翌朝、黒川の部屋に呼ばれた。
「お嬢。
今日、佐藤さんが屋敷に来る」
「え?」
「佐藤さんには家庭教師を辞めてもらう」
「どうして?
佐藤ミサは悪くありませんよ。
私に友達を紹介しようとしただけで。
たまたま紹介した友達が悪かっただけで」
「危険な事からお前を守るのが俺の役目だ」
「危険って……。
今回は私が黒川君達に内緒にしていた事が問題で、佐藤ミサに非はありません」
「今まで嘘をつかなかったお前が嘘をついた。
お前に、嘘をつかなけらばならない状況を与えたのは佐藤さんだ」
「私だって嘘ぐらいつきますよ。
点数の悪いテストをいつも隠しているでしょう?」
「隠す場所はいつもお前の部屋か俺の部屋の中だろう?
初めから俺に見つけられるのを承知で隠している。
俺に見せたくない答案も、青田君には見せていた」
「黒川。私は黒川が思っているほど、正直な人間ではありません」
「……。
お嬢。
佐藤さんに何か言われたのか?」
私は黙って首を横に振った。
「なら、何があった?
最近のお前は、お前らしくない」
「私らしいって、何ですか?
黒川の言うことを素直に聞いて、嘘をつかないのが私?」
「違う」
分かっている。
いつもの私ではないことぐらい。
こんな事を言って、黒川を困らせるつもりはなかった。
なのに口をついて出てくるのは嫌な言葉ばかりで、黒川の顔をまともに見られない。
「お前が納得出来ないのは分かる。
それでも俺は、お前をなるべく危険な物から遠ざけておきたい。
それがただの自己満足だとしても、それでお前に嫌われたとしても」
「嫌いになんか……、
なりませんよ……」
嫌いになるわけがない。
黒川達に助けてもらわなければ何も出来ない自分が嫌い。
「お嬢、そんな顔をするな。
俺は……」
黒川がそう言いながら私に触れようとしたけれど、私の目の前でその手を止めた。
その時、屋敷のチャイムが鳴った。
「多分、佐藤さんだ」
黒川は私から目線を外し、部屋から出て行った。
「黒川」
黒川の後を追うと、青田に案内された佐藤ミサが応接室にいた。
黒川はソファー座り、佐藤ミサと対面した。
「佐藤さん。
昨日電話で話した通り、今日限りで家庭教師を辞めてもらう」
黒川は電話で佐藤ミサと何を話したのだろう……。
「分かっていますよ。
今日は今までジャージーの相手をしてあげた分の給料を貰いに来ただけですから」
佐藤ミサが笑顔で言うと、黒川が封筒を机の上に置いた。
分厚い……。
いくら入っているの?
佐藤ミサは封筒の中を確認して満足そうに笑った。
一体いくら入っているんだー!
「黒川サン。
ジャージーの成績を上げるのは無理でした」
佐藤ミサ。
勉強を見てくれたことなんて、一度も無かったよね?
「ああ。お嬢の成績など、端から期待していないから問題ない」
黒川、酷い。
「黒川サン。
最後にジャージーと二人きりで話したいから、少し席を外してもらえませんか?」
「悪いが、それは出来ない」
黒川が即答すると、佐藤ミサはクスクス笑った。
「心配しなくていいですよ?
黒川サンの大事なお嬢様を、これ以上傷付けるつもりはありませんから」
「佐藤さん。このまま何も言わず帰ってもらえないか?」
「黒川。私も佐藤ミサと話がしたい」
「お嬢……」
「黒川。
二度と佐藤ミサには会いません。
だから最後に少しだけ……」
「……」
「お願いします」
「……分かった。
部屋の外で待っている。
何かあれば、すぐ俺を呼べ」
黒川が部屋から出て行くと、私は黒川が座っていたソファーに腰を下ろした。
「私、相当黒川サンに嫌われているみたいね」
佐藤ミサが小さく笑った。
「佐藤ミサ、ごめんなさい」
「何が?
何に対して謝っているの?」
「こんな事になってしまって」
「フッ……。
アンタ、馬鹿じゃないの?
自分を陥れようとしていた相手に謝るなんて」
「陥れる……。どうして?」
「だからアンタみたいなお嬢様は嫌い。
本当は悪いと思っていないくせに、いい子ぶろうとしてすぐ謝る」
「そんな事……」
「守られた安全な場所から人を見下すのは、どんな気分?」
「見下してなんか……」
佐藤ミサが何故こんなに怒っているのか分からなかった。
多分、分からないところも含めて、佐藤ミサは私の事が嫌いなのだろう。
『ごめんなさい』という言葉は、むやみに使ってはいけないと、誰かが言っていた。
その理由は今でも分からない。
「佐藤ミサ……。佐藤ミサとなら、いつか友達になれるかもしれないと思っていました」
「友達?
そんなもの、要らない」
「……」
「止めて。
そんな顔をしないでよ。
何なの?
アンタなんか……!」
佐藤ミサが声を荒らげると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「フッ……。分かるでしょう?
アンタはいつも誰かに守られて生きている人間で、私は……」
佐藤ミサがそう言いかけた時、扉が開いて黒川が部屋に入ってきた。
「最後だから教えてあげる。
アンタの事を陥れようとしているのは私だけじゃない」
「佐藤さん」
黒川が佐藤ミサを部屋の外へ連れ出そうとすると、佐藤ミサが私の耳元で囁いた。
「敵は意外と近いところにいるから。
気を付けてね、お嬢様」