★★★

八尋の生活には、一見平穏が戻ってきた。

生徒会の補佐をすると発表されてからは、帝人のファンだけでなく他の役員たちのファンの恨みまで買ってしまったが、泣き寝入りはしないという宣言をしているせいか嫌がらせの類は一切なく、ファンクラブの面々も遠巻きに憎々しげに八尋を睨みつけるだけだ。

睨まれるだけなら、なんの実害もない。

たとえそれがほぼ全校生徒とも思える相当な数の生徒たちで、神経の弱い人間ならそれだけでまいってしまいそうな目つきだとしても、八尋にはなんの影響も与えなかった。

それがまた彼らには憎々しくもふてぶてしく映り、ますます怒りを募らせることになるのだが、八尋はまったく頓着しなかった。

変わらぬ、生徒会に呼び出されての手伝い。

八尋にとっては迷惑極まりないそれらの作業が、なかなかお近づきになれないファンクラブの面々には羨ましくて、妬ましくて仕方ない。

高校の敷地内には、あちこちに防犯カメラが設置されている。

もちろん寮の部屋の中やトイレといったプライベートな空間にはないが、それ以外はかなりの部分がカバーされていた。

八尋はその位置を頭の中に叩き込み、どこに移動するのでも必ずカメラの前を通るようにしている。

万が一にでも拉致されないようにとの警戒だった。

手を出せないことで彼らの怒りと憎悪は深いところにどんどん溜まっていき、ボルテージを増していくばかりだ。


一触即発…だが、硬直状態。

なんとも危なっかしい状況なのは間違いなかった。

八尋が生徒会の仕事を手伝い始めて分かったことは、帝人が意外にも有能だということだ。

時折フラリとサボったりするものの指示は的確だし、自身も相当量の仕事をこなしている。

おまけにすでにいくらか父親の仕事に関わっているということで、週に一、二回ほど会社の秘書がやってきてはしばらく会長室に閉じこもってしまう。

遊んでばかりで手の早い節操なしというのは、一部八尋の誤解だと認めるしかなかった。

近くで見ているうちに八尋は帝人を見直したが、手の早い節操なしという評価については変わりない。

相変わらず帝人は隙を見て抜け出し、適当に見栄えのいい生徒に手をつけているらしい。

相手も同意のうえだからいいのだろうが、名前も知らないし、聞く気もない相手…しかも毎回違うというのはどうなんだと呆れてしまう。

そのくせ何かと八尋に密着してくるのだから、八尋はイライラさせられた。

しかし当然のように隣に座られ、さりげなく肩やら腰やらに手を回されるのを、毎回毎回きっちり叩き落とすのも面倒だ。

毎日繰り返されているうちに八尋はいつの間にか帝人の気配に馴染み、少しずつガードが緩くなっていることに気がつかなかった。

週末は自分の部屋でこもりっきりになり、本を読んだり勉強をしたりして過ごすのが八尋の習慣になっている。

ここのところ毎週のようにあった生徒会からの呼び出しもなく、久しぶりに自由な時間を満喫しようと考えていたのに、母から電話で来るように言われてしまった。

前回呼び出されたときは帝人との婚約話だったことを考えると、ぜひとも固辞したい八尋だったが、あいにくとそれは許されない。

帝人との話は一切しないから、絶対に来るように言われたのである。

しかも呼び出しの理由は、パーティーへの強制参加だ。

とにかく来い、絶対に来いと言われ、八尋はしぶしぶ山奥から脱出することになった。

迎えの車の中には、シャツブラウスにタキシード、ブラックタイにエナメルの靴まで用意されている。

どうやらパーティーは盛大なものらしい。

八尋

なんでボクがパーティーなんかに

八尋はブツブツと文句を言いながら、車内で着替えをする。

前髪を上げてムースでセットし、顔のソバカスを消すと、さすがにタキシードを着て転寝うたたねするわけにはいかない。

道中、八尋はきちんと背筋を伸ばしてシートに座って、上野と話を弾ませた。

この前とは違う、だがあまりホテルに詳しくない八尋でも聞いたことのある一流ホテルの前で車が停まる。

八尋

ここ?

