結局、妙案は思い浮かばず、その日、いつにも増して八尋は不機嫌だった。

顔が半分隠れている状態だから分かりにくいが、全身からピリピリした雰囲気が漂っている。

役員たちにもそれは伝わるようで、誰もが腰が引けた状態で仕事を頼んでくる。

それでも、帝人だけは別だ。

八尋の不機嫌には気がついているだろうに、まったく気にする様子はない。

思いっきり八尋の痛いところを突いてくる点もさすがだった。

帝人

お前んとこのクラス、メイド喫茶だってな

八尋

そうだけど? すごい倍率の中を勝ち取ったって、文化祭委員が威張ってたから。……迷惑な

帝人

迷惑? ってことはお前、まさか……

八尋

ああ、そう。おかげさまで接待係だよ。可愛い系に交じって、恥をかけという意図でね。まったくもって、くだらない

帝人

やつら、手を出しあぐねてるからな。まぁ、眼鏡を取って前髪を上げりゃ、恥かくこともないだろ

宮内

え? 八尋くんのそれって、やっぱり変装?

帝人の言葉を聞き咎めて、渚が目をキラキラさせる。

八尋

やっぱりってなんですか?

宮内

んー…だって、面食いの帝人がかまい倒してるじゃない? よくよく見ると鼻筋通ってるし、唇もポテッとして可愛いし、輪郭だって綺麗でしょ。眼鏡と前髪とソバカスの印象が強すぎるから分からないだけで、見えてるパーツは整ってるんだよねぇ

八尋

………

いつも落ち着きなくはしゃいでいるから分かりにくいが、渚は意外と目端が利く。

勘も鋭いらしく、趣味でやっている株でガンガン貯金を増やしていると言っていた。

だが、まさか自分のことをそんなふうに分析しているとは思わなかった八尋は、顔をしかめるだけで特にコメントすることはなかった。

宮内

ボクは、そんな八尋ちゃんの顔がものすごーく気になる。だから八尋ちゃん、前髪上げて、目、見せて(ハート)

八尋

嫌です

宮内

そんなこと言わずに

八尋

嫌なものは嫌です。無理強いするなら、ボクにも考えがありますよ

宮内

考え?

八尋

このパソコンの中身、すべて消します。ハードごと初期化します。全部をディスクにコピーしてるわけじゃないでしょう?

宮内

うっ…そんなことされたら、ものすごーく困るんだけど

八尋

だからやるんですよ

毎日仕事を手伝っているのだから、データが消えたら大変なことになるのは分かっている。

今やほとんどの打ち込み作業は八尋に任され、八尋は打ち終わったすべてのデータをディスクにコピーしているが、渚はそのことを知らないから立派に脅迫の材料になる。

八尋

もちろんボクは、もう仕事を手伝いませんよ。打ち込み作業は各々でがんばってください

宮内

そ、そんなの無理~。タイピング、八尋ちゃんより速い人間いないし、みんなすでに手いっぱい仕事を抱えてるし……。何より八尋ちゃんが手伝ってくれなくなったら、生徒会の業務がパンクしちゃうよ

八尋

だったら、ボクの顔を見ようなんて思わないでください。ボクは、見せたくないんです

宮内

ううっ、分かった……

八尋

人の嫌がることをするのはやめましょうね

宮内

はーい…ごめんなさい

八尋

よろしい

素直に謝る渚に、八尋はにっこりと微笑む。

宮内

あ…なんか、可愛い……

八尋

……気のせいです

宮内

気のせいじゃないよ~。八尋ちゃんが笑ったとき、なんかこう…フワーッて可愛かった

八尋

気のせいですってば

宮内

ちーがーうーっ。絶対、絶対、可愛かった

やっぱりデータを消してやろうかと思ったところで、帝人が八尋を抱き寄せながら渚をジロリと睨みつける。

帝人

渚、俺の八尋に可愛いとか言うな

八尋

はっ?

