名家だ。




手広く事業を行っているし、政財界の有力者とも長く深いつき合いがあって、親戚同様の扱いを受けていると聞いたことがある。


大学卒業後、やはり父親の経営する会社に就職したはずの夏生ならば、裏から手を回して月海を強制的に陥れることぐらい簡単だったろう。

月海

うわっ、なんか俺、今、ものっ凄い納得した。――な~んか変だと思ったんだよなぁ

圧力をかけてまで、強制的に臨時教員を引き受けさせたぐらいだ。


もしかして、職場となる学校に、悪意のこもった罠とか意地悪が仕掛けられてるんじゃないかと警戒していたのに、この一日は拍子抜けするぐらい順調だった。


校長や、指導してくれる教師も、普通に好意的だったし……。

月海

わざわざ手を回したってのに、どっからも直接的な悪意を感じないしさ。
いったいなにが目的で、俺をこんなところに押し込めたのかさっぱりわかんなくて

それもすべて、犯人が夏生なら納得できる。


プリプリピリピリ、いったん怒った夏生の支離滅裂ぶりは常識を突き抜けていて、止まるところを知らなかったから……。

智秋

本当にすみません。俺では姉の暴走を止めきれなくて……

月海

いや、智秋くんが謝ることじゃないって。
夏生の暴走っぷりはよく知ってるし……。
でも、なんで今ごろ、こんな仕返しされなきゃならないんだ? 
別れてから、もう五年近く経ってるのに

智秋

姉曰く、仕返しではなくて、『再教育』なんだそうです

月海

なんだよ、それ?

首を傾げる月海に、智秋は言いにくそうに告げた。

智秋

月海さん、ここ最近、本来なら仕事をしているはずの時間帯に、女性同伴で流行りのカフェやらオーガニックのレストランなんかに頻繁に入り浸ってませんでしたか?

月海

入り浸るって……。人聞き悪いなぁ。あれは同僚と一緒に調査に出向いてただけだよ

月海は、壁にもたれながらぼやいた。




つぶれかけている外食系のチェーン店を買収して、外食産業に参入しようという計画が本社で持ち上がっているのだ。


それで月海は、その店の立地からターゲットの年代を想定し、メニューや店舗内の装飾などの大まかな方針を決めるために、ここ数ヶ月、いろんな形式のカフェや軽食系の店に自ら出向いて調査していた。


もちろん細かな部分は本職のデザイナーに任せることになるが、店舗のトータルイメージを決定するのは月海の役目なので、けっこう真面目に調査していたつもりだったのだが……。

月海

それが一段落してホッとしたところに、今回の一件が起きたってわけ

智秋

そうだったんですか……

事情を聞いた智秋は、酷く困った顔で軽く目を伏せ、なにごとか考え込んだ。


しばらくして目を上げると、月海の顔をまっすぐに見る。

智秋

どうやら、完全に姉の勘違いですね

月海

俺が仕事中に女と遊んでるって?

智秋

まあ、そういうことです。偶然、何度か見掛けて、カッと頭に血が上ったようで……

月海

大学時代ならともかく、社会人になってまでふらふらしてないって……。
恵まれた環境にいるぶん、自分なりにちゃんと働いてるつもりだしさ。
――ていうか、俺と何度も会ったってことは、夏生も仕事中にあちこち遊び歩いてたってことじゃないの?

自分が仕事さぼってるのは棚上げか? と軽くふてくされると、

智秋

それは違います

と智秋がちょっと気まずそうに言った。

月海

あいつ、いま仕事してないの?

智秋

いえ。今は父の持ち会社のオーナーみたいなことをしてます。

智秋

――実は姉、結婚が決まってて、その細かな打ち合わせや相談なんかで、仕事の合間にあちこち飛び回ってるんです

月海

……へえ、そうなんだ

夏生が結婚すると聞いて、軽くショックを受けた自分に、月海自身ちょっと驚いた。


喧嘩別れした相手だし、未練はまったくないが、一番長くつき合った相手のせいか勝手に心が揺らいでしまう。


もしかしたら先にゴールを決められたのが悔しいだけかもしれないが……。

月海

できちゃった婚?

