バケツの中に赤黒い液体が入っている。魔物から生きたまま搾りだされた血液だ。
そこへ床掃除用のモップが無造作に浸され、だらだらと垂れるのも構わず、荒々しく床へとたたきつけられていく。
モップを手にしているのは高等魔法師でもあるワンダリア国第一王子レイウェル・ジェラルディーン。
レイウェルは迷わずモップを動かし床に魔法陣を書いていく。
バケツの中に赤黒い液体が入っている。魔物から生きたまま搾りだされた血液だ。
そこへ床掃除用のモップが無造作に浸され、だらだらと垂れるのも構わず、荒々しく床へとたたきつけられていく。
モップを手にしているのは高等魔法師でもあるワンダリア国第一王子レイウェル・ジェラルディーン。
レイウェルは迷わずモップを動かし床に魔法陣を書いていく。
魔法師には六つの階級が存在する。
階級は色で示され、それぞれの魔法師は色付きの胸章を身に付けている。最も低いレベルから黒・白・黄・赤・青・紫となり、紫以外はそれぞれ二段階(二色)ずつに分かれている。高等魔法師は紫の中でもさらに五段階(五色)に分けられたうちの三段階(三色目)以上の者をいう。
そして、年に数回ある魔法師の昇進試験をすべて一発でパスして最高位である紫紺の胸章をつけた史上最年少の高等魔法師は、完成した血なまぐさい魔法陣を前にして爽やかに微笑んだ。
よし、こんなもんだろ
生ぬるくて酸っぱい鉄のにおい。それを真っ先に鼻孔が感知する。きっと感知するようになっている。大量の血液とは即ち生命の危機。脳が思考を停止して動物的本能に従おうとする。
王女は今まで見たことも嗅いだこともない大量の魔物の血の匂いに、言葉が出なかった。
込み上げる胃酸を何とかやり込めようと意識を集中するのがやっとだ。
そうじゃないと今にも自分がどこかに行ってしまいそうだと思った。
じゃあサラ、そこに横になってくれ
……
呼ばれた王女は生まれて初めて兄に反抗しそうになっている。
どんなときも勇敢で聡明で強い兄。
そんな兄が王女は大好きだ。尊敬もしている。
実際兄の言うことは間違いがなかったし、きっと将来この国を治めていくと幼いころから思っていた。
けれど、けれども。
いくら兄の言うことでも、生乾きの魔物の血の上に寝ろ、というのはいささか承諾しかねる。
だが、自分の体内からガラスの靴を取り出さなければ父である国王が時の番人リリーによって命を奪われることになる。
ごくりと唾を飲み込むと王女は血の魔法陣の上へ横たわった。
う……
ツーンと鼻につく匂いは、口で呼吸をしても時折おそってくる。王女は涙目になっていた。
あの、兄さま
王女はたまりかねてレイウェルに血なまぐさい匂いをどうにかできないか聞くことにした。
魔法陣の周りに獣耳二十四牙が集めてきた分離魔法の材料を置いていたレイウェルはきょとんとしてから、
ですよね
といい、手に持っていた星屑と髪の毛を放ると胸元から細長い紙(護符)を取り出して手の甲でふわりと撫でると王女の顔の上にそっと置いてくれた。
すると、それまで粘膜を攻撃していた刺激的な生臭さが全く感じられなくなった。
これでちゃんと呼吸ができるわと胸いっぱいに息を吸い込むと、急に眠気がさして、王女はそのまま深い眠りに落ちていった。
分離魔法を始める前にサラは兄に訊ねた。
ねえ兄さま、なんていうの?
なにが?
リリーにですわ。何をお願いするのです?
…ああ、考えてなかった
フツーに『帰ってください』でいいのでしょうか?
…ま、なんとかなるだろ
サラは心底不安ではあったが兄を信じるしか道は無いのだと、腹をくくった。
これより分離魔法をおこなう
レイウェルは真剣な面持ちでサラの前に立つ。サラを円形に取り囲むように式神たちが配置された。詠唱が始まる。
卵は鶏より出で、鶏は卵より出ずる
蛹は蝶より出で、蝶は蛹より出ずる
花は種より出で、種は花より出ずる
土は種を其の身に宿し、何れの時にか其処に還らん
我、理を得る時、真を導かん
汝、理を乱すは不浄なり
不浄によりて出ずるは真にあらず、悪なり
『汝、理を守るべし!』
と全員が唱えると同時にレイウェルは一枚の札を空中に投げた。
それには「得真事願候此処」と書かれている。
強い光が生じ、エネルギーの塊がサラの体から出た。
ワれを呼んダのはヌシか?
いざ時の番人を目の前にすると、レイウェルは戸惑った。
……
それでも、サラの体の中から取り出したガラスの靴をリリーの前に差し出し、言った。
リリー様、ガラスの靴を御用意いたしました
よくぞ持って参ったナ。ヌシの望みはなんじャ?
私の望みはただ一つです
……
どうか時のお告げをやめていただきたいのです
ほう
意外だという様子でリリーはレイウェルを見上げた。
それ(ガラスの靴)があれば、ヌシの望むどんな願いも叶えられるのだゾ
その目は確かに誘っていた。闇の世界へ。
…俺の望みは
その後。体内からガラスの靴を取り出したサラは後遺症もなく元気に過ごしていた。兄は卒業試験でのごたごたを聞き取り調査するため、毎日のように魔法学校へ呼び出されていた。第三書委員会の調査だといった。
王はサラを玉座に呼んだ。
お呼びですか、お父様
ああ、早速だがなサラ、お前、魔法を使いたいと思うか?
え?
サラは迷うことなく言った。
ええ! もちろんですわ!!