翌日の放課後、黒川と白石が私のためにサインしてくれた演劇部の入部届けを持って、演劇部が活動している体育館に向かった。




「松田先輩、

 入部届けを持って参りました」




「ああ、さち子さん。

 来てくれましたか。

 体育祭で応援団の格好を
 しているところを
 見掛けたから、
 もう来てくれないのかと
 思っていたよ」





「いえ。

 すぐにでも入部したかったのですが、兄者とホワイト・ストーン氏の許可がなかなか下りなくて……」



「さち子さん、

 お兄様もストーン氏も

 反対しているの? 大丈夫?」





「はい。

 でも、私の圧倒的演技力で

 黙らせてやりましたから。

 ノープロブレムです」





「そうですか……。

 分かりました。

 今日は練習日ではないから

 部員が少ないけれど、

 案内をするから付いてきて」





「はい」



松田先輩の後に付いていくと、体育館の舞台の上で数人が作業をしていた。





「さち子さん。

 この演劇部は衣装係や舞台係が

 いないから、衣装も舞台も

 全て演者で準備する。



今回は中世ヨーロッパを舞台とした青春群像劇だから、皆で分担して、その時代の衣装や背景を制作しているところだよ」





「中世ヨーロッパの衣装って……。

 ドレスを作るのですか?

 私、裁縫が苦手なのですが……」



「ハハ。大丈夫だよ。
 
 僕らも苦手だから。

 大体のデザインを決めて、

 後は業者に発注するか、

 お手伝いさんに作ってもらえば良いよ」





ん?

お手伝いさん?



うちにはお手伝いさんがいないのですが……。





業者に発注するお金など無いし、

黒川達は絶対手伝ってくれない。





「松田先輩。

 私、背景係になりたいです。

 背景を描かせてください」


「いいけれど……。

 大きいから大変だよ?」





「任せてください。

 壮大な中世ヨーロッパの世界を

 描き上げてみせます」





仕方がない。



裁縫は全くできないけれど、絵なら何とか描けそうだ。



私は大体の構図が描かれた資料と模造紙を受け取り、簡単な挨拶を済ませて屋敷に戻った。





中世ヨーロッパ……。


ヨーロッパって何処の国だ?

イギリス? フランス? イタリア……?



さっぱり分からん。





よし。

黒川に本を借りよう。

黒川なら参考になりそうな本を持っていそうだ。



キッチンへ向かうと、黒川は夕食の準備をしていた。





「黒川ー。

 中世ヨーロッパについて書かれている

 本をお持ちなら、貸していただきたい

 のですが」





「は? 中世ヨーロッパ?

 また良からぬことを考えているな?」




黒川よ。



中世ヨーロッパでどんな良からぬ事が出来るのか、逆に教えていただきたい。





「違います。

 演劇部で中世ヨーロッパ風の背景を

 描くので、何か参考になりそうな本を

 見たいのです」



黒川がじゃがいもを剥く手を止め、驚いた表情でこちらを見た。





「どうした?

 お嬢。気は確かか?」





え? 何が?



「お前が自ら調べものを
 するなんて……。

 ……まあ良い。
 良いことだ。

 よし。

 参考になりそうな本を探して、

 お前の部屋まで
 持っていってやるから

 待っていろ」



「う……、うん」





黒川、驚きすぎ。





「黒川、

 ついでにおやつもください。

 甘いものが食べたい!」





「分かった。任せろ」



黒川が張り切っている。



これはおやつが期待できますなー。





私はツーステップをしながら部屋に戻り、模造紙を床に広げて貼り合わせた。



模造紙と一緒に渡された、大体の構図が描かれた資料を基に、中央に大きな噴水を軽く下描きしていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。





「おやつですかー? どうぞー」





下描きの手を止めることなく返事をすると、白石が部屋に入ってきた。



「おやつなど持っていませんよ」





「あ、白石。

 どうしたのですか?」





「洗濯したお嬢の服を

 持ってきたのですが……。


 お嬢こそ床にゴミを広げて

 何をしているのですか?」



「ゴミじゃありませんよ。

 演劇で使う背景です。

 この紙いっぱいに、中世ヨーロッパの

 世界を描くのです」





「へぇー」


珍しく白石が私の隣にしゃがみこんで、私が描いた下描きを見つめた。





「俺も手伝いましょうか?」





「え? 白石が?」





思わず聞き返すと、白石がサッと立ち上がって部屋から出て行こうとした。





「アッ。待って白石。

 是非ッ!

 是非、手伝ってください」



私は慌てて白石を引き止めた。



白石が自ら手伝ってくれるなんて貴重だ。


スーパーレア。



これを逃せば、スーパーレアな白石を一生見ることができないかもしれない。





「仕方がないですね。

 ……で、俺は何を描けば
 いいですか?」





白石、あっさり戻ってくる。



……描きたかったの?





「あ……。

 では、私はど真ん中に

 メインの噴水を描き上げますので、

 白石は周りに中世ヨーロッパっぽいものを適当に描いてください」


「良いですよ」





白石とのお絵描きタイムが始まる。





「……白石」



「何ですか?」



「私が小さい頃、

 白石と絵を描いて
 遊んでいたのでしょう?