ズバッと聞くと、

智秋

いえ、それはまだ

と智秋は苦笑した。

智秋

そんな状況でたまたま何度か月海さんを見掛けて、自分は真面目に生きてるのに、月海さんはまだふらふら遊んでると思い込んでしまったんでしょうね。
それで、少しお灸をすえてやろうと、今回の件を計画したみたいで……。――まさか、なんの調査もしないまま、思い込みだけでこんな馬鹿な真似をするなんて、ちょっと予想外でした

我が姉ながらはた迷惑すぎる、と智秋は眉をひそめる。

智秋

わかりました。
俺から、姉や協力してくれた代議士の先生にきちんと説明しておきます。
月海さんは、明日からは普通の生活に戻ってください

月海

え? いいのか?

智秋

はい。これ以上、迷惑をおかけするわけにはいきませんから

きっぱりとした口調で、智秋は頷いた。


まっすぐに見つめてくる落ち着いた眼差しには、信頼できる安心感がある。

月海

それは、ありがたいけど……

予想外に教師役は楽しかったが、普段は肉体的には生温い仕事をしているせいか、授業中ずっと立ちっぱなしだったり、伸びたり屈んだりして板書するのは正直けっこう疲れた。


それに、今後も授業を続けるためには、自分自身もせっせと勉強し続けなきゃならないわけで、それから解放されるのはかなり嬉しいのだが……。

月海

俺が抜けた後の授業枠をこなせる臨時教員、すぐに見つかるかな?

智秋

え?

月海の指摘に、智秋は意表をつかれたのか驚いた顔をした。

智秋

……それは、考えてなかった

月海

俺の前の先生って辞めたの? それとも休暇?

智秋

長期休暇をとって、アメリカの大学に短期の語学留学に行ってます

月海

じゃあ、すぐに戻ってこいって言うのは気の毒か

たぶん、その教師の留学も夏生の差し金なんだろう。


強制的に留学させられたのなら、すぐに戻らせるのもありだろうが、もしもかねてから望んでいたことだとしたら無理矢理引き戻すのは酷だ。


教師になりたい人間が余っているという話を聞いたことがあったが、それでも募集をかけてから採用が決まるまで、それなりに日数はかかるはずで……。

月海

いきなり俺が抜けると、生徒達に迷惑がかかるよな

智秋

確かに……。
でも、月海さんが預けられているのは一年生の授業枠でしょう? 少し空きができてもすぐに取り戻せますよ

月海

三時間かけてやることを一時間で無理矢理詰め込んだり、課題を増やしたりしてか? 
――なんか嫌だな、それ

この話を昨日されていたら、すぐさま飛びついていただろうが、今日一日でいくつかのクラスの授業をこなしてしまったせいか、どうも手放しで喜ぶ気にはなれない。


板書を終えて振り向くと一斉にこちらを見つめる瞳や、説明を聞く真剣な表情を思い出してしまって、生徒達にかかる迷惑を、俺には関係ないと切り捨てるのがどうにも忍びない。

月海

とりあえず、夏生の誤解だけ解いてくれないか? で、教師は、代わりが見つかるまで最初の予定通りやるって方向で

智秋

ですが、月海さんにだって、本来の仕事があるんでしょう?

月海

それは大丈夫。ちょうど仕事が一段落ついたところだったし、同僚達にちゃんと引き継ぎもしてあるから

大学卒業後、月海は当然のように父親の会社に入社したのだが、その際に父親と兄達から自分のための部署を特別に用意してもらっていた。




月海としては、入社するからにはちゃんと普通に働くつもりでいたのだが、見た目の派手さや生活態度やらに少々問題アリ、他の一般社員と一緒にしても良い結果は生まないだろうと判断されたらしい。

それでわざわざ、月海の美意識の高さを有効活用するための部署がつくられたのだ。


だから残してきた仕事が少しあるとはいえ、その中心となる月海がいない間は新規の仕事が入ってくる心配はない。


月海がいない三ヶ月間のんびりできると、月海のお目付け役をしている上司や同僚が密かに喜んでいたぐらいだ。


教師の仕事が取りやめになったからとすぐ職場に戻ったら、逆にがっかりされそうだ。

月海

よし、決めた! 俺、三ヶ月間ちゃんと教師やるよ

月海はそう宣言した。


裏事情もわかって、なにか罠があるんじゃないかと警戒する必要もなくなったわけだし、これからはただ単純に教師という職業を楽しめる。


月海が臨時教員を続ければ、学校側や生徒達に不必要な負担もかからない。




これで万事、丸く収まるわけだ。

月海

三ヶ月程度なら、美味しいトコどりで気楽に仕事できそうだしさ

月海の宣言に、智秋は

智秋

それで本当にいいんですか?