宮内

えーっ。帝人ってば、独占欲? 可愛いくらい、言ってもいいでしょ

帝人

ダメだ。こいつに可愛いって言っていいのは、俺だけなんだよ

宮内

わーお。すっごい独占欲。帝人ってば、本当にやきもち焼きだねぇ。八尋ちゃん、大変だぁ

八尋

………

こんなやり取りも、初めてのことではない。


口説き落とすと宣言されてからというもの、帝人は事あるごとにこういった発言をしては八尋を困惑させる。

男から口説かれることには慣れているはずなのに、一回テリトリーに入れてしまった帝人からの言葉にはどう返していいか分からなかった。

八尋

あ、あの……

帝人

うん?

八尋

放して…ほしいんだけど

帝人

嫌だね

八尋

………

帝人のほうも心得ていて、うまい具合に八尋の腕を巻き込んで抱きしめ、叩き落とせないようにしている。

まさか暴れるわけにもいかないし、今にもキスされそうな距離に帝人の顔があって、八尋は身動きがとれずに硬直してしまった。

宮内

やーん、八尋ちゃん、可愛い。なんか、このところ帝人と仲いいよね~。よそよそしい喋り方もしなくなったし。何かあったの?

八尋

何もありません!

宮内

ムキになるところが怪しいし~。ま、親も認めた婚約者同士だったら、何かあっても当然だけど

八尋

婚約してませんからっ

宮内

はいはい。ボク、紅茶淹れようっと。今日のお茶菓子は料理部が差し入れてくれた濃厚チーズケーキでーす♪

八尋

………

人の話をちゃんと聞かないのがこの生徒会の特徴かと、八尋は顔をしかめる。

しかもそのうえ、帝人はいっこうに八尋を放してはくれず、器用に拘束したままの帝人にチーズケーキを食べさせられるという羞恥プレイまでされたのである。

さすがに暴れて嫌がった八尋だが、力の差は歴然だ。

もがいてももがいても腕一本の拘束に敵わず、グッタリと疲れきったところにグイグイ口の中へケーキを押し込まれることになった。

ものすごく、恥ずかしい。

しかし帝人の八尋に対するかまい方が今までとは違うのには役員たちも慣れっこで、婚約なんて衝撃的な言葉を聞いているせいかあまり気にもしてくれない。

もちろん八尋も変に囃はやし立てられるよりそのほうがありがたいのだが、こんなことをされるのを当然のように微笑ましく見つめられるとなんとも困ってしまう。

八尋

ううっ……

帝人

なんだ? 喉が渇いたのか? ほら、紅茶だ

八尋

………

今度は目の前に紅茶の入ったカップが差し出され、忌々いまいましげにそれを睨みつけていると帝人が楽しそうに言う。

帝人

暴れると、零れるぞ。まだ熱いから、服にかかったらすぐに脱がないと火傷するなぁ。ああ、もちろん、もしそうなっても親切な俺様が脱がせてやるから安心しろ

八尋

………

これは紛れもない脅迫だ。

その証拠に、目がやってみろばかりに面白がっている。


少しでも零したら嬉々として脱がされてしまうと理解した八尋は、ガックリと肩を落としておとなしく目の前のカップに口をつける。

こんなときでも渚の淹れた紅茶は絶品で、美味しく感じられるのが無性に悲しかった。

最初に八尋の作った料理を食べてからというもの、帝人は毎日夕食の時間になるとやってくる。

初めのうちは部屋に入れるのを警戒し、帝人の分はないと追い返そうとした八尋も、毎回まったく聞かずに部屋に入り込み、勝手に食べ始める帝人に諦めを感じ、今ではちゃんと二人分用意するようになっている。

