一夜漬けで頭に叩き込んだ要点を黒板に板書しつつ、口頭でより詳しい説明をしていく。


生徒達に背中を向けている状態だから、いつもより幾分はっきりとした発音を心がけるのも忘れない。

月海

……さて、こんな感じで進めるつもりだけど、大丈夫かな?

臨時教師の笠原月海(かさはらつきみ)がくるりと振り向くと、板書をノートに書き写している者を除いた生徒達の好意的な視線が、すべてこちらに集まっていた。

月海

ふふん♪ にわか仕込みだってのに好感度バツグンじゃん。さっすが俺

子供の頃から人に注目されるのが大好きだった。


サービス精神も旺盛なほうだから、こんな風に注目されると、ついつい条件反射で無駄に愛想を振りまきたくなるが、臨時教師という立場上、さすがにそれはまずいと自分を抑える。




月海は、とにかく美形だ。

子供の頃からみんなにそう言われ続けてきたし、鏡を見るたび自分でも確かにそうだなと自覚する。


すっきりとした二重の切れ長の瞳と絶妙のラインの鼻筋、色白なせいでやけに赤く見える薄い唇がよく似合う、実に華麗で気品のある顔立ち。


すんなり長い手足が自慢の百七十三のスレンダーな身体には、細身のスーツがよく似合う。


しかも月海が好んで着る、ちょっと派手な素材や色を使ったスーツは、男臭さを感じさせない華麗な顔立ちにはもちろんのこと、生来の色素の薄い肌や瞳にもよく映える。




とはいえ、いま現在月海が着用しているのは、残念ながら並の仕立てのごく普通で地味なスーツだ。

月海の父

なるべく目立たないようにするんだぞ。
頼むから問題は起こすな。
ほんのしばらくの辛抱なんだからな

この私立の共学高校に、三ヶ月だけの臨時教師として雇われることが『強制的』に決まったとき、父親や兄達から口々にそう言われた。

月海

言われなくたってわかってるって

伊達に社会人はやっていない。
TPOぐらいきちんとわきまえている。


だから自主的に地味なスーツにしたし、うっかり女生徒に惚れられたりしないよう、無駄に愛想を振りまかずにいる。

月海

よし、問題なさそうだね。それじゃあ、これからもこんな感じで続けさせてもらうよ

愛想を振りまきすぎず、かといって冷たすぎず――ほどほどの微笑みを、自慢の顔に浮かべて、月海は授業を進めていった。

事の起こりは三日前の金曜日。

月海の父

月海、おまえ、教員免許なんて持っているのか?

不動産や建設事業を中心に発展した企業グループの社長である父親に呼ばれて、本社ビルの社長室に出向いた月海は、いきなりそう聞かれた。

月海

持ってるよ

せっかく世間でも認知度の高い企業の経営者一族に生まれたのだ。

月海は、大学時代からその恩恵に与る気満々で、教師になるつもりなどこれっぽっちもなかった。


だが、当時つき合っていた彼女が教職課程だったこともあって、教生という立場で母校に戻るのも楽しそうだなぁなどと好奇心を刺激され、気楽な気持ちで着々と単位を修得し、その流れでどうせならと教職員免許も申請してしまっていた。


資格を取ってどうかしようと思っていたわけじゃなく、話の種ぐらいにはなるかな程度の軽い気持ちだったのだが……。

月海

それが、どうかした?

月海の父

したんだ。――あのな、月海……。いや、笠原月海くん

父親は、その口調と表情をいきなり厳しくした。

月海の父

来週の頭から三ヶ月間、君には私立高校の臨時教師として働いてもらうことが決まった。
ちなみに、これは社長命令だ。
断ることは断じて許さんっ!

月海

……許さんって

滅多に見ない父親の真剣な顔に、月海は思わず、ぶっと噴き出していた。

月海

やだな、父さん。そんな高圧的な態度取ることないよ。ちゃんと事情さえ説明してくれれば、反抗なんてしないしさ

月海の父

そ、そうか? いや、実はな、父さんも困惑してるんだ

あからさまにホッとした父親は、とある有名代議士の名前を口にした。


その人との会食の際に、なぜか末っ子の月海の話題が出て、是非、とある私立高校の臨時教師を勤めて欲しいと要請されたのだという。

月海の父

その要請の仕方がほとんど脅迫じみていてな。
断ると、後々不都合が出そうなんだ

月海

なんで俺なんだろ?