と戸惑った顔をした。

月海

うん。かまわない。
せっかく教師用のスーツやバッグも買ったんだし、一通り使ってやらないと可哀想だからな

智秋

決断が早いというか……。もともとは濡れ衣で押しつけられた仕事なのに

月海

いいんだよ。
うだうだ考えるのは面倒だし、なんでも気楽に流すのが俺の取り柄だし

教師を続けている間は、普通に働いているときより体力的にしんどそうだし、遊ぶ時間も減るのは確実。




でもちょうど今はフリーで、夜遊びする相手もいないことだし、三ヶ月だけ真面目に働いてみるのも悪くない。

月海

滅多にできない経験だしね。せいぜい楽しむよ

あっさり決断して気楽な調子で微笑む月海を、智秋はなんだか不思議なものを見るような顔でしげしげと眺めている。

月海

……なに?

智秋

あ、いや……。
姉とあんな状態で一年以上つき合ってただけのことはあるなと……。
あの頃は、月海さんが姉に一方的にやりこめられてばかりいるように見えてたんですが

違ったんですね、と智秋はなんだか気が抜けたような声を出す。

月海

もしかして、夏生に振り回されてばっかで、俺が可哀想だとかって思ってた?

月海の問いに、智秋は気まずそうに頷いた。


まあ、それも無理ないかなとは思う。

いつも夏生はプリプリピリピリと怒ってばかりいたから……。


でも月海は、そんな夏生の怒りを正面から受け止めていなかった。
 

そのうち機嫌がなおるだろうと、いつもの調子でさらりと気楽に聞き流していたのだ。




だから夏生は、余計に怒りを収めるきっかけがつかめずピリピリしてたのかもしれないなと、夏生と別れた後でちょっと考えてしまったこともある。

月海

あれでも、一応は対等な関係だったよ

智秋

そうだったんですね。少しだけ安心しました。――でも、今回の件は対等じゃありませんよ。明らかに姉の過失です。とりあえず、姉には直接謝らせますから

月海

え、ちょ、ちょっと待った。それだけは勘弁してくれ!

月海

夏生と会うのはマズイ

勝ち気な夏生が、素直に謝るとは思えない。


謝罪ついでに、罵詈雑言もいただく羽目になるのはごめん被りたい。




両手を合わせて頼み込むと、姉の性格をよく知る智秋は、すぐに納得してくれた。

智秋

では、力不足かとは思いますが、月海さんが教師をしている間、俺にできる限りのサポートをさせてください

月海

サポート?

智秋

はい。これでも生徒間には顔が利くほうですし、懇意にしてくださる先生も多いので、校内のトラブルにはすぐに対処できますから

月海

トラブルか……

最初から三ヶ月という期間が切られているだけに、学校サイドの人間に深入りするつもりはなかったから、そっちの心配はまったくしていなかった。

むしろ深入りしないぶん、人との関係が希薄になりすぎて寂しい思いをしそうなのが心配だったぐらいで……。


月海は、両親が歳を取ってから思いがけず恵まれた子供で、兄弟とも歳が離れている。


家族みんなに囲まれて大事にされて育ったせいか、孤独な環境にはけっこう弱いのだ。

落ち着いていて年のわりに分別もありそうだし、押しつけがましいところもないから話し相手にするにはちょうどいい感じだ。

月海

大丈夫だとは思うけど、ちょくちょく様子見に来てくれると心強いかな

校内にひとり、気安く話せる相手がいれば気持ちも楽だ。


月海の申し出に、智秋は、わかりましたと深く頷いてくれた。

LINK 

3│王子さまは誘惑する 1 (3)

facebook twitter
pagetop