日曜は、母親と兄達から本宅へと呼び戻され、あれこれと心配されたり忠告されたりで、彼らを安心させるためにかなりの時間を費やした。


その結果、学校側から渡された英語の教材や資料に目を通せたのは夜になってから。


とりあえず必要そうな部分だけに目を通し、朝のミーティングで英語科の主任から授業方針に対する簡単な説明を受ける。


教壇に登るのは教生のとき以来ほぼ四年ぶりで、さて、どうなるかと不安だったが、生徒達の授業態度が真面目で協力的なこともあって、意外なほどにすんなりと授業は進む。

月海

う~ん、これ、けっこう癖になりそ

一段高いところに立って、複数の人間の視線に晒される。


普通だったら緊張するところだろうが、目立つのが好きな月海にとって、それは悪くないシチュエーションだった。


というか、むしろ生徒達の好意的な視線が楽しくて、実用的な英語の使い方なんかを実体験を交え、冗談めかして話す余裕さえあるぐらいだ。


それに対する生徒達の反応も、表情を見る限りは良好なようだ。
 

余計なことをしゃべってるんじゃねぇよ、などと不満そうな顔をする者はいない。

月海

さっすが、ランクの高い学校は違う

入学金も高いが学力も高い。

しかも自由な校風で有名と聞いて、さてどんなものかと興味津々だったのだが、生徒ひとりひとりの授業態度のランクもちょっと驚くほど高いようだ。


これなら三ヶ月なんて楽勝だと、持ち前の気楽な性格も手伝って、授業が終わる頃にはすっかり気が楽になっていた。

月海

――じゃあ、今日はここまで

授業終了のチャイムがなると同時に、授業を切り上げた。


質問があったら遠慮せずに英語科の教員室に来るようにと言い置いて教室を出ると、

女生徒

笠原先生、待って

と、さっそくふたりの女生徒達が追いかけてくる。


勉強不足がばれないよう、難しい質問じゃなきゃいいけど、などと思いつつ振り向いて応じたが、女生徒達の目的は授業の質問ではなかったようだ。

女生徒

簡単なプロフィール教えてくれませんか? メールマガジンに掲載したいんです

月海

……メルマガ?

意味が把握できず月海が問い返すと、女生徒達は

女生徒

あたし達、生徒会役員なんです

と告げた。

生徒会発行で、学校行事や連絡事項、注目情報などをメールマガジン形式で希望者に配信しているのだという。

月海

へえ、生徒会でそんなことやってるのか

女生徒

顧問の先生の検閲を通すんで、変な記事書いたりできないから安心してください

月海

わかった

三ヶ月だけの臨時教員だし、個人情報はあまり明かしたくない。
とりあえず出身大学やら年齢やら、当たり障りのないことを教えてみる。

女生徒

彼女はいますよね? どんなタイプ?

月海

え~っと……。いるけど、内緒

月海は一瞬考えてから、口元に人差し指を当てて、ニッと軽く微笑んだ。




だが、嘘だ。
 

生憎、今の月海には恋人はいない。
 

少し前に別れたばかりで、忙しい仕事が一段落ついたら次の恋人を捜そうなんて呑気に考えていたところだった。

月海

……こういう嘘って、けっこう凹むもんなんだ

月海はもてるが、恋人が替わるサイクルはかなり早い。


短くて一ヶ月、長くて半年程度でコロコロと相手が替わる。


だから恋人がいない時期もそれなりにあって、いつもならそんなときは、今はフリーだとちゃんと自己申告していた。


どうせすぐに次の彼女が見つかると確信していたし、そうやっておおっぴらにアピールしたほうが、次の彼女候補が自分から立候補してくれて手間が省けるってことを、経験上知っていたからだ。


だから、彼女がいないのに、いるふりをしたのはこれがはじめてだ。


決して見栄を張っているわけではなく、女子高生達が美形の臨時教員を本気で好きになったりしないように予防線を張ってみただけなのだが、それでもなんだかちょっとだけこの嘘は胸に……というか、男としてのプライドに響く。




