★★★

帝人と生徒会の面々に声をかけられた翌日の朝は、起き抜けからしてすでに気が重かった。

とてもではないが食堂に行く気にはなれなかったのでトーストと目玉焼きで簡単に朝食をすませ、重い足取りで寮を出て校舎へと向かう。

八尋

………

思っていたとおり、早速嫌がらせをされていた。

八尋が登校してみると、ロッカーの鍵が壊されてゴミが詰められ、机も同じような有り様だった。

もっとも八尋は常日頃からロッカーも机も中身を持ち帰るようにしていたので、実質的な被害はない。

しかしだからといってこのままにしておくわけにはいかないし、自分が片付けるのも腹立たしいので、高校の総務課に電話して被害状況を訴えた。

ほとんど使うことのない携帯電話には、両親とアメリカにいたときの数少ない友人の他は、こういった事務的な番号で埋められている。

この変装のまま入学するに当たって、常に万が一のことを考えて必要な番号はすべて登録してあった。

嫌がらせの通報に職員が飛んできて写真を撮り、指紋を採取して、綺麗に片付けていってくれる。

それを見て、ざわめく教室。

激しく動揺する一部の生徒たち。

最初の嫌がらせで八尋が総務課に電話するとも、職員がまさか指紋まで採るとも思わなかったのか、思っていたよりもずっと大仰なことになっているという怯えが見えた。

な、何、それ。いきなり学校側にチクるってどういうこと?

八尋

学校の設備が被害に遭ったんだから、報告は当然のことでしょう。ロッカーも机も、貸与されているだけで高校のものなんですから

だからって……

八尋

それにボクは、おとなしくイジメの被害者になるつもりはありませんし。何かあったらいちいち学校側に報告して、証拠を残していくつもりですよ。生徒の自主性に任せるなんて言っていても、学校側はイジメには過敏です。イジメそのものより、それが表に出ることをね。だからボクは、学校側に知らなかったと言わせないためにすべてを報告して、何か…そう本気でボクを怒らせるようなことが起きたら、告訴も辞さないつもりです。そのときの被告はこの高校と…あとは誰でしょうね?

言いながらグルリと教室内を見回すと、誰も彼もが顔を背け、俯き、視線を合わせようとしない。

身のほど知らずにも生徒会の面々に近づいた八尋に制裁を加えたいと思っていても、自分が被告人になるのは絶対に避けたいと誰もが思っている。

そんな不名誉なことになれば、未来が潰れる。

もしイジメの首謀者だなんていう烙印を押されれば、広いようで狭い上流社会から爪弾きにされるのは必至だった。

そんな貧乏クジを引きたい人間がいるわけもなく、実行犯はもちろんのこと、ニヤニヤと笑って彼らのすることを見ていたクラスメートたちも八尋の目を見ることができないのだった。

―――中神八尋は面倒な相手。
迂闊には手が出せない。

それが高校中に広まるのに、大した時間はいらなかった。

一見するといつもどおりの教室は、ひどくピリピリしていた。

朝の宣言が効いたのか直接的な嫌がらせこそないものの、授業中も休み時間も、突き刺さるような視線を感じる。

特に休み時間はひどく、ヒソヒソにしてはやけに大きな声での悪口はうるさいし、教室の入口には物見高い生徒が鈴なりだった。

どうやらすでに八尋が最終的には告訴も辞さないと宣言したのが広まっているらしく、睨みつけられたり罵られたりするくらいですんでいるのはありがたい。

いくら鬱陶しくても実害さえなければ、八尋は気にしなかった。

友達でもない、ただの顔見知りがなんと言おうが関係ない。

八尋には繊細な顔立ちに似合わないそういう図太さがあったし、だからこそこの高校の、やけに伝達の速いネットワークには感謝した。

八尋

……でも、油断はしないけどね

簡単に引き下がるほど、ファンクラブの幹部たちは甘くない。

さすがに裁判沙汰は忌避したいだろうから安易に手を出してこなくても、生徒会に近づいた八尋への制裁を諦めるという可能性は極めて低かった。

八尋

今回は、警告や脅しはなしで、一気に暴行狙いかな……?

しかも、ただの暴行ではない。

裸に剥いて複数の人間にレイプさせ、その一部始終をビデオに撮っては脅迫の材料にするというのがこれまでのやり方だったらしい。

画像を校内で公開されるくらいならまだマシで、インターネットにでも流されたらもう回収のしようがない。

もし画像と一緒に名前などの個人情報も出されれば、そのあとの被害は想像するのも怖いほどだ。

八尋

もし、そんなことになったら……

自分はどうするのだろうかと、八尋は考える。

八尋が入学してからの一年半の間に、三人の生徒が自主退学していった。

それがファンクラブのせいだとは断言できなかったが、三人が三人とも生徒会の人間に近づこうとしていたので、当然ファンクラブが動いたのだろうと考えられていた。

実際、退学する前の憔悴ぶりはひどいもので、誰の目にも彼らが相当追い詰められているのは明らかだった。

八尋

………

ファンクラブの理不尽さに負けたくはないが、ある程度の護身術を身につけていても、数で来られたら敵わない。

自分がレイプされているところを撮られ、インターネットに流すと脅されたら闘えるかどうか分からなかった。

八尋

……とにかく、気を抜かないようにしよう

幸いこの高校には、あちこちに防犯カメラが設置されている。

廊下や階段などの、公共スペースにだ。

八尋はそれらの場所をきっちり把握しているので、なるべくそこを通るように心がけて移動していた。

万が一のための用心が、今や必須である。

八尋

アホエロ会長めっ

八尋は心の中で、憎々しげに怨嗟の言葉を零す。

そんなとき…突然、机の中で携帯電話が振動した。

長く続くそれがメールではないことを示していて、八尋は慌てて携帯電話を取り出し、覚えのない番号に眉を寄せながら通話ボタンを押す。

八尋

……はい?