この日のメニューはハンバーグと温野菜の付け合わせ、それにレンコンの甘辛炒めだ。

唐辛子をたっぷり利かせてゴマを振りかけたこれを、帝人はとても気に入っている。

弁当にも入れやすいので、よく作る一品だった。

すっかり料理が趣味になったこの頃ではお新香にも凝っていて、いろいろな浅漬けを作ってはポリポリと食べている。

そんなものには縁のなさそうな帝人まで嬉しそうに頬張っていて、さすがに寮で糠ぬか漬づけはやりすぎだろうかと思案しているところだ。

帝人

うん、旨い。お前の作る料理、不思議と毎日食っても飽きがこないな

八尋

ボクが作るのはお惣菜だから。いわゆる家庭料理っていうやつ。うちは母がいまだに時間のあるときはこういう料理を作ってくれるし、基本的にこういうのが好きなんだよね

帝人

メシが旨く感じるのが特徴か? 俺、食堂で食ってるときにお代わりなんかしたことないが、ここじゃ二杯以上が基本だもんな。この浅漬けがまた……

八尋

それ、セロリとナス。サラダに入れたセロリが余ったから、浅漬けにしてみた。うーん…でも、やっぱり糠漬けも欲しいなぁ

帝人

糠漬け? なんだ、それ

八尋

………

その言葉で、帝人が糠漬けを知らないのだと分かる。

確かにこの高校のお坊ちゃまたちは、そんな庶民的なものは口にすることはおろか、目にしたことすらないのかもしれない。

八尋

……米を精米するときに出る糠で漬けた漬物のこと

帝人

へぇ。旨いのか?

八尋

ちょっとクセがあるけど、ボクは好きだよ。おばあちゃんから分けてもらった糠で、母が漬けてたから

元お嬢様で何もできなかった母に、家事一切を教えたのは父方の祖母だ。

そのせいか、母の作る料理は和風の惣菜が多い。

糠床もとても大切にしていて、東京の家にあるが留守にするときは家政婦に管理をしっかり頼んでいるらしい。

帝人

いいな、それ。ぜひ、やってみてくれ。料理上手で家庭的な妻か…なぁ、八尋。俺の嫁になる気になったか?

八尋

………

いつものニヤニヤ笑いではなく、真顔でそんなことを言う帝人に、八尋は警戒の視線を向ける。

八尋

……それ、本気で言ってる?

帝人

もちろんだ

八尋

どうして? 顔が好みだから? 目元のホクロが色っぽいから? エロいって、お気に入りだもんね、これ

自嘲するような表情で言う八尋に、帝人は苦笑を浮かべる。

帝人

お前、本当に自分の顔にコンプレックスを持ってるんだな

八尋

コンプレックス?

帝人

お前のそれは、立派にコンプレックスだろう。男受けが良すぎてつらいことが多かったから、自分の顔が嫌いになってる

八尋

そう…かもしれない……。だってボクは、一目惚れなんて信じない。ボクの顔を見て、好きですとか言われても信じられない

帝人

言っておくけど、俺はお前に一目惚れなんてしてないからな。そりゃあ、やけに綺麗な顔をしてるとは思ったが、それで惚れたわけじゃない。最初は両親が、何をトチ狂って男の婚約者を連れてきたのか、面白がってただけだ

八尋

……知ってる。お前、めちゃくちゃ感じ悪かった

帝人

あんなに愛想良くしてたのにか?

八尋

あれを愛想良くと言うほうがおかしい。ボクは、バカにされ、からかわれているとしか思えなかった

帝人

からかいはしたが、バカにはしてないぞ。純粋に、あの母親が気に入ったっていうやつを見てみたかったんだよ。外面はいいが、好き嫌いの激しいババアだからな

その言葉に、八尋は首を傾げる。

八尋

ただのミセスマリーのときも、すごく明るくて公平な人だと思ったけど? 誰にでも平等に接する人じゃない?

