子供の頃のことです。
 僕はある日を境に両親がとても怖くなったことがあります。
 躾が厳しいとか、理不尽な仕打ちをうけたとか、そういうことではありません。
 僕は一人っ子でした。両親は共稼ぎで、父親は会社員。母親は知り合いが経営している英語塾で講師をしていました。
 きっかけは小学生のときに受けた盲腸の手術でした。入院していたのは一週間かそこらだと思います。子供の頃のことですから明確な記憶はありません。手術も無事に終え、術後も順調でした。
 退院して、ひさしぶりに自宅で眠れることを喜んだその日の夜でした。
 トイレで目が醒めた僕は廊下とリビングを隔てる引き戸の隙間から灯りが漏れていることに気がつきました。戸の向こう側で両親がひそひそ話をしている気配がありました。一人っ子の僕は内向的な性格で、どちらかといえば親の目を盗むように陰に身を潜める傾向がありました。そのときも、そーっと音をたてないようにして戸に近づき、耳をそばだてました。なにか秘密めいた気配を感じたのだと思います。
「・・・・・・ついていたわね・・・・・・」
 母の声でした。父がそれに応えて何か言いました。
「貢(みつぐ)にかけた・・・・・・が本来の目的とは違った役にたった。・・・・・・もつけておけばよかったな」
 父の言葉はそのときの僕にはよく理解できませんでした。
「大部屋だから部屋代はタダよね」
「・・・・・・・にも入っていれば日数分だけ金がもらえたな。残念なことをした」
「お金はいつ入ってくるの?」
「今月末だ」
「もしかしたらもっと大きなお金になっていたかもしれないと思うと・・・・・・」
 もっと大きなお金?
 僕にかけた?
 両親の言葉は当時の僕にとっては謎めいたものでした。
 でも、そんなことはすぐに忘れてしまいました。

 中学生のとき、母親の留守中にお財布の入っているタンスの引き出しを開けたことがあります。中に家計簿がありました。何げなく家計簿を開いて眺めていると『生命保険』と書かれた欄に、父と僕の名を見つけたのです。毎月、お金を支払っていることがわかりました。
 僕の生命保険?
 整理整頓の好きな母は古い家計簿も引き出しの中にとってあり、きちんと時系列順に並べていました。僕は盲腸の手術をしたときの家計簿を見つけて、すばやく頁を繰りました。
 あった!
 生命保険会社から僕の手術費用としてお金が入金された記録を見つけたのです。病院から帰宅した夜の両親のひそひそ話の記憶が蘇りました。あのとき両親は僕の生命保険の話をしていたのです。
 でも、働き手の父に保険がかけられているのならばわかりますが、なぜ僕に保険をかけているのでしょうか?
「貢にかけた・・・・・・が本来の目的とは違った役にたったな。・・・・・・もつけておけばよかった」
 父の言葉を思い出しました。でも、本来の目的とはいったい何なのでしょう。
「もしかしたらもっと大きなお金になっていたかもしれないと思うと・・・・・・」
 もっと大きなお金が入ることが本来の目的だった?
 本来の目的って・・・・・・両親は僕が死んだときのために毎月、お金を払っている。僕が死んだら大きなお金が入ってくる。僕の想像力は際限もなく膨れあがりました。
 両親は僕が死ぬのを期待している?
 いや、期待しているのではなく・・・もしかしたら・・・・・・
 保険金殺人を扱ったテレビや小説のミステリーが脳裏をよぎりました。作り話の世界がいきなり現実のものとなった。そんな気がしました。

 どうしましょう。三人家族の僕に助けを求める人はいません。親戚づきあいもない家庭なんです。
 明日にでも、いいえ今日にでも、両親が僕を殺そうとするかもしれません。僕はすくみあがりました。家を出て逃げようかと一瞬考えました。でも、どこに逃げる?学校の友だちの家に逃げてもすぐにばれてしまいます。先生に話をする?警察に行く?いろいろなことが脳裏を駆け巡ります。きっとパニックに陥っていたのでしょう。
 家出をするにしてもお金がありません。引き出しの中の財布を見ました。一万円札が三枚、千円札が四枚入っていました。それでいつまですごせるのか、僕には見当がつきません。とにかく、家出は見送ることにして、当分の間、自分の身は自分で守らなければならないと思いました。

