「お嬢、そこにいたのか」



お嬢が静かな日は、

大抵、二階にあるこの広いバルコニーで佇んでいる。



「黒川。

 今日は満月になりかけの
 月ですよ」



「ああ、そうだな。

 それより風呂から上がった
 ばかりだろう?

 髪が濡れているじゃないか。

 乾かさないと風邪を引く」



「黒川。

 私ね、満月よりも三日月よりも、少しだけ欠けた月が好き」



「お前、
 俺の話を聞いているのか?

 ドライヤーを持ってくるから
 待っていろ」


「うん」



お嬢が月を眺めながら返事をする。



「あー。

 ドライヤーがそこまで届かないな。

 お嬢、一旦部屋に戻れ」



「うん」



お嬢は素直に部屋の中に入り、
窓辺にある椅子に腰かけた。



「……で。

 何で少し欠けた月が好きなんだ?」



「え? 黒川。

 私の話を聞いてくれていたのですか?」



「お前の話はどんなにくだらなくても、いつも聞いてやっているつもりだが」


ドライヤーをかけながら返事をすると、



「くだらない話ばかりで
 悪かったですねー」



と、お嬢が小さく笑い、
また窓の外の月に目を向けた。



「月って不思議ですよね。

 大きくなったり小さくなったり、欠けたり丸くなったり。

 いつもは黄色く見えるけれど、不安になるほど真っ赤になる時もあるし、青白くなったり、真っ白になったり。

 でもそれは、月が形を変えているのではなくて、見え方が変わっているだけで……」



「その話。

 白石君にすれば、何故そう見えるのか

 詳しく説明してくれるだろう」


「えー。嫌です」



「……で、

 何で欠けている月が好きなんだ?」



「何となくですよ」



「何だ。

 結局意味はないのか」



お嬢の髪が乾いたので、ドライヤーのコンセントを抜く。



「黒川。

 月って、満月の時や三日月の時は平らに見えるけれど、少し欠けている時によーく見ていると、立体に見えてくるのですよ?」



「そうなのか?」



「黒川もよく見てくださいよ」


そう言ってお嬢がまたバルコニーへ出たので、渋々付いて行った。



「小さい頃、

 ウサギや月の住民たちが本当に月に住んでいるのだと思っていました。

 月が欠けていくのを見るたび、ウサギや月の住人たちが窮屈に生活しているところを想像して」



「フッ……」



「三日月になると、

 皆、無事に避難出来たか、

 本気で心配したり……」



「まさか今でも

 本気にしているんじゃないだろうな?」



「黒川。
 私はもう立派な大人ですよ?

 月にウサギがいないことぐらい知っています」



月明かりの下で静かに笑うお嬢が、一瞬別人のように見えた。



「お嬢。団子でも食うか?」



「えー?
 急にどうしたのですか?

 いつもは風呂上がりに冷蔵庫を漁ろうとしたら怒るくせに」



「月を見ていると急に腹が減ってきた」



「黒川、

 もしかしてウサギが餅つきしているところを想像したのではないですか?」



「ああ」



「フフッ」



月は 

時に人の心を乱すと言う。


信じているわけではないが、

お嬢が静かに笑うたび、

その空気に耐えられなくなるのは何故だろう。



俺はキッチンから

明日のお嬢のおやつ用に買って
おいた団子を持って来た。



「あー。三色団子!

 黒川。私が寝た後、

 一人で食べるつもりだったのですか?」 



「あー……。まあな」



「ズルい!
 大人ってズルい!

 私も早く大人になりたい!

 早く大人になって、団子を
 大人買いして大人食いしたい!」



「大人食いって……。

 いつも人一倍食っているだろう?」


「私のお腹は、

 まだ本気を出したことが
 ありませんよ」



「へぇ……」



「黒川。

 三色団子の中で何色が一番好きですか?」



「何色って。

 どれも味は同じだろう?」



「同じじゃないですよ。

 私は緑。串の位置的に、

 緑を一番最後に食べるでしょう?

 最後の一口は、大切に味わって食べたいと思いませんか?」



「お前……。

 三色団子をそんな風に味わいながら

 食べていたのか」


「黒川。

 何事も少し目線を変えてみれば、

 世界はもっとパラダイスですよ」



相変わらずお嬢が何を言っているのか

さっぱり分からないが、

いつものお嬢に戻ったようだ。



「さあ、

 残すところ緑の団子だけになりました!」



お嬢が串に刺さった緑色の団子を振り上げた瞬間、お嬢の団子は串から抜けて庭先の茂みの中へ消えていった。



「アーッ! 団子ーッ!」



「あー。

 お前の団子はカラスの朝食になったな」



「そんな……。

 黒川、今から探して来ます」


「こんな暗がりに?

 俺のを分けてやるから、お前の団子は諦めろ」



「え?

 黒川の団子を分けていただけるのですか?」



「ああ。ピンクを食ったから、

 お前は真ん中の白な」



お嬢の目の前に団子を差し出すと、

お嬢の目が輝いた。



「わーい。黒川、イタダキマス!」



「ぅわっ! ばッ……!
 
 何で緑も食うんだ!

 しかも俺の手まで
 食いそうになっただろう!」



「ンッフー!」



「ん? お嬢と黒川君。

 二人で楽しそうに何をしているの?

 お邪魔じゃなかったら

 僕もまぜてもらおうかな?」



お嬢の頬をギューギューしていると、青田君がやって来た。



「今日は満月……、

 ではないみたいだけれど……。

 綺麗な月だね」



青田君が月を見上げながら目を細めた。



「わー。浴衣姿の青田だー。

 お風呂上がりですか?」



「うん。今出たところだよ。

 たまにはバルコニーで月見もいいね」



「でしょう?」



「じゃあ、
 お茶でも持ってこようか?

 白石君達も呼んでさ」


「うん!

 黒川、
 今からお月見をするんだから、

 団子をもう一本ください」



「仕方がねーな……」





月は人の心を乱すと言われている。



信じているわけではないが……。



もう少しだけお嬢が笑っている姿を見ていたいと思うのは、



月明かりのせいだからだろうか。

閑話(黒川とお嬢の日常)その5

facebook twitter
pagetop