帝人

そりゃ、そう接するさ。そういう立場の人間だ。心の中でどう思っていようと、それを顔に出すほど浅慮じゃないからな。でも、だからって好き嫌いがないかというと反対で、うちの母親が気に入っている人間なんて、ほんの一握りしかいない。実際、お前の姉や妹は好きじゃないんだろう。もし気に入ったのなら、八尋じゃなくお前の姉か妹を連れてくるはずだからな

八尋

……ボランティアで、二回か三回しか会ったことないのに

帝人

人となりを見るには充分だったんだろ。見る目はある女だから。だてに鷹司の総帥夫人はやってない

八尋

だからって……。帝人が言ったとおり、ボクは自分に自信がない。顔だけ見て好きだって言われてきたから、この顔も嫌いだし……。どうしてミセスマリーが…鷹司夫人がボクを気に入ってくれたのか、ちっとも分からない

帝人

意外と、自分のことは分からないものだからな。お前は、可愛いよ。顔だけじゃなく、全部がな。渚も、鬱陶しい前髪と眼鏡で顔を隠した八尋を見て、笑ったところが可愛いって言ってただろうが。お前と触れ合ってみれば、お前が可愛いことなんて分かるんだよ。これは、顔じゃなくて態度とか、ちょっとした仕種とか、そういうことだぞ

八尋

………

帝人

俺も、気に入ったのはお前自身だって、何度も言ってるだろうが。俺に盾突くやつなんて他にいないし、一緒にいて飽きないからな。重要だろう?

八尋

ボクは暇潰しのオモチャ?

帝人

バカ言うな。オモチャを嫁にしようっていう男がどこにいる。俺はな、純粋にお前が気に入ったんだよ。見ていて可愛い、一緒にいて楽しいっていうのは重要なポイントだ。それに何よりお前は、鷹司に呑み込まれなさそうだからな

八尋

鷹司に……?

帝人

ああ。鷹司の名前が重いのは、お前にも分かるだろう? 金と権力は人間を変えるからな。宝の持ち腐れにせず、かといって振り回されない人間じゃないと、鷹司の名前を名乗らせるわけにはいかない。鷹司の下に生まれたというだけで驕おごったやつらが、これまでに何人廃嫡になったか知ったら驚くぞ

八尋

ボクだって、そんなふうになるかもしれないし。たとえば、うざったいファンクラブの連中を片っ端から潰していくとか

帝人

お前、そんな面倒なことするか? しないと思うけどな。実害があれば容赦なく断罪するだろうが、害がなきゃ気にもしないだろう? でなきゃ、全校生徒に睨まれている状態で平然とここにいられないよな? 普通、怖気づいて自主退学するような状況だぞ

八尋

ボクは悪くないのに、なんで自主退学? 絶対、ごめんだ。退学するときは、やつらも道連れにしてやる

フンッと鼻息も荒く言う八尋を、帝人は目元を緩ませて見つめる。

帝人

ほらな。そういうところがいいんだよ。いくら綺麗で可愛くても、ただ守られるだけのお人形なんて欲しくないからな。俺が欲しいのはお前だよ、八尋

八尋

………

熱っぽい口調とともに熱い眼差しを向けられて、これは確かに口説かれているのだろうと八尋でさえ分かる。

帝人

お前は? 俺が、欲しくないか?

八尋

あ……

呑まれる…と感じたのは、きっとただの気のせいではないはずだ。

百戦錬磨の帝人に八尋が敵うはずもなく、帝人の瞳に見とれているうちに顔が近づき、キスされるのだと分かった。

八尋はソッと目を瞑つぶり、帝人のキスを受け入れる。

八尋

―――

優しい、キス。

こういったことには嫌な記憶ばかりある八尋を怯えさせないようにか、触れ合わせ、ぬくもりを交換するだけで離れていった。

八尋

………

再び目を開けた八尋は、そこに帝人の優しげな目を見つける。

今回のキスは、今までとは違って不意打ちではない。

八尋自らが望んでしたのではないものの、消極的にとはいえ自分の意思で受け入れたのは確かだ。

―――自分が変わりつつあるのだと、認めないわけにはいかなかった。

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12|婚約者は俺様生徒会長!?

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