今思えば、
これが人生初の
試練だったのかもしれない。
今思えば、
これが人生初の
試練だったのかもしれない。
嗚呼、歌舞伎町
当時は黒電話
僕だ。
僕隊員に次ぐ。
明日、朝4時より新宿歌舞伎町Xビルにて
警備業務を命ずる!
その依頼は突然だった。
今日は仕事がない予定だったので、
家でのんびりと夕食を食べていた僕。
ラジャー!
しかし、少しでもお金のほしい僕は
二つ返事で依頼を受けたのであった。
……ん?
朝4時?
歌舞伎町?
電話を切ってはたと依頼内容が気になる。
ふと時計に目をやると、
もう夜8時まわってるじゃん!
埼玉の郊外に住まう僕。
今から新宿に向かっても11時をすぎる。
ましてや、依頼は朝4時。
つまるところ、
今すぐに家を出て、
深夜の歌舞伎町で
夜を明かさなければいけないということなのだ。
電車に飛び乗った頃には
夜の9時を回っていた。
この時間から都心へと向かう
電車の人はまばらで、
客席にも難なく座ることができる。
少し気になるのは
向かう先である歌舞伎町。
日々のワイドショー取り沙汰されることの多いその地は
僕のような学生には禁忌の場だと思っていたので、
僕は敵地に乗り込む勇者のごとく
いささか興奮していた。
まあ、サークルの飲み会で夜遅く繁華街をほっつき歩いていたこともあったし、大丈夫だろう。
それが過信だったことは言うまでもなかった。
ういー、ひっく。
ぐえぇぇぇ。
ぐー、すぴー
歌舞伎町へ向かう新宿駅の改札を出ると、
地下でもあるそこは
風もしのげるせいもあり
僕のホームタウンの3倍はあろうかという
酔いつぶれた人々が
転がっていた。
※ 四半世紀前の話です
さすがだな、新宿。
そうでなくっちゃ。
とはいえ、これも予備知識の範囲内。
伊達に某局の
歌舞伎町24時間密着番組を
見ていない。
えーと、今は……と。
当時はアナログ腕時計
11時半かぁ……。
あと4時間ちょっとは長いなぁ……。
とは言っても、お金のため。
僕は我慢して4時まで時間を潰そうと考えた。
しかし、そこは新宿歌舞伎町。
あるものといえば
キャバクラやホストクラブ。
僕とは無縁の世界だ。
しかし……。
まあ、ちょっと歩いてみるか。
こんな金なさそうな雰囲気の学生に声かけるポン引きはいないだろう。
暇を潰せる場所が他に無いので、
僕は夜の歌舞伎町を意味もなく
徘徊しようとするのであった。
うう……。
それは、歌舞伎町に足を一歩踏み入れた時だった。
なんだ、この僕を圧倒するような、
それでいて、ぬるま湯で包み込むような
不思議な感覚は……。
歌舞伎町が醸し出す独特の雰囲気に
僕は早速飲み込まれるのであった。
いや、ここで怯んでは駄目だ。
僕の仕事場はこの先なのだから。
僕は進むぞ!
一歩、また一歩と
僕は歌舞伎町の地を踏みしめながら進んでいった。
はーい、お兄さん寄ってかない?
いい娘いるよー?
?
キョロキョロ
お兄さんのことだよ、お兄さん。
ほら、どう1時間だけでもさ。
えー……声かけるのかよぉ……
あ、あの、この後仕事なので……。
すみません……。
そうなんだ、残念。
じゃあ、お仕事頑張って。
……あれ?
思ったよりすんなりと断れたな。
もしかして、怖がりすぎてたんじゃないか、僕。
最初のポン引きをやっつけた僕は
すこしばかり調子に乗ってしまった。
せっかくだから、一通り練り歩いてみるか。
へー、これが新宿コマ劇場か。
こんなすごいところにあるんだなぁ。
夜だからそう思うだけかもしれないけど。
お、ラーメン!
食いてぇ!
ファーストフードもいいなぁ。
なんだ、歌舞伎町も割と普通の街じゃないか。心配して損した。
そうこうするうちに、
一通り歩き倒した僕。
しかし……。
アナログ時計ですよ
うえぇぇ……。
まだ12時半!?
ただ歩くだけの時間の進みは
とてつもなく遅かった。
24時間のファーストフードも、お金がかかるしなぁ……。
よし、もう一周するか。
はーい、お兄さん寄ってかない?
いい娘いるよーってあれ?
お兄さんまだこんなところにいたの?
あ、はい。
仕事が朝4時からでして……。
えー……。
それなら、こんなところ歩いてないで、どこか入っちゃったほうがいいよ。
でも、お金がないので……。
そうかもしれないけど……。
マジで危ないからさ。
ドキリ!
すみません、ありがとうございます。もう少しだけ探してみます。
ホント、気をつけて。
再び僕は、
その場を後にした。
危ないってどういうことだろうか。
でも、ファーストフード代も馬鹿にならないし……。
危険と節約のハザマで
僕の心は揺れ動いていたその時。
お兄さん……。
ビクッ!
僕はビルの隙間から現れた人影に
突然腕を組まれた。
ヒッ!
そこには肩にショールを羽織った
年配の女性の姿があった。
あ、あの……!?
お兄さん、ちょっと遊んでいかない?
お姉さんとイイコトしてさ。
このテンプレート的セリフ。
間違いない。
この方は立ちんぼ的お仕事の方だ。
あ、あの、僕これから仕事でして……。
仕事なんていいじゃない。
チョット・だ・け。ね?
僕を捕まえたその手がますます強くなる。
絶対に客を逃さない。
そんな気迫を感じる。
え、あの……でも……。
当時、チェリーボーイだった僕は
突然訪れた脱チェリーの誘惑に
正常な判断ができなくなりつつあった。
も、もうこの人に任せちゃってもいいかなぁ……。
そんな甘えた考えが僕の脳裏をよぎる。
しかし。
ハッ!
僕にはどうしても越えられない壁があった。
あのー……。
なに?お姉さんと遊ぶ気になった?
僕、1000円しか持ってないんですけどぉ……。
え゛
それでもいいですか?
『あわよくば脱チェリー』を見越した
この僕の回答は絶妙だった。
カードとかも持ってないの?
まだ学生なんで!
そう……。
じゃあ、また今度ね。
そう言うと
年配のお姉さんは別のお客様を探して
ビルの隙間へと消えていった。
た……助かった……。
安堵する一方で、
僕はどこかしら残念な気持ちもあった。
その後、
歌舞伎町をほっつき歩くのにこりた僕は
任務場所のあるビルの前に向かい
そこへ座り込んで朝を待った。
さいわいそのビルの前は
大きな幹線道路であり、
再び客引きの憂き目を見ることはなかった。
おはようございます。
時間になると
依頼のビルから人が現れた。
あ、おはようございます。
今日は一緒によろしくおねがいします。
その人は今日一生に働く
もうひとりの警備員の人だった。
ところで、始発も走ってないのにどうやってここに来たんですか?タクシーですか?
終電近くで新宿に来て、夜の歌舞伎町を歩いて時間を潰してました。
えええ!
それは大変でしたね。
中の部屋で寝てていい話になっていたんですが、聞かされていなかったんですね……。
えええ……
そんなぁ……。
こうして僕は
新入生に奢るための資金を
無事貯めることができました。