上野

はい。奥様は、ロビーでお待ちとのことです

八尋

ああ、やだなぁ……

パーティーなんて気が重い。

いつもの格好ならともかく、顔を晒しての参加は鬱陶しいことになるのが分かりきっていた。

もっとも、街中のナンパと違って、パーティーに招待されているような人々は無様な誘い方をしないのは助かる。

相手にも外聞があるから、しつこくしたり力ずくだったりなんてことはない。

それでも男に言い寄られるのは八尋を落ち込ませ、溜め息を漏らしながら中に入ってみると、ロビーにはパーティーに招待されているらしい華やかな装いの男女が何人も見受けられた。

八尋、ここよ

そう笑って手を振る八尋の母も、落ち着いたピンクのドレスに身を包んでいる。
いかにも大人の女性といった感じの、上品で美しいドレスだ。

着飾った人々が周りにたくさんいるにもかかわらず、盛装した母は人目を引く。

八尋の真っ直ぐで艶やかな黒髪と、潤んだような黒い大きな瞳は母譲りだ。
こうして改めて見てみると、自分はつくづく母に似たのだと思い知る。

さすが上野さんだわ。時間ピッタリよ

八尋

ボクは、パーティーなんか出たくないんだけど

不満いっぱいでそんなことを言う八尋に、母は肩を竦める。

あら、そんなこと言って。今日のパーティーには基樹(もとき)くんが来るのよ。だから八尋も呼んだんじゃないの

八尋

基樹が?

昔から可愛がってもらっている年上の従兄弟いとこの名前を出されて、八尋は目を輝かせる。

八尋

基樹、帰ってきてるんだ?

八尋の父と母は、結婚を反対されて駆け落ち同然に家を出た。

父は普通のサラリーマン家庭だが、母はそれなりに名の通った家のお嬢様だったのだ。

今は父も財を成したからある程度母の一族とも関係が修復されているものの、やはり駆け落ちした娘とその相手ということでわだかまりが残っているらしい。

基樹の父親である母の兄とは駆け落ち後もコッソリ連絡を取り合っていて、いろいろ手助けしてくれたとのことだった。

母の実家の家業はその基盤を、日本とアメリカ半々に置いている。

基樹も家業を継ぐべく大学からアメリカに住み、今は卒業して一族の経営に関わっている。

八尋がアメリカにいたときは同じ街に住んでいるということでしょっちゅう会っていたが、日本に帰ってからはなかなかそうもいかなかったので、基樹と会うのは本当に久しぶりだった。