 それからは母の作る食事に毒が入っているのではないかと疑いの目をむけるようになりました。
 食べてはいけないと思うのですが子供の身の悲しさ。僕の自制心は大好物のカレーやハンバーグ、スパゲッティを見るとあっという間にどこかへいってしまいます。腹の虫が鳴り止まず、腹いっぱい食べてしまうのです。
 両親と外出するときはできるだけ離れるようにしていました。歩道の反対側を歩いたりするのです。
「貢、こっちへ来い!」父が怒って僕に怒鳴りますが、僕は知らんぷりをしていました。
 でも、ミステリー小説の登場人物のような緊張感を強いられる生活は長続きしませんでした。そこに確かな疑惑はあるけれども、いっこうに実体化しない危険と僕はあっというまにおりあいをつけるようになってしまいました。だって、なにごともない日々がそれまでどおり、すぎていったのだから。
 高校に入学する頃にはそんなことがあったということすら忘れてしまいました。
「貢、話があるからこっちに来なさい」
 四月から社会人になる僕が大学の卒業式を終えて帰宅したら、父が待っていました。
「なに?」
 あの日、両親がひそひそ話をしていたリビングのテーブルに座った僕に父が書類を差し出しました。
「なに?これ?」
 僕は父から書類を受け取って目を通しました。
「おまえの生命保険の証書だ」
「僕の生命保険?」
「そうだ。おまえが生まれたときに三十年払いで終身保険に加入したんだ。あと八年で満期になる」
 僕は保険証書の補償金額欄を見ました。
「一千万円の終身保険じゃない?」
 大学生の僕はまだ、生命保険について詳しいことを知りません。終身保険の意味さえよくわかりませんでした。ただ、子どもの頃の恐怖に溺れかけた記憶だけが蘇りました。もちろん今、恐怖感はありません。
 そうか、あのときの謎が解き明かされるんだ。そう思いました。

「終身保険というのは、もしものときの死亡保障が一生涯続いて、何歳で死んでも死亡保険金を受取れる保険だ」
「その金額が一千万円ってこと?」
「そうだ」
「死ななかったら?」
「貢、人間は死亡率百パーセントの生きものだぞ」
 父が笑いながら言います。僕もつられて笑ってしまいました。「そうだね」
「適当なところで解約ができる。そのときは解約返戻金というものがもらえる。三十年間の支払い期間で契約したから、満了後の解約返礼金は生命保険会社の運用次第だが、支払い総額よりも高い金額が返ってくる可能性が高い。この保険ではな」
「三十年間の契約?」
「そうだ。あと八年で満了になる」
「今までずっと僕の生命保険を払っていたのはなぜ?」
「父さんはおまえに何かを残してやれるほど裕福ではないからな、これをプレゼントしようと思ったんだ。おまえが生まれたときに」
「どういうこと?」
「現在の契約者は父さんで、保険の受取人も父さんだが、おまえが社会人になったとき、契約者を書き換えようと思っていたんだ。受け取り人もおまえが決めればいい。ただし、残りの八年間はおまえが、自分の給料で保険を払い続けることになる。八年立てば三十歳の時点でおまえは一千万の資産を持つことになる。〇歳児の保険料率は、三〇歳になってから入るよりも格段に有利なんだ。三十歳まで残りの支払いを続けてもたいした負担にはならない。高利回りの定期預金のようなものだと思えばいい」
「親父・・・・・・」
 そういうことだったのか。僕は自分に生命保険がかけられていることを知ったときの周章狼狽ぶりを思い出し、苦笑しました。両親は僕を殺して保険金を手にいれようとしていたのではなく(あたりまえの話ですが)、面白い資産運用のプレゼントを僕のために用意してくれていたのでした。
 僕は父からのプレゼントをありがたく頂戴しました。あと八年間は自分の稼ぎから保険料を払い続けます。そして、いつか子どもができたときには同じことしようと考えています。それを我が家のならわしにしても面白いなと思いながら。
(了)

僕にかけられた生命保険

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