月海の父

父さんが聞きたい。――月海、おまえ、代議士の身内の娘に手を出したことはないか?

月海

ん~、ないと思う。……たぶんだけど。
でも、もしあったとしても、恨まれるようなことはしてないはずだし

月海は、そりゃあよくもてる。


綺麗な顔とからっと明るい気性、さらには有名企業グループの三男坊という、煌びやかでなおかつ気楽な立場に惹かれた女性達が、月海に声をかけられるのを期待して順番待ちしているぐらいだ。


そんな環境だったから、月海には中高生の頃から、ほとんど途切れずに恋人がいた。


でも、つき合うのは常にひとりだけ。
決して二股をかけたりするようなことはない。


恋愛を純粋に楽しみたいから、二股による見苦しいトラブルなんてごめんなのだ。


恋人に対しては、常にオープンでスマートな対応を心がけることが月海のポリシーだ。

月海の父

そうだったな。……だとしたら、他になにか……

月海

父さん、考えるだけ無駄なんじゃない?

額に手を当てて深刻に悩む父親に、月海は気楽な調子で言った。

月海

女であれ男であれ、基本的に恨まれるようなことはしてないつもり。
でもほら、逆恨みってことだってあるしさ。
とりあえず、三ヶ月間だけ教師の真似事すればいいだけなんだろ?――俺、やるよ

 明るく言い切ると、父親は驚いたようだった。

月海の父

……おまえ、本当にいいのか?

月海

うん。ちょうどひと仕事終わったところだし……。
あ、でも、特別手当出してくれる? 
教師らしい服装一式、新しく買いそろえるからさ

必要経費ってことでよろしく、と月海は気楽な調子で父親にねだった。


普通のサラリーマンには到底見えない、少々華美すぎるオーダーメイドのスーツを着こなしている息子を眺め、父親は苦笑しつつ頷いた。

その日のうちに、これから三ヶ月お世話になることになった高校に顔を出し、諸々の説明やら教材やらを受け取ってきた。

夜は同じ部署の同僚達と一緒に、壮行会と銘打った飲み会。

翌日は、教師らしく見えそうなスーツや靴、バッグなんかをそろえてみた。


ブランドなどは前日学校に顔を出した際にチェック済みで、吊り下げのスーツに国内ブランドのバッグ等々、とりあえずは同僚になる教師達から浮かないように気を使ってみる。




不安要素は、なるべく少ないほうがいい。


父親には気楽にOKを出したものの、正直なところ、やっぱりちょっとだけ気が重い。


月海の父親は、それなりに大きな企業の経営者一族のトップとして業界で幅を利かせているが、当然ながら上には上がいるものだ。


逆らいきれない力にぎゅうっと圧迫されている父親相手に、嫌だ、不安だとごねたところで、たんに父親を困らせるだけだってことを月海はちゃんとわかっていた。


だからこそ、表面上は文句ひとつ言わずに気楽に引き受けてみせたのだ。


父親の七光を受けて、何不自由ない生活を享受し続けているんだから、この程度の気遣いは当たり前だろう。

月海は普段、企業グループ内で、持ち前の美意識を活かしたちょっと特殊なアドバイザー的仕事をしている。

そのせいで他企業への露出はけっこう多いほうで、仕事関係で名刺を配った相手は数知れず、いったいどこで誰の機嫌を損ねたのかさっぱりわからない。

いや、そもそも、恨みを買ったかどうかも定かじゃない。


父親はそう思い込んでいたようだが、月海はそれに関しては懐疑的だ。


恨みを買ったにしては、三ヶ月の臨時教師をさせるだけだなんて、あまりにもぬるすぎる仕返しだと思うからだ。




とはいえ、その三ヶ月の間に、なにか人生を狂わせるようなとんでもない罠が仕掛けられている可能性だってある。


でも猜疑心満々で緊張しすぎていては、これからの毎日が楽しくない。


それは嫌だから、とりあえずは油断せず、でも、なるべくいつも通りの気楽な調子でこの三ヶ月を乗り切ってやろう。




そんな風に、月海は考えていた。

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