よぉ、八尋

八尋

エ……

思わずエロ会長と言いそうになって、グッと言葉を呑み込む。


今、八尋がいるのは教室だ。

この場にいる誰もが八尋を睨んでいる中、電話の相手が会長だと知られたらまた面倒なことになってしまう。

八尋

……どうしてこの番号を知っているんですか?

帝人

お前の母親に教えてもらった。何せ、ほら、婚約者だから

八尋

………

八尋は無言で通話を切り、今かかってきた番号を着信拒否設定にする。

これでとりあえず、帝人の電話に煩わされることはなくなった。

寮の自分の部屋に戻ったら、なんで勝手に番号を教えるんだと母に文句を言ってやろうと心に決める。

女がダメなら男を…と考える母の柔軟すぎる思考には、いくら親心だと言われても辟易してしまう。

しかもよりによって相手として帝人を連れてくるなんて、本当に最悪としか言いようがなかった。

しかし同時に、よくあんな大物を連れてこられたものだと感心してしまう。

とんでもないありがた迷惑ではあるものの、鷹司家の次男を男の婚約者として用意できたのは大したものだった。

八尋ではなく姉や妹なら、大喜びで受け入れるに違いない。

何しろ自分に贅沢をさせてくれる男が好きだと言っている姉に、男は顔よと言っている妹である。

性格はともかく、金も顔も極上の帝人を気に入らないはずがなかった。

八尋

……鷹司帝人が本当にボクの婚約者なんていうことになったら、また絡まれそう……

それどころか、帝人の相手として八尋が選ばれたということ自体に、相当な怒りが生じそうだった。

今は、姉妹ともに距離を取っているからとても楽だ。

夏休みに両親の元で過ごしたときも、極力二人とは顔を合わせないように気をつけた。

二人はどうも八尋の顔を見ると何かしら嫌味を言いたくなるらしく、いつもトゲトゲしているから一緒にいると疲れてしまう。

これ以上姉と妹を刺激したくない八尋は、よりによって二人の垂涎すいぜんの的になるだろう鷹司帝人を選んだ母をますます恨みがましく思った。

八尋

ふうっ……

ものすごく面倒なことになっているのを思うと、溜め息が止まらない。

思わず机に突っ伏しそうになったところで、キャーッだのワーッだのいう歓声が轟とどろいた。

八尋

な、何っ!?

不意打ちで、しかもやけに大音量だったので、八尋はビクッと飛び上がる。

すると目の前に、信じられない人物が立っていた。

帝人

よくも俺様からの電話を切りやがったな。しかも着信拒否するとは、いい度胸だ

八尋

うわー…最悪。ありえない。悪夢だ……

帝人がファンにまとわりつかれているせいもあって、注がれる視線の数は半端ではない。

頭を抱えて唸り声を上げる八尋に、帝人はフンッと鼻で笑った。

帝人

お前が勝手に電話を切るのが悪い。おかげでこんなところまで来なきゃならなくなっただろうが

八尋

来なくていいです。…というか、来るなっ。こんな注目を浴びて…どうしてくれるんですか

帝人

知るか。自業自得だ

八尋

なっ……

反論しようと口を開きかけた八尋に、帝人は身を屈めて周囲に聞こえないよう耳元で囁く。

帝人

着信拒否を解除しないと、ここでキスするぞ

八尋

はぁ?

帝人

聞こえただろう? 着信拒否を解除しないと、ここでキスする。しかも、ディープなやつをな。周りに聞こえないように言ってやってるのは、俺の優しさだ

八尋

……冗談はやめてください

帝人

冗談だと思うか?

ニヤリと笑うその顔が、八尋を怯ひるませる。

普通の人間なら、人前でキスなどしない。
ましてや八尋も帝人も男なのだから、できるはずがなかった。

しかしあいにくここは同性愛がはびこっている全寮制の高校で、しかも相手は節操なしと評判の帝人だ。


キスできないと考える理由がない。

というよりも、腹はら癒いせの意味も含めて嬉々としてキスするだろう。

八尋

………

ここに居合わせたすべての人間が、八尋と帝人に注目していると言ってもいい。

もしこんな状況で本当にキスされたら、とんでもないことになってしまう。

八尋

……分かりました

八尋が頷いて携帯電話を手に取り、しぶしぶながら解除すると、帝人は満足そうに頷いた。

帝人

よしよし、それでいい

帝人がポンポンと八尋の頭を撫でると、ざわめきと動揺が周囲に広がっていく。

妙に甲高い悲鳴まで聞こえるのは、気のせいだと思いたい八尋だ。

あの鷹司帝人がわざわざ他のクラスまでやってきて、耳元で内緒話をし、頭をポンポンと撫でる…ファンクラブによる八尋への制裁が決定したのは誰の目にも明白だった。

八尋

……一瞬たりとも気を抜かないようにしないと……

全校生徒を敵に回したと言っても過言ではない八尋に、油断は許されない。

下手をしたら、教師でさえファンクラブの手が回っているような環境なのだ。

八尋

……休み時間、終わりますよ

帝人

分かった、分かった。そんな恨めしそうな顔するな。もっとかまいたくなるだろうが

八尋

………

前髪で表情なんてほとんど分からないはずなのに、的確に言い当てられて八尋は戸惑う。

帝人はそんな八尋の頭をもう一撫でして周囲の悲鳴を誘い、チャイムが鳴ってからようやく立ち去った。

八尋

は――っ……

八尋はこれまでで一番と言ってもいいほどの大きく深い溜め息を漏らし、ガックリと机に突っ伏した。

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5|婚約者は俺様生徒会長!?

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