広々とした生徒会室は静かで、紙をめくる音とキーボードを打つ音くらいしかしない。

時折交わされる会話といえば必要最小限の事務的な内容で、八尋の横にどんどん書類が積み上げられていくことからも、忙しいという言葉にウソはないようだった。

それぞれが自分の仕事に没頭し、ふと集中の途切れる瞬間がある。

志藤

八尋くん、少し休憩しないかい? 渚がスコーンを持ってきてくれたんだよ

八尋

はい

八尋はキリのいいところで打ち込み作業をやめ、保存してからお茶の準備がしてあるテーブルへと移動する。

志藤

そこのソファーに座ってね。紅茶でいいかな?

八尋

はい

目の前に置かれたのは、ウエッジウッドのジャスパーシリーズ。

高校の生徒会で使うには高価すぎるそれに、八尋は眉を寄せる。

八尋

……このティーセットは、どなたかの持ち込みですか?

志藤

え? 生徒会のだよ、もちろん。何代か前にこれに替えたって聞いているけど。このシリーズはそれほど高くないし、定番だから割ってしまっても買い足しが利くだろう? 倹約できていいよね

八尋

………

そもそも備品でこんなものを使うこと自体、倹約という言葉からほど遠い気がする。

八尋

ガサツな高校生なんて、百円ショップのマグカップで充分だっての

ITという分野で一代にして財を築いた八尋の家は、基本的に庶民派である。

父は普通のサラリーマンの子供として育ったし、元お嬢様だった母も父と結婚してから数年は自分で家を切り盛りしなければならなかったので、それなりに広い家に住んでいる今も、母は通いの家政婦を雇いながら自ら料理を作ったりしている。

八尋もアメリカに移るまでは普通の公立小学校に通っていたし、この高校に通うお坊ちゃまたちとはだいぶ金銭感覚が違う。

八尋

あ…美味しい……

なんの気なしに口に運んだ紅茶は、香りが良くて味がしっかり出ているわりに渋みがほとんどない。

どちらかというとコーヒー党であまり紅茶は飲まない八尋は、思わず感心してしまった。

すると書記をしている宮内渚が、その大きな目をクリクリさせながら嬉しそうな顔をする。

宮内

この葉っぱは、ボクの持ち込みなんだよ~。グランマが、イギリスから送ってくれるんだ。このクリームとジャムもそう。イギリス人はお茶に関してうるさくて、葉っぱやスコーンなんかに気を使うんだよねぇ。クリームとジャムをたっぷりつけて食べてみて

八尋

はい

八尋は甘いものが好きだから、断ったりしない。

自分の食生活にはないスコーンに興味を抱きつつ、言われたとおりクリームとジャムをたっぷりつけて齧かじってみた。

八尋

ん…美味しい。すごく濃厚なクリームですね。ジャムもあまり甘くないから、酸味と絡み合って絶妙な感じ

宮内

そうでしょう? どっちも大手メーカーのものじゃないんだけど、美味しいんだよねー。あ、ちなみにそのスコーンはボクが作ったんだよ。購買でスコーンは売ってないからねー

八尋

え? これ、自分で作ったんですか? すごいですね

宮内

日本で美味しいスコーンが食べられないってグランマに泣きついたら、特訓させられた。そんな難しいものでもないしね。スコーンだけ自分で焼ければ、クロテッドクリームやジャムはグランマが送ってくれるから、たまにこうして作るんだ

八尋

スコーンって初めて食べましたけど、美味しいです

宮内

生徒会には、授業免除の他に、料理部からの差し入れっていう特典もあるんだよ。料理部の部長が友達でねー、食材から調理までしっかり監視してもらってるから安心して大丈夫

八尋

……安心? 食中毒の心配はしなくていいという意味ですか?

宮内

そうじゃなくて、催淫剤を入れられたりとか、惚れ薬を入れられたりとか、その他に爪やら髪の毛やら…そっちの心配。迂闊にもらったものを食べられないからさ

八尋

……大変ですね、人気者は。爪とか髪の毛……

志藤

お呪(まじない)の一種なのかな。食べてる途中でそんなのが出てきたら、気絶ものだよね

八尋

うっ……

想像すると、気持ち悪くなる。

そんなものを警戒しないといけないとは、人気があるのも考えものだった。

八尋

本気で同情します

志藤

……ありがと。なんか、複雑だけど。でも、まぁ、そういうわけだから。八尋くんには申し訳ないけど、これからもよろしくね。ホント、忙しいんだよねー。処理能力の高い人が増えるのは大歓迎なんだ。何せ会長がサボり魔だからさー

いったいどこをふらついているのか、帝人はずいぶん前から姿を消している。

志藤

でも、そのうち戻ってくると思うよ。あれで結構甘いもの好きだから、お茶の時間には戻ってくるんだよ

八尋

へー、意外。甘党ですか?

