ひと通り部室をまわって図書室に戻ると、集合時間が近づきつつあった。
 淡香達は見つけた本を司書の菖蒲に持っていく。

あら、よかった、ありがとう!

 菖蒲は見つけてきた本に、ぱっと嬉しそうな表情を浮かべた。

すいません。この本が喰われてました

 青藍が喰われていた本を差し出した。笑顔だった菖蒲の表情がたちまち引き締まり、そっと差し出された本を引き寄せた。
 ぱらぱらと頁をめくりながら、菖蒲はため息をつく。

……ありがとう。閉架書架の蔵書点検は大変なことになりそうね

はい。今度は見つけます

 青藍は短いが意志のこもった声音でそう言って、大きくうなずいた。
 青藍は実体の分からない、本を喰う妖怪に、本気で立ち向かう気でいるのだ、ということが分かる。

そうね。でも無理はしないでいきましょう。
誰かが怪我をしたら、それこそ大変だし

 菖蒲はふんわりと笑った。そして本の後処理を任せて、淡香達は席につく。

 ちょうど時計の針が集合時間を指したところだ。
 時間に合わせて図書室の奥から戻ってくる生徒や、校舎内のどこかから姿を見せる生徒など、図書委員達が続々と戻ってくる。
 何も本を見つけられなかった生徒もいるし、本を見つけてきた生徒もいるようだった。

「さて、今日でひとまず開架書庫の点検は終わりです。皆さんお疲れさまでした」

 図書委員長が人数の確認を終えたのか、とりまとめの挨拶を始めた。

「明日は閉架書庫の点検です。今まで以上に大変になると思います。気をひきしめていきましょう。では、お疲れさまでした」

 図書委員長の言葉に、皆が神妙におつかれさまでしたと唱和して、今日の委員会は終わりとなった。
 静かだった図書室内が、少しだけざわつき出し、にぎやかになる。

お疲れさま。多分明日も同じ班で動くと思うから、よろしくね

 紅子はまっさきに席を立って、淡香達に手を振ると、図書室から出て行った。忙しいのだろう。

それじゃ、お疲れさま

 青藍も紅子に続いて立ち上がり、図書室から出ていく。
 隣に座っていた空と二人で、先輩達の背中をぼんやりと見送った。

大洞はこれからどうすんの?

うーん……

 空に聞かれて、淡香は頭の中で予定を確認する。とはいっても、今日は図書委員の仕事が入ると事前に分かっていたので、何も予定を入れていない。

 だけども、淡香には気に掛かっていることがあった。
 まだ青藍は少し怖いままだが、それでも気になるまま、放っておくことはしたくなかった。

あ、そういえば、部活に顔出せって言われてたんだ

 淡香はさも思いついたように声を上げると、勢いよく立ち上がった。

それじゃ、お疲れさま

ああ……、お疲れさま

 淡香の勢いに、どこか驚いたような表情を浮かべた空は、ぼんやりと手を振ってくる。
 心の中でごめんと手を合わせながら、淡香は小走りで図書室から出た。

 図書室から外にでる廊下は一本道なので、淡香が小走りで廊下を行くと、すぐに青藍の背中に追いつく。

先輩!

 淡香の声に、青藍は背中をびくりと揺らして、その場に立ち止まった。
 淡香よりも身長がある青藍の背中は、広く感じられる。

……何?

 振り返った青藍は、いぶかしげに問いかけてきた。どこか突き放すようにも聞こえる声にびくりと身体を揺らすが、青藍の雰囲気は怒っているようにも思えなかった。
 これがいつも通りなのだろうか。

 青藍を引き止めておいて、最後の勇気が出ずに、淡香は口ごもってしまった。
 青藍を見上げると、彼は表情を変えないまま、淡香の言葉を待っているようだった。
 少なくとも彼は、淡香の話を聞いてくれるるもりであるらしい。そう思うと、最後の勇気がこぼれ出た

私も、本を喰う妖怪と戦えるようになりたいんです

 淡香の言葉に、青藍の目が、少し見開かれたような気がした。

先輩は、戦うひと、なんですよね?

 今日の蔵書点検をしている中で、他の生徒とは違い、青藍は本文を喰う妖怪と本気で戦うつもりなのだろう。
 何よりも、おかしな本を見つけても、動じずに対処をしていた。だからこそそう思ったのだ。

 青藍はまわりをきょろきょろと見回してから、淡香へと向き直った。

場所を変えようか

 青藍はそれだけ言うと、淡香に背を向けて歩き出した。淡香も慌ててついていく。

 青藍は昇降口で靴をはきかえると、外へ出て行った。外へ出ると、普段はあまり通らない校舎裏へと歩いていく。

 校舎裏にある大きな木の下までたどり着くと、青藍はようやく歩みを止めた。
 青藍は振り返って、木に背中をくっつけた。そしてひとつ、腕を組む。

……本当にその気、なの?

 この後に及んでもまだ青藍は淡香の言葉を信じていないのか、疑っているようだ。
 少しだけ悲しくなりながら、淡香はうなずいた。

分かった

 青藍も淡香の決意を汲んでくれたらしく、ようやくひとつうなずいてくれる。
 そして彼は、ズボンのポケットから何かを取り出してみせた。

 取り出したものは黒い手帳のようなものに見える。
 青藍はさらに手帳の頁をめくると、中からぺらりとした紙を出してきた。少し前に見たものと、とても似ていた。

それは……?