 その頃の事を
 あまり覚えていませんが、

 こんな感じだったのでしょうか?」



「……」





白石は返事をしてくれなかったけれど、逆にそれが心地良かった。



それからしばらく黙々と作業を続けたので、部屋に紙と鉛筆の音だけが響いた。


「お嬢、本を持ってきた」





扉の向こうから黒川の声が聞こえた。



沢山の分厚い本を抱えた黒川の後ろに、お菓子やお茶を持った青田と赤井と桃がいた。





「お嬢ー。

 お嬢が演劇で使う背景を描いているって聞いて、手伝いに来たよー。

 ……って、白石君がいる!」





白石が手伝っている姿を見て、桃が驚いている。





マズイ!

また白石が、ひねくれて部屋から出て行ってしまうかもしれない。





「あッ!

 わー。えーっと、えーっと……。

 ちょうど休憩したかったところです。

 黒川、今日のおやつは何ですかッ?」



「すあま」





すあま?

すあまって何だ?



……まあ良い。食べれば分かる。





「すあまだすあまだ、

 わーい!

 白石。

 白石も一緒にすあまを食べましょう!

 ねっ? ねっ?」 



黒川が紙袋から『すあま』とやらを取り出す。





「すっ・あっ・まー、
 すっ・あっ・まー。

 えー? 黒川、何でカマボコ?

 甘いものが食べたいと
 言ったのに……」



「カマボコではない。

 食ってみろ」



「ン?

 お! 甘ーい!」





すあまを食べ終え、お茶を飲みながら、

黒川が持ってきた本をパラパラと捲る。


「へぇー。

 中世ヨーロッパって千年ぐらいあって、国や年代によってイメージが異なりますね。

 どの年代のどの国を参考にすればいいのかな?」





黒川が、本を読む私の姿を見て微笑んでいる。



……怖いよ、黒川。





「うーん。

 ドレスのデザインで、国や年代が分かるかもしれないけれど、ドレスを作る人もそこまで深く考えないんじゃない?

 取りあえずフランスのベルサイユ宮殿あたりを参考にすれば?」


桃が別の本を手に取り、パラパラ捲って宮殿の写真が載っているページを開いた。



「そうですね。

 よし、休憩終わり!

 続きを描こう」



それから黒川は夕食の準備のため部屋から出ていったけれど、後の四人が手伝ってくれて、背景はほぼ完成した。



「皆、手伝ってくれてありがとう!

 ん……?

 白石、

 中世ヨーロッパにライオンは

 出てこないと思うのですが……」



「ライオンではありませんよ。

 犬です。ポメラニアンです」




「え? ポメラニアン?

 でも、
 この噴水の大きさから考えると、

 体長二メートルぐらいありそうなのですが……」



「遠近法ですよ。

 ポメラニアンが一番手前にいるから

 大きく見えるのです」





何故、真っ赤に開いた口で威嚇している猛獣のようなポメラニアンが背景で一番目立っているのか……。





「桃、何でヤシの木を描いたの?

 そこだけ南国ムード満点に

 なっているじゃないですか」



「宮殿がリゾートっぽくなって

 格好いいじゃん!」



「……」



このヤシの木は、明日学校でポメラニアンもろとも消し去ってやろう。





「赤井。

 何ですか、その花はッ!

 まるで幼稚園児が描いた

 チューリップじゃないですか!

 ご丁寧に赤白黄色で塗って……。

 花を描くのなら
 薔薇を描いてくださいよ」





「俺、花に詳しくないから

 チューリップぐらいしか描けない」





「だったら描くなー!」



「まあまあ。

 お嬢、落ち着いて。

 折角皆が一生懸命描いたんだから」



「あーッ、青田ー!

 何で青空に文字を書いてしまったのですか?

 仏蘭西……?

 何て読むの?

 何故ホトケ? 

 映画の看板みたいになってしまいましたよね?」



「え? 駄目だった?」



「駄目に決まっているでしょう?

 何ですか、

 この個性を主張しすぎの背景は!

 ……もういいです。

 自分で修正しますから、

 皆、部屋から出て行ってください」



白石達を部屋から追い出した後、白石達が描いた絵の上に新しい模造紙を貼り直した。





「お嬢、入るぞ」



「……」





私の返事を待たず、黒川が部屋に入ってきた。





「お嬢。白石君達も悪気は無かったんだ」





「分かっていますよ。

 言い過ぎました。

 後で皆に謝っておきます」



「お嬢、描き直しているのか?

 だったら俺も手伝ってやろう」





黒川が私の隣に座った。





「黒川……」



「ん?」



「……本当は嬉しかったのです。

 皆が手伝ってくれて。

 一緒に描いている時、

 小さい頃を思い出して楽しかった。

 最近、皆で何かをすることが

 無くなっていたから」





「……」


「でも、素直にありがとうって

 言えなかった。

 楽しいって言えなかった」





「……」





「小さい頃からずっと、

 自分の気持ちを伝えるのは苦手です」





「お嬢……」


「黒川、もういいです。

 やっぱり皆が描いてくれた絵を、

 明日演劇部へ持っていきます。

 ボツになるかもしれないけれど。

 絶対ボツになると思うけれど。

 ……ん?

 黒川、何で噴水にモップを立て掛けた

 絵を描いたのですか?」





「モップではない。

 猫だ。ペルシャ猫」





「……!」





今知った。



皆、絵が壊滅的に下手くそだ。

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