彼女いない歴の長い男が嘘をつくわびしさが、少しわかったような気がした。

女生徒

ガードが堅いって、インタビュアーの感想として書かせてもらいますね

インタビューを終えたふたりの女生徒は、楽しそうにふたりでなにか囁き、クスクスと笑いあいながら小走りで去って行った。

月海

うっわ~、可愛いなぁ

軽くひるがえるスカートの裾と、幼さの残る硬いラインの細い足。


眺めていた月海の唇は、思わずほころんでいた。


月海の名誉のために言わせてもらえば、決してエロ親父視点でにやけたわけじゃない。


女性には不自由していないし、月海の好みは常に自分と同年代の女性だったから、年下の女子高生は守備範囲外だ。


だからこれは、自分よりも幼く未熟な生き物を、純粋に可愛いと思う気持ちに近い。

月海

高校時代か……

高校と大学と、どっちが楽しかったかと聞かれれば、断然大学だ。


自由度も高いし、刺激も多かったから……。


でもその分、気楽に生きている今と地続きな感じがする。






だが、高校時代は違う。


学校や親に管理されているという閉塞感と、同時に守られている安心感の間で、常に気持ちが揺らいでいた。


今となっては酷く懐かしい、不安定な時代。

月海

あの頃は、もう大人なのにって思ってた

社会人になった今、あの頃の自分の心の動きを思い出すと青臭すぎてちょっと恥ずかしい。


もっとも、あと十年も経つと、今の考えすら恥ずかしいと感じるのかもしれないが……。

月海

これも、悪くない経験かもな

忘れかけていた懐かしい気持ちを思い出して、なにやら胸の奥がむず痒い。


走り去る女生徒達の後ろ姿を眺めながら、月海はノスタルジックな気分に浸って軽く微笑んでいた。

放課後、与えられた机でせっせと学校側に提出する報告書の類を作成していると、ひとりの男子生徒が訪ねてきた。


質問があるのかと思って座ったまま対応しようとしたのだが、彼は奥の席で仕事をしていた教師をちらっと見てから、

ちょっとだけ、廊下に出てもらえませんか?

と頼んでくる。


別に断る理由もなかったから、月海は素直に応じた。

俺を覚えていますか?

 廊下に出るとすぐ、男子生徒は自分の顔を指さしながらそう言った。

月海

えっと……

女子生徒ならともかく、男子生徒の顔になんて興味ない。


月海は、ろくに見ていなかった男子生徒の顔をあらためて観察しなおした。

月海

へえ……。ずいぶん、格好良い子だな

見事にサラサラな黒髪と、キリッと意志が強そうな眉と瞳が印象的だった。


若武者という言葉が似合う、理知的で気品のある和風の顔立ち。


目線の高さも体付きも、スレンダーな月海とほぼ一緒だったが、高校生だけにまだまだ未成熟な雰囲気がある。


彼がこの先順調に成長し続ければ、たぶん数年後には誰もがため息をつくような素晴らしい男になるだろう。




その将来に、そんな期待を抱かせる魅力を持った少年。

月海

こういう奴って、学校に絶対ひとりはいるよな

その表情や態度をひとめ見ただけで、誰もが一目置かずにはいられない、リーダーの雰囲気を生まれながらに身にまとった生徒。
 

たいていは、見た目通りに成績も優秀でスポーツも万能、それでも決して堅苦しくなく気さくな性格だったりなんかして、周囲に祭り上げられるまま生徒達のリーダーになってしまうような……。

月海

田宮みたいな奴だ

月海は、ふと自分の高校時代の友達を思い出した。


綺麗な顔とお気楽な性格のお陰で、高校時代から月海は人気者だったけれど、人望の面では田宮には全然かなわなかった。


一番目立つ場所に立つのはいつも田宮で、月海はいつも次点。


だが、そのことを不満に感じたことはない。


月海は、当時から自分がイロモノだってことをちゃんと自覚していた。


娯楽や息抜きには最適でも、真面目な組織の運営なんかには不向き。むしろサポートに徹したほうが、自分の良さを活かしきれるってことをよく理解していたのだ。




ちなみに、女の子達の人気は月海のほうが上だった。


バレンタインのチョコレートの数も、月海のほうがダントツに多かったし……。

月海

本気チョコは、あいつのほうが多かったけどな

だが、それに関しても不満は感じない。


田宮の場合は、机やロッカーの中に気合いの入った手紙付きのチョコが忍ばせてあったり、登下校で待ち伏せされては告白付きで手渡されていたらしい。


月海の周囲は、友達と連れ立ってチョコレートを持ってきてくれるような女の子達で溢れかえり、毎年恒例のお祭り騒ぎだった。


せっかく年に一度の楽しいイベント、あまり重苦しい感じになるのはごめん被りたかったから、月海的にはそんな賑やかさが心地良かったのだ。

……笠原先生?

清々しいくらいに凜々しい顔を眺めて、つい思い出に耽ってしまっていた月海は、男子生徒の声に我に返った。

月海

あ~、えっと、田宮……じゃなくて

ついうっかり懐かしい友達の名前を口走ってしまったら、男子生徒が形の良い眉を、ふと不愉快そうにひそめる。

月海

あっ、その顔! なんか見覚えある

月海は、男子生徒の顔をピッと指さした。


若武者風のキリッとした顔立ちに、不愉快そうにひそめられた形の良い黒い眉。


ちょっとしたことですぐ怒ってばかりいた女性の顔が、月海の脳裏には浮かんでいた。

月海

といっても、昔の知り合いの女性だけど……

あ、それ当たりです。というか、かなり近い

月海

え、ってことは……

プリプリピリピリと、ちょっとしたことで怒ってばかりいたのは、御堂夏生(みどうなつき)。


月海が大学時代につき合っていた恋人のひとりだ。


機嫌が悪いときは手がつけられなかったが、そうでないときは誰よりも気が合って、夏生との交際はなんと一年半にも及んだ。


ちなみに、これが月海の恋人との交際の最長記録。


ついでに言うと、歴代の彼女達とは常に円満に別れを迎えていた月海が、ただひとり本気で喧嘩して別れてしまった相手でもある。




彼女には、歳の離れた弟がいた。


姉弟だとひとめでわかる顔立ちだったが、弟の気性は夏生ほどきつくはなく、月海にもなついてくれていて、たまに会うとはにかんだように微笑んで嬉しそうに話してくれた。






あれから約五年……。

月海

夏生の弟?

 おそるおそる聞くと、男子生徒は頷いた。

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2│王子さまは誘惑する 1 (2)

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