 紙には墨らしきもので、漢字のようなものが書き連ねてあった。中には記号もあり、淡香には解読できない

これは、呪符だよ。俺たちには破魔の力なんて大それたものはないから、これで戦うんだ

 青藍は大まじめな顔で説明してくれるが、淡香はいまいち理解ができない。
 青藍はそれを察したのだろうか、宙へと視線を向けた。
 宙には、木から落ちてきた葉がひらひらと風に舞っている。

たとえば、この呪符は……

 青藍はそう言いながら、手にしていた呪符をさっと投げた。

呪符は風に逆らうような、不自然な動きを見せたかと思うと、木の葉にひらりと絡みついた。
 そして青藍が指を動かすと、木の葉をまとった呪符が木の幹に向かって、まっすぐに飛んでいく。

うわあ……

 淡香は目の前で起きた現象に、感嘆の声を上げていた。
 青藍は淡々とした様子で、木の幹に張り付いた呪符と木の葉をはがしていった。
 ひらひらと淡香の前で振ってみせる。

まあ、こんな感じだ。俺は図書委員会になってから先生に教わって少し訓練したけど、基本は呪符の種類と使い方を間違えなければ大丈夫だよ

そう……なんですね。なんか、とてもじゃないですが、自分に扱えるか分からないです

 青藍の手つきが本当に見事で、淡香は感心するしかなかった。同じことをやれと言われても、とてもじゃないができないと思う。
 淡香は心の内を素直に告げてから、しまったと思った。これではまた、青藍を怒らせてしまうだろうか。

 おそるおそる青藍を見つめるが、彼は今までのように、怒ったりはしなかった。
 彼は目を細めると、ふっと笑ってみせたのだ。

まあ、最初はみんなそう思うし、俺だってそう思ったから。ちょっとやってみる?

 青藍が目を細めて笑うのを見るのは、きっと初めてだと思う。
 今までずっと怒ったような表情ばかりを見てきたので、びっくりしてしまった。思わず胸がどきりと鳴るのがわかる。

 青藍は淡香の感情など知ることなく、手帳から新たな呪符を出してきて、手渡してきた。
 淡香はそっと掌を広げて、呪符を受け取った。呪符にはさまざまな記号が書かれていて、とてもじゃないが、淡香には読めない。

それは、物の動きを止める呪符だ。ちょっと投げてみて

……はい

 そう言われて、淡香は近くの雑草に目を留めた。雑草は風を受けて、ゆらゆらと揺れている。

……えいっ!

 淡香は覚悟を決めると、呪符を思い切り投げつけた。
 呪符は半紙に書いたような薄さで、風で流されてしまうのではないかと思ったが、予想に反して、するすると進んでいく。

 そして、雑草にぴたりとまきついたのだ。すると、今まで風に揺れていた雑草が、ぴたりと動きを止めていた。

……できた?

おお、すごいね

 どうやらうまくできたらしい。青藍はまっすぐに、淡香をほめてくれた。
 今までほめられたことなどなかったので、純粋に嬉しくなってしまう。

あの、これで良いんでしょうか?

そう、それで良いの。これを狙うという強い気持ちをもってやれば、応えてくれるらしいよ

 青藍は上気した表情で話してくれた。それからも、青藍は淡香にいくつか呪符を教えてくれて、淡香も喜んで呪符の効果を勉強する。

 一通り教えてもらった頃には、呪符の動きについても少し理解できるようになっていた。
 淡香は、あちこちに広がった呪符をひとつひとつ拾い、青藍に返していく。

ありがとうございます

……うん

 青藍はいつもの表情に戻って、呪符を受け取った。
 けれども、その表情に少しだけ、嬉しそうなものが混ざっているようにも思えるのだった。

 青藍は、休憩とばかりに木の近くにあったコンクリートブロックに腰掛ける。
 青藍を見上げると、彼は木に背を預け、どこか遠くを見ているようだった。

 そんな時、淡香の背後、校舎の方からふいに声を掛けられた。

おお。がんばってるね

先生……

 廊下の突き当たりにある窓から顔を出しているのは、千草だった。彼は笑いながらひらりと手を振っている。

今年は飲み込みの良さそうな子が入ってきたね。お手伝いしてもらえる子が増えてうれしいよ

 千草は淡香達の練習風景を見ていたらしく、感心したようなようすである。
 青藍は小さく笑みを浮かべながら頷いた。

はい。今度、先生も教えてあげてください

ああ

 千草は通りがかっただけらしく、すぐに窓から姿を消した。
 青藍は千草がいた窓を見ながら、術は千草から教えてもらった、と話してくれた。

本を喰う妖怪もそうだけど、うちの図書室は蔵書が多いから、変なものも寄り付きやすいんだって。だから対抗する必要があるんだとか言ってたなあ

そうなんですか……

 本を喰う妖怪だけでも淡香にとっては大事件なのに、まだ他にもいるのか。
 そう思うと、気が遠くなりそうだ。そして同時に、千草にも褒められたことを思うとうれしくなっていた。

 千草が消えて、自然な沈黙が舞い降りた。
 青藍は窓から視線を外して、どこか空を眺めている。

……先輩は、どうして本を喰う妖怪と戦おうと思ったんですか?

 淡香は、ぽつりとたずねた。どこか遠くを見ている青藍の前髪が、ゆらゆらと揺れる。

そうだな……前に見つけたとき、逃げられちゃったから。先生達にも色々呪符について教えてもらったし、ここは意地ってところかな

意地ですか

 遠くを見ていた青藍の視線がゆっくりと戻ってくる。

そうだね。でもさ、理由なんてそんなもんじゃない?

 淡香を見返してくる彼の目は、ただ、まっすぐだった。淡香も、青藍の言葉を反芻する。

そうですね……

 そんなものかもしれない。

 木が風にざ、と揺れて、葉がひらりと落ちていく。

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