志藤

んー、辛いのも甘いのも好きな両党派?

八尋

さすが、節操なし。食の好みまでそれですか

顔をしかめて呟くと、渚がケラケラと笑う。

高見

確かに節操なしだよねー。八尋ちゃん、面白いこと言うね

八尋

ボクは、面白いことを言っているつもりはないんですが

副会長と高見は複雑な表情を浮かべ、副会長が苦笑しながら言う。

志藤

帝人相手に節操なしなんて言える人は、あまりいないから。生徒会の人間でも、帝人に遠慮なく喋れるのはほんの二、三人だよ。何しろ、幼等部の頃から同じ顔ぶれだからね。ある程度の年になると、自分の位置関係とか分かってくるし。みんな、遠慮しちゃうんだよ

八尋

面倒な環境ですね

志藤

ボクもそう思うけど、仕方ないかな。ここも、小さな社会だから。学生のときくらいしがらみなんて考えずにのんびり過ごしたいけど…親の会社のこととかを考えていては、友達を作るのも難しくて。ただの喧嘩も大事になるから

帝人や副会長にその気がなくても、周りの生徒たちが喧嘩の相手を厳しく糾弾するのだろうと簡単に想像がつく。

今のような組織だった制裁はないにしても、暗黙のうちに苛めくらいはあったような気がする。

そんなことが何回か続けば周りは帝人たちに盾突かないようにするだろうし、帝人たちも口喧嘩すらできなくなってしまう。

無意識のうちに階級分けができ、今のような形で生徒会が特別視されるようになったのだと分かった。

それに比べれば公立校は呑気で、アメリカは自由だった。
男に言い寄られる不愉快さはあったが、伸び伸び育ったとは思う。

これじゃあ帝人が俺様で傲慢になるのも仕方ないかと思っていると、タイミング良く扉が開いて当の本人が戻ってきた。

帝人

お、旨そう

高見

サボリ魔が帰ってきた~

志藤

帝人、ちゃんと仕事してください

宮内

そうですよー。仕事、溜まってるんですから

遠慮がちながらしっかり文句を言う役員たちに、帝人はスコーンを頬張りながら悪びれることなく言う。

帝人

うるさいぞ。ちゃんと補佐を置いていっただろうが

志藤

それはそれ。中神くんは優秀なのでずいぶん処理してもらったけど、帝人にしかできないことはたくさんあるんだからね

帝人

分かった、分かった

実際、八尋が打ち込んだ書類の中にも、会長のサインが必要なものがいくつかあった。


帝人は適当に返事をして八尋の隣に座り、馴れ馴れしく肩に手を回してくる。

なので、八尋もきっちりそれを叩き落としてジロリと帝人を睨みつけた。

八尋

触らないでくださいってば。どうしてボクの隣に座るんですか?

帝人

空いてるから

八尋

他にも空いてますよ。あの、いかにも無駄に立派な椅子とか

誰も座らないところを見ると、会長の椅子なのではないかと思う。

帝人

細かいことは気にするな

八尋が座っているのは三人くらいは座れそうなソファーだが、隣に来た帝人はスペースに余裕があるにもかかわらずやけに密着してくる。

おまけに隙あらば腰に手を伸ばしてくるし、しまいには顔まで近づけてくるセクハラ三昧だ。

八尋はその顔を掌でグイグイと押し返す。

八尋

セクハラはやめてください、エロ会長

帝人

お前こそ、エロ会長と言うのはやめろ

八尋

思いっきり嫌がっている相手にキスしようとする節操のない男は、エロ会長と言われて当然だと思いますが。まさかご自分を、品行方正な堅物とは言わないでしょう?

帝人

いや、見ようによっては……

八尋

どこから見ても無理でしょう

きっぱりと言いきる八尋の味方は、役員たちである。

志藤

無理だねー。品行方正はないよ

高見

無理、無理。いくらなんでも堅物は、ありえない

宮内

はい。ありません

一緒に休憩していた生徒会の面々が、意見を揃える。

普通の生徒にとっては憧れの的の生徒会長も、ここでは特別扱いはしないらしい。

さすがに一年生は遠慮がちだが、それでもしっかり同意を示す姿が見られる。

彼らは八尋の外見について嫌悪感を見せなかったし、八尋のタイピングが速くて正確なのを知ると、感謝の目を向けてきた。

生徒の自主性に任せるという方針の下、生徒会には相当な量の仕事があるからこそである。

蔑みの視線を向けずに普通に話しかけられるのは嬉しいし、美味しいお茶とお菓子もある。


帝人の存在さえなければ、生徒会室はなかなか居心地が良さそうだった。

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7|婚約者は俺様生徒会長!?

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