基樹は八尋におかしな目を向けない貴重な人間だ。

親戚にすら舐めるような視線で見られることのある八尋にとっては、安心して甘えられる数少ない相手である。

基樹と会えるなら、苦手なパーティーも我慢しようと思った。

基樹くんは今夜、このホテルに部屋を取っているのよ。久しぶりだから、あなたもお泊りしなさいって。パーティー中はゆっくりお喋りなんてできないものね

八尋

それならパーティーなんか出ないで、部屋で待ってるのに……

まぁまぁ。せっかくだから、腹ごしらえしていきなさいな。ただ部屋で待っているのは退屈でしょ

八尋

先に言っておいてくれれば、本か何か持ってきたのに……

たまには私も、息子を見せびらかしたいのよ。少し付き合ってちょうだいな。会場で基樹くんに会ったら、キーをもらって部屋に行けばいいわ

八尋

うー……

面倒くさいと思いながら母の後についていくと、このホテルの中で一番大きなホールに辿り着く。

ロビーに人がたくさんいたので想像はついたが、やはり盛大なものらしい。

入口で招待状を見せて中に入ると、母は早速知人を見つけて挨拶回りだ。

八尋もそれに付き合って控えめながら愛想を振りまき、母から解放されるまでに小一時間を要した。

八尋

はー……

社交は、八尋のもっとも不得意とするところだ。

顔を晒して好色な視線を向けられるのも、顔を隠してバカにしたような視線を向けられるのも好きじゃない。

さすがに今回挨拶をした人たちは上品なもので上手に隠していたが、その手の視線に敏感な八尋は何度も背筋をゾクゾクさせられた。

ようやく一人になれて、ホッとする。

ウエイターから受け取った飲み物で渇いた喉を潤し、皿に料理を盛って壁際にしつらえてある椅子に座って食事した。

八尋

んっ…美味しい

煮込み料理の類は量をたくさん作ったほうが美味しいという。

その言葉どおり、このホテルの牛スネ肉のトマト煮込みは絶品だった。


自分では絶対に作れそうにない料理ばかり取ってきて、ニコニコしながらそれを食べていると、隣に座った男が声をかけてきた。

美味しそうに食べるね

八尋

……はい、美味しいですよ

推定年齢、三十七、八歳。

青臭さはすっかり抜け落ちているが、まだ四十歳にはなっていないだろうという感じだ。

いかにも精力的で、仕事も私生活も充実しているのが分かる自信に満ちた顔つきである。

なかなかのハンサムではあるが、八尋は苦手なタイプだった。

この手の人間は、弱気を見せるととことん付け込もうとする。

しかも自分に自信があるから、やんわりとした拒絶では通じないのだ。

八尋

むっ…ちょっと、帝人に似てるかも?

そう思うと、邪険に扱える自信がある八尋である。

もっとも、相手がどんな立場の人間か分からないから、そのあたりの加減が難しい。

八尋

あー…パーティー、面倒くさっ

両親が招待されているということは、どこかで関係が繋がっている可能性があるということだ。

下手な態度に出て怒らせたら、実は父親の重要な仕事相手だったということもありえる。

八尋

やっぱ、逃げるのが一番か……

男は八尋に向かってしきりに話しかけ、八尋も適当に返事をしていたが、心なしか先ほどより距離が縮まっているような気がする。

何やら目つきも妖しくなっていて、八尋はまずいと思いながら慌てて言う。

八尋

お話中、すみません。ボク、もうちょっとご飯食べたいので、取ってきますね

ポイントは少し子供っぽい口調と、控えめな笑み。

有無を言わさず立ち上がり、相手が何か言ってくる前に会釈して歩きだす。

まっしぐらにビュッフェコーナーを目指し、先ほどとは違う料理を皿に載せて、来た方向とは反対側の椅子に座って食べ始める。

―――

広い会場の隅のほうでひっそりと壁の花をしているのに、次から次へと人が寄ってくるのが鬱陶しい。

若いのから中年まで幅広い年齢層から声をかけられるわりには、そのすべてが男というのは悲しいものがあった。

日本人形を思い起こす八尋の美貌が特に外国人に受けがいいのは、アメリカにいたときに実証されている。

この会場にもあちこちに外国人らしき姿が見受けられるが、その数はせいぜいが一割二割といったところだ。

それなのに、八尋に声をかけてくる男たちの半数が外国人なのはどういうことなんだろうかと、八尋は内心で罵声を上げる。

コンバンハ

八尋

……こんばんは

またかと思いつつ返事をして、せっせとフォークを口に運ぶ。

八尋に英語は分からないと思っているのか男はつたない日本語で名乗り、一生懸命話しかけてくる。

金髪でブルーアイの優しそうな人だし、好色な目つきも見受けられない。

しかしいくら好感度が高くても、ナンパはナンパだ。

二十代半ばはいっていそうな大人の男性が、高校生を掴まえてお友達になりましょうはありえない。

なので、自然と八尋の返事は「はぁ」、とか「ええ」といったつれないものになってしまう。

ここで愛想を振りまくと、携帯電話の番号交換からデートの約束まで持っていかれるのは今までの経験で分かっていた。

八尋

ええっと、ボク、お代わり取ってくるので

この言葉でその場から離れるのは五度目。

いい加減満腹で、もう一皿デザートを食べられるかどうか迷うところだ


しかし先ほどの男性の視線をいまだに感じるので、八尋は中央のビュッフェコーナーに足を向ける。

LINK

8|婚約者は俺様生徒会長!?

facebook twitter
pagetop