「お嬢、

 何故、助手席じゃなくて

 後部座席に座ったんだ?」





黒川が運転をしながら、バックミラー越しに話し掛けてきた。





「あ……。

 学校の送り迎えの時に、

 いつも後部座席に
 座っていたから、つい癖で……」





私は嘘をついた。



本当は、助手席に座ったら緊張してしてしまうからだ。



「まあ、別に構わないが」





黒川が静かに笑った。



それからしばらくの間、沈黙が続く。





不思議……。



小さい頃から黒川と一番よく話してきたはずなのに。



今は何を話せば良いか分からない。

 



私は車の外の流れる景色を見ていた。

学校や買い物へ行く街並みと違うのが新鮮だ。





黒川が花屋の前で車を停めた。


「お嬢。俺はここで花を買うが、

 お前は車の中で待っているか?」





「ううん。私も行く」





車から降りて、店に入る。



レンガ造りのレトロな店内に色とりどりの花が置かれていて、甘い花の香りが漂っている。





「黒川。このお店、

 こんなに朝早くから開いているのですね」





「ここは二十四時間開いている。

 青田君もこの店をよく利用している」


「そうなんだ……」





青田は華道をしているから、よく花を買ってくるけれど、黒川も花を買うのか。



誰かにプレゼントしたりするのかな……。







「黒川。

 この花、珍しいですね。

 いい香り」





萼から花びらに向かって淡いグリーンから水色、白のグラデーションになった大きな花を見つけた。


「ああ。

 新しい品種の花だな。

 この花も貰おう」





黒川が適当に花を選んでいき、花束をいくつか作ってもらった。





「黒川、こんなに沢山の花束……。

 どうするのですか?」





「付いてくれば分かる」





黒川が優しく微笑んだけれど、その笑顔がどこか悲しげに見えた。


「……うん」





行き先の分からないまま、また車に乗り、ただ窓の外を見つめる。



何処へ行くかは分からないけれど、遊園地や映画館のようにワクワクするような所では無さそうな気がした。





「お嬢。図書館へ寄ってもいいか?」



「うん。いいですよ」





図書館に着くと、黒川は借りていた本を返し、難しそうな本ばかりが並ぶ本棚から、新しく借りる本を探し始めた。





「折角だから

 お前も何か借りればどうだ?」


「いえ。漫画なら良いですが、

 文字ばかりが並んだ本は

 読みたくありません」





「お前。小さい頃は、

 あんなに本が好きだったのに……。

 どうしたんだろうな」





違うよ。



本を読むのが好きだったのではなくて、黒川に読んでもらうのが好きだっただけだよ。





また車に乗り込んで、行き先へ向かう。





「わあ……。

 黒川、海が見えますよ。

 窓を開けても良いですか?」



「ああ。身を乗り出すなよ?」





黒川が車の窓を開けてくれた。



頬に柔らかな風が当たり、キラキラ輝く海面が眩しかった。





「そろそろ到着する」





それから車を降りて、小高い丘を、黒川の後に付いて登って行った。





「お墓……」





海の見える小さな墓地に辿り着くと、黒川が一際大きな墓石の前で足を止めた。


「この墓は、お前の爺さん、

 そして向こうに見えるのが、

 お前の父さんと母さんの墓だ」





「……うん」





「お前、

 皆で墓参りに行く日は、

 全く起きないから」





「……うん」





黒川が墓石の掃除をしている間、私は立ったまま、黒川の背中を見つめていた。


「覚えているか?

 初めてお前を墓参りに連れて来た時。

 お前が『父さんと母さんはここにいない。

 絶対生きている』と大泣きして」





「今も、父さんと母さんは、

 ここにはいませんよ」 





「……」





「父さんも母さんも爺ちゃんも、

 ここにはいません。

 天国にいますから」


「それでも

 墓を放りっぱなしにしておくのは

 可哀想だろう?」





「……うん」





黒川が墓石の前でしゃがんで、花屋で買った花束を供えたので、私も黒川の隣にしゃがんだ。





「お前。

 父さんと母さんが亡くなった事を

 なかなか認めなくて、

 ずっと迎えが来るのを待っていて……。

 あの頃、どうすれば良いか随分悩んだな」


黒川が私を見て静かに笑った。





「黒川、迷惑をかけてごめんなさい。

 あの頃の私は、父さんと母さんが

 全てだった」





「ああ。分かっている。

 お前がずっと我慢をして

 あの屋敷にいた事も」





「黒川、今は全然寂しくないよ。

 私は黒川達に救われた」





あの屋敷で黒川達と過ごすうち、いつの間にか父さんや母さんよりも黒川達の存在の方が大きくなっていた。


もし黒川達に出会わなければ、今頃私はどんな風に生きていただろう……。

 

黒川は私の顔を見てフッと笑い、立ち上がった。





「……そうか。なら良かった。

 お前が今でも父さんと母さんの迎えを

 待ち続けていたら、どうしようかと思った」





「まさか!」





「ハハハ。

 お前も次からは、

 ちゃんと墓参りに来いよ?」


「はい」





私と黒川は、丘を下り、また車に乗り込んだ。





「お嬢。

 最後にもう一ヶ所だけ寄りたい場所が

 あるが……。

 構わないか?」





「もちろん、いいですよ」





「少し遠いから、

 車の中で眠っていて構わない。

 お前、あまり寝ていないのだろう?」


「大丈夫ですよ」





そう言っておきながら、すっかり緊張が解けてしまった私は、いつの間にか車の中で眠ってしまっていた。





「……ん? ここは……?」





目覚めた時には、山奥の鬱蒼とした場所にいた。



まだ昼前のはずなのに、木々で覆いつくされていて、辺りは薄暗い。





「お嬢、起きたのか」





「黒川、ここは何処ですか?」


「お嬢、ここで降りて

 少し歩かなければならない」





「うん」



黒川の後に付いていくと、そこにも墓地があった。



父さん達の墓地とは違って、見晴らしが悪く、寒々とした場所に立てられている。  





「ここに俺の両親が眠っている」





「……」


黒川が小さな墓石に花束を供えた。





「まあ、お前なら

『天国にいるから、
 ここにはいない』

 と言うかもしれないが」





黒川が笑いながら言ったけれど、本当に笑っているようには思えなかった。





「黒川……」





私は黒川に声を掛けようとしたけれど、言葉が見つからなかった。


黒川は、どうやって父さんや母さんの死を乗り越えたのだろう……。





「俺の両親は、

 俺が中学の時に死んだから、

 悲しいとか寂しいとか思う間も無かったな。

 明日からどうなるのか、

 高校へは行けるのか……。

 自分の事ばかり考えていた」





「……」





「フッ。こんな話をされても困るよな?」





私は黙って首を横に振った。

「お嬢、今日はありがとうな」



「……」





黒川……。

何で『ありがとう』なの?



私、何もしていないよ?





「皆が待っているから、

 何か買って帰ろう」





「……うん」





「お嬢、昼飯は何が食いたい?」



「……うどん」





「ハハッ。うどんか……」





黒川は、いつもの黒川のまま、小さな墓地を後にした。

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