3年前の9月19日。
父が亡くなりました。
胃ガンでした。





これは決して
面白くも変でもないけれど

ただ将来、
これを読んでいる多くの方が
体験するであろう、
そして
現在未経験であろう話です。

あくまで”送ること”についてです


その時がきたら
思い出してもらえると幸いです。












■電話が来た。

父が胃がんを宣告されたのは
それよりさらに2年ほど前でした



がんと言うと

髪の毛が抜けたり
寝たきりになったり
余命数ヵ月だったり
暗いイメージばかりですが

宣告後も父は
絵を描いたり
テニスをしたり


もちろん
食欲が減ることもなく

全然がんって感じがしないねぇ

と言われていました。




ただ、

後になって母が
教えてくれたことですが

お父さんね、胃がんだって言われた時に泣いたのよ

……そうなので、
カラ元気だったのかも
しれません。









まぁそんな感じで
2年ほど何ごともなく
過ぎた後の夏のこと。


形見分けのつもりなのか、

いいやつだから、やる


と、
私には不用品でしかない

バドミントンラケットを
押し付けてきたり

物置にしまってある本は貴重だから、もし死んだら図書館とかに寄贈してほしい

などと言うようになりました。





とは言うものの

現在、紙の本は
初動が悪いと言っては絶版になり

文豪だろうが何だろうが
動きが悪ければ
消費税が変わる度に
あっさりと処分されるので

新たな税表示で刷り直すには
手間も費用もかかるのです

それを言ったらどの本も貴重だって

と、取り合わなかったのですが。

だいたい、そんなに貴重なら

庭に建てた手作りの物置
(隙間あき放題、草伸び放題)

に置くんじゃないよと……




と、それは置いといて。



ともかく。

その電話が来るまでは
ピンピンしていたのです。




















その電話は母からでした。
夜11時頃だったと思います。

お父さんがねぇ、熱が下がらないの。
病院に連れて行ってもらえるかしら


今考えると
救急車を呼んだ方が早かったと
思うのですが

わかった

私は40分車を走らせて
実家に行きました。


……


寝ていたら
急に熱が上がって来たのだそうです。


足下がふらつきながらも
まだ意識のある父を
2階から下ろし

車に乗せて病院に行きました。


自力で行ったので
(意識もあるし歩けるし)
急患扱いにはされず、

診察までに
1時間ほど待たされました。




内診のあと
レントゲンと採血をし、
父はそのまま診察室のベッドへ



私と母は廊下の長椅子で
結果が出るまで待機です。











それから
どれくらい経ったでしょうか。

先生に呼ばれ、

今日はこのまま入院して下さい

と、言われました。





がんのせいなのか、
飲んでいる薬のせいかは
わかりませんが

免疫が下がっているので
ちょっとしたことでも熱が出ます。
年齢のこともあるし、大事をとって

……みたいなことを
言われた気がします。




そのあと、
入院準備が整うまで
簡易ベッドに寝かされている父に会い

(ベッドが足りなかったのか
カーテンで仕切っただけの廊下にいました)


診察が終わったことで
安心したのか

母は

ゴミ捨てが終わらなくってねぇ

延々とゴミに関する愚痴を
吐いていました。


















その時でした。
父が指で空中に

『3か月後に死ぬ』

と、書いたのは。





え?

ゴミがゴミがゴミが

ちょっと黙って!

何よ

…………お父さん、3ヵ月後に死ぬって言ってる

















そのまま父は入院し、
母は家に戻り、
私は車を走らせて帰りました。



深夜2時頃には
なっていたでしょうか。

いつも渋滞の国道がガラ空きで
平行車も対向車もなく。




Twitterのフォロワーさんは
覚えているかもですが

『国道153号線がガラガラだー』

ってツイートした、
あの日のことです。












電話が来た。

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