この屋敷にお嬢が来て間もない頃、ボクはお嬢が嫌いだった。



 

「桃。

 明日からこの屋敷にもう一人、
 人が増える。

 爺さんの孫だから、
 この屋敷のお嬢様だ。

 赤井君と桃は同い年だから、
 仲良くしてやってほしい」





「うん。分かった」





この屋敷のお嬢様なら、仲良くしておかなくちゃ。



親戚中をたらい回しにされて、やっとこの屋敷に拾ってもらえた。



お嬢様を怒らせて、屋敷から追い出されたくはない。

初めてお嬢を見た時、ボクは驚いた。



お嬢はボクが想像していたお嬢様と違って、とても地味で大人しい女の子だった。





「よろしくね」





「……」





ボクが精一杯の笑顔でお嬢にあいさつしたのに、お嬢は俯いたまま返事をしなかった。





お嬢はずるいな……。



ボクはこの屋敷に来た時、この屋敷に住んでいる人達に気に入られるよう、気を遣って生活してきた。

素直で可愛いボクを、ずっと演じてきた。



お嬢は爺さんの本当の孫だから、いい子ぶらなくてもこの屋敷から追い出される事はない。





お嬢がこの屋敷に来るまで、黒川君達は付きっきりでボクの面倒を見てくれた。



黒川君は毎晩ボクに本を読んでくれていた。



それなのに、お嬢が来てから黒川君はお嬢に付きっきりだ。





「黒川君、あのさ……」



「桃、少し待ってくれるか?

 お嬢がまた何処かへ逃げたから、探しに行って来る」



「……うん」




赤井君とボクが遊んでいる時、いつも青田君がお嬢を抱えて連れてくる。



「赤井君、桃。

 お嬢も仲間に入れてくれる?」



「うん、いいよ。

 お嬢、一緒に遊ぼう?」



分かっている。



お嬢は絶対参加しない。

青田君の後ろに隠れて、じっとボク達を見ているだけだ。



まるでボク達が、お嬢を仲間外れにしているみたいじゃないか。


白石君だって、あれだけ人に触れられるのが嫌だと言っておきながら、お嬢が白石君のベルトを掴んでいても怒らない。



子どもが嫌いなはずの白石君が、お嬢とお絵描きをして遊んでいる。





お嬢はこの屋敷にとって特別な存在だ。

皆から大事にされている。



なのに何の不満があるの?

何で笑わないの?





「青田君。

 ボクとお嬢、どっちが可愛い?」



「ハハハ。二人とも可愛いよ」


「どっちがいい子?」



「どっちもいい子だよ」



「でも、

 お嬢は笑ったり喋ったりしないよ?」



「ハハハ。

 笑ったり喋ったりするのがいい子なの?

 桃のいい子の基準は面白いね」



「……!」





青田君が笑うと、ボクの胸の奥がチクッとした。





お嬢が来てから、ボクはどんどん嫌な子になっていく。



このままじゃ、ボクが屋敷から追い出される。

お嬢が一人で二階のバルコニーから外を眺めている時、ボクはお嬢に近付いた。



「お嬢、いつまで喋らないでいるつもり?

 そうやって皆の気を惹こうとしているの?」



「……」



「黒川君達を独り占めしているのに。

 こんなに大きな屋敷のお嬢様なのに……。

 それ以上何が欲しいの?」



「父さんと母さん」





お嬢が小さな声でポツリと言った。





「私がこの屋敷から出て行けば……。

 皆と仲良くしなければ、

 父さんと母さんは帰ってきてくれるかな……」


「……!

 帰って来ないよ!

 お嬢の父さんと母さんは死んだ。

 死んだ人は生き返らないから!」



「死んでいないよ。

 父さんと母さんは生きている。

 いつか必ず迎えに来てくれる。

 だからここで待っているの」



「迎えなんか来ない。

 絶対来ない。

 ボクだって……。

 ボクだって、ずっと迎えに来てくれなかった」



「嘘だ。

 ここで待っていたら迎えに来てくれる。

 父さん、母さん。

 早く迎えに来て……」





お嬢がその場に泣き崩れた。

今まで笑うことも泣くこともなかったのに。





「お嬢……」


ボクはどうする事も出来なかった。





「お嬢、ごめんね。

 だから泣かないで」



「父さんと母さんが迎えに来てくれたら……。

 何もいらない」



「お嬢、ごめん。

 ……黒川君! ……誰か来て!」





いつの間にかボクは大声で叫んで、お嬢と一緒に泣いていた。



お嬢はずっと泣くのを我慢していた。

ボクもずっと泣くのを我慢していたんだ……。



慌てた様子の黒川君達がやって来て、ボクは青田君と白石君に連れられて部屋の外に出た。

黒川君は部屋の扉を閉めて、しばらくお嬢と二人きり部屋から出てこなかった。



白石君がボクにタオルを渡してきた。

ボクはそのタオルで涙を拭った。

柔らかくて、石鹸のいい香りがする。





「ボク……、

 この屋敷から追い出されるのかな……」



「フフッ。

 誰が追い出すの?」





青田君が静かに笑う。





「お嬢……。

 ボクがお嬢を泣かせてしまったから」



「お嬢は桃を追い出したりなんかしないよ。

 むしろ、お嬢がこの屋敷から出ていきたいと思っているんじゃないかな?」



「ボク、悪い事をしたのに……。

 この屋敷にいられないよ」



「一度でも悪い事をしたら、

 この屋敷から出ていかなければならないの?

 相変わらず桃の基準は面白いな」



「……」



「皆には内緒だけど。

 桃の基準でいくと、僕はとっくに

 この屋敷から追い出されているよ」



「……」


「桃。

 僕は自分の気持ちに正直になるのは

 悪い事ではないと思うよ。

 お嬢だって桃だって、

 悲しい時は我慢せずに泣けばいい」



「でも……。

 お嬢を泣かせたのはボクだ……」





青田君がボクをギュッと抱きしめた。





「……桃はいい子ですよ。

 桃が本当に悪い子なら、

 反省なんかしていませんよ」





白石君が優しく声を掛ける。



親戚中をたらい回しにされ、誰も信じられなくなっていたボクに、赤の他人が優しくて。



ボクは家族の基準が分からなくなっていた。





しばらくして、黒川君がボクの所へ来た。





「……黒川君。お嬢は?」



「泣き疲れて眠ってしまった」



「黒川君、ごめんなさい」



「桃。俺に謝っても仕方がない」



「うん。後でお嬢に謝る。

 許してくれないかもしれないけれど」



「お嬢は怒っていない。

 桃も自分も、誰も迎えに来てくれないから、悲しくて一緒に泣いていたと言っていた」





「……ううっ」





「桃。お前達に迎えは来ない。

 この屋敷がお前達の居場所だから」





「うん……。

 分かっているよ」



「でもお嬢は、

 それが心の中で整理出来ずにいる。

 時間が掛かるかもしれないが、

 現実を受け止められるまで

 少しだけ待ってやってくれないか?」


「うん……」





もしお嬢に出会わなければ……。





屋敷から追い出されないよう、ボクはずっと自分の気持ちを隠して生きてきたかもしれない。





今でもたまに、お嬢が屈託なく笑う姿を見て胸が締め付けられそうになることがある。



お嬢は、あの頃の事を覚えていないと言う。



それはお嬢の優しさからなのか、本当に忘れてしまっているのか、分からない。

 



ボクはお嬢が好きだ。


お嬢だけじゃない。

この屋敷にいる皆が好きだ。





ボクは皆が幸せになってくれる事を願っている。

閑話(桃とお嬢の日常)その3

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