とうとう来たぞ、コロンビア

 飛行機での長旅を終え、とうとう私は降り立った。

 目に飛び込んでくるスペイン語が、遠い異国の地に来たのだということを実感させる。




 アジアの島国である日本から南米大陸にあるコロンビアに行くためには、一日以上の時間を要した。
 
 朝と夜が逆転してしまうほどの時差もある。地球半周分の移動は、想像していたものの何倍も大変だった。骨という骨が、ミシミシと音を立てている気がする。

 移動が大変なだけではない。お金だってかかる。エコノミークラスの移動であっても、私が払ったことのある飛行機代の末尾に、ゼロが一つ追加されるぐらいの値段だ。




 移動は大変。お金もかかる。それでもなお、私がコロンビアに行こうと決意したのは、コーヒーのため、ではない。

 コロンビアが、とある宝石の産地だったからだ。










 誰もが一度は耳にしたことのある宝石、美しい緑の宝石、エメラルド。



 コロンビアは、エメラルドの最大の産地だ。美しいコロンビアエメラルドがある、と言えば、宝石好きはだれでも、どれ見せてくれ、と集まってくるだろう。


 日本で一度、それはそれは美しいエメラルドを見たことがあった。

 宝石店に立ち寄り、あまり買う気はないがそれでも、とジュエリーを眺めていた時だった。




色石がお好きですか

 定員に話しかけられ、そうですね、と返事をする。ダイアモンドも好きだったけれど、その時は確かに、色のついた宝石が見たかったのだ。


 もしかしたら、あのエメラルドに呼ばれていたのかもしれない。

どのような宝石がお好きでしょう

 そう問われ、自分の部屋にあるジュエリーボックスを思い出す。


 社会人ももうすぐ八年目。それなりに、自分の稼ぎで好きなジュエリーや宝石のルースを購入することができるようになっていた。


 三か月前に、誕生石であるガーネットのピアスを購入した。真っ赤なものだ。

 赤い宝石の後は、対照的な色のものが欲しくなる。でも、ガーネットの前にはブルートパーズのネックレスを購入していた。


 となると、残る色は、緑。緑の宝石は、あまり多くない。

最近は、緑色の宝石が気になっていて

それでしたら、こちらのエメラルドはいかがでしょう


 手の平で示されたエメラルドは、私の好みの色合いではなかった。

もう少し深い色のものはありますか

深いお色でございますか


 そうですね、と店員は目を左右に動かしたけれど、私がぱっと見ただけでも、同じ色合いのエメラルドばかりだった。

本とかネットで見るエメラルドは、夢のまた夢だよなあ


 そう思っていると、店員は、小さく頭を下げた。

少々お待ちくださいませ


 そうして、レジ近くのディスプレイショーケースの下に手を伸ばした。

あ、来る! だから実際にお店に来るの、やめられない

 思わず、のどがごくり、と鳴った。



 宝石店には、数々の素晴らしい宝石が、ショーケースの下に息をひそめているのだ。
 この事実を知らない人も多いのではないか。なんてもったいない、と常々思っている。



 店員は、時にソムリエのように、これはいかがでしょう、とショーケースに並んでいない宝石を薦めてくれる。



 その高揚感といったら! そして、その特別な出会いといったら!


 店員が赤いアクセサリートレイの上に、三点宝石をのせてこちらに戻ってきた。

 リングと、ネックレスと、ピアス。

 目立っていたのは、リングだ。エメラルドカットと呼ばれる、長方形の四隅がさらにカットされた八角形のカット。遠目からでもわかるということは、それだけ大きな宝石であるということでもある。

 ショーケースの上に、店員は静かに、トレイをのっけた。

リング、見ていいですか

 すぐにリングを指名すると、ですよね、というように、店員の頬がほころんだ。宝石好きと宝石好きが通じ合う瞬間だ。思わず私も笑ってしまう。

綺麗なお石ですよね。濃い緑で

こんなに濃い色は見たことないです。すごいですね

コロンビア産のものですよ

コロンビア……

 そのときは、どこにある国だかわからなかった。

 エメラルドの産地として名前は聞いたことがあったけれど、実際に質のいいエメラルドを目の前にしてみると、一気に興味がわいてしまう。


 コロンビア、どんな国なのだろう。こんなに美しい宝石が、たくさん採れる国。



 結局、そのリングは私には到底手の届かないものだった。店員も、それはわかっていたはずだ。それでも、宝石好きが宝石好きのためにそうやっていいものを見せてくれることは、ままある。

 ある、けれど、その時ばかりは、やられた、と思った。

夢に出てしまいますね

 私があまりに夢中になっていたので、別れ際に、店員はそう言って笑った。




 その通り、その日の夜に、エメラルドのリングは夢に出てきた。

 夢の中で、私はそのリングを購入していた。何の迷いもなかった。


 やっと手に入れられた、という高揚感の中で目が覚めた。

 ああ、エメラルド。私のものになってくれるエメラルドと、出会いたい。出会いたいよ。








コロンビア産のエメラルドが欲しいよう!

友達が、実際にコロンビアに行って買ってたよ

 宝石好きの友人は、カフェでつっぷす私に向かって、さらりととんでもないことを言ってのけた。

 
 友人の友人は、コロンビアに住んでいる宝石商の日本人とインターネットでつながり、エメラルドを買う旅に出かけたのだという。


 私はすぐにスマホを取り出し、航空便の値段を見て、ひっくりかえった。

 なんだ、この額!

旅費だけでいくつ宝石が買えると思ってるの!

私もそう思ったけど、でも、見てこれ

 友人が、自分の首元を指さした。

 コーヒー豆の形のペンダントトップに、小さな緑色の宝石がきらりと光っている。随分ときれいな緑色だなと思っていたが……。

まさか、それ、コロンビアのエメ?

 宝石好きがよく口にするエメラルドの略称に、友達は思わずといったようにふきだした。

 私が前のめりになったのも、面白かったのかもしれない。

そうだよ。よく見て。こんな小さなエメラルドでも、深い緑でしょ

確かに……


 日本の宝石店でよく見かけるエメラルドの、何倍も濃く、深い色をしている。

しかもこれ、二千円だったんだって

二千円!?

金はさすがにメッキだけど、エメラルドはもちろん本物。

日本じゃ、絶対に無理な値段でしょ? 

この濃さで、かなりすごいカラットのエメもたくさん売ってたって。

デザインも豊富みたいだし、安く手に入るし。

さすが現地、さすが本場だよね

 




 なるほど、旅費をかけるだけの価値は、ある。


 そう確信した私は、エメラルドのための旅費と、エメラルドを購入する資金をためるため、日々こつこつと働き、こつこつとお金をためた。



 決意してから二年半で、ようやく、コロンビアへと旅立つことができたのだった。


 友人の友人に頼み、日本人の宝石商にコンタクトをとることができた。その人は、空港まで私を迎えに来てくれると言った。それは申し訳ないと断ると、そうではない、とメールで諭された。











 コロンビアは治安の悪い国だから、タクシーは使えないのです。



エメラルドを買いに 前編

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