当時はちょうど、世界大戦が始まる5年前でした。


私と両親、そして美しい姉と叔母夫婦が住んでいたアパートの下の階に下宿していた売れない画家が住んでいました。


彼は駆け出しながら素晴らしいセンスを持っていて、両親は定期的に家族をモデルに絵を描くことを条件に下宿することを許していました。



勿論、何ヶ月か後になって私も書いてもらいましたが、その時の絵は焼かれてしまったことでしょう。

いえ、私のことはどうでもいいのです。


姉の絵は、本当に素晴らしいものでした。
町一番と言っても過言ではない程に美しかった姉を、やはり画家は何度もモデルに誘いました。

そこに下心があったかは分かりません。
ですが、姉はモデルになることを何度も拒んでいました。


ですが、画家が国へ帰る最後の1ヶ月ほど前になり、ようやく姉は首を縦に振ったと聞きました。

出来上がった絵はそれは言葉にできない程でした。

完成した絵が額縁に入り、今に飾られた時は、芸術にうるさい両親―特に母―ですら溜め息しか出ませんでした。



その時の我が家は、一番幸せだったと思います。

何かしらアレ……国軍かしら?

それにしては何か変よ……

我々はハイル軍である! 今日この時よりこの街は我々の監視下におかせてもらう!! 命令に背くことは禁ずる!! 分かったか!!

大臣たちが……連中の要求を呑んだというのかね?

十中八九そうでしょうな。どのような上辺の約束をしたのかは知らないが、もはや私達にとって住みやすい場所ではなくなった

兄さん、国を移るなら今しかない。連中が監視体制を万全にするまでに数日はかかる。すぐにでも出発しないと

しかし、ここには先祖から受け継いできた芸術品がある……どれひとつとして失うわけには……!!

バカ野郎!! 芸術がなんだ!! 先祖からの品がなんだ!! まずは家族を守ることが先決だろう!!

お前には当主の重みが分からんのだ!!

……兄さん、留まってもここの品は守れないよ。ハイル軍は芸術に目がない。全部押収されるのがオチさ

…………!!

だから、諦めるんだ。ここで意地を張っても無駄になるだけだ

………娘達を連れて行ってくれ。二人を巻き込みたくない

…………大バカ野郎

アナタは叔父様達と行きなさい

どうして? お姉さまも一緒に……

私は一緒に行けない。お父さまとお母さまを残していけないから

……気持ちは分かるがね、君はまだ若い。ここにいても最悪収容所なんだよ? ここに留まっても……

いえ、お気持ちは嬉しいですが、どうしてもここに残りたい理由がもうひとつあるんです

あの絵画のこと?

……さぁ。ほら、もう行かないと。下に車が来てるわ

それから後のことは、すべて叔父様の言う通りでした。


ハイル軍は元帥の機嫌取りのために数々の芸術・美術品を強奪していきました。

逆らったものは乱暴され、収容所行き。

両親が、姉が最終的にどんな運命を迎えたのか、叔父様は教えてくれませんでした。

大人になっても、叔父様が病床についてからも。
まるで、叔父様自身があの記憶を忘れようとしているかのように。

私が新しい地で結婚し、子供ができた頃、戦争が終わりました。

迫害・弾圧の歴史は平和の復興と共に徐々に忘れられていきました。




私は時々、ある人のことを思いだします。
短い間だけ私達のアパートに下宿していた、無名の画家。

彼は、今どこでどんな絵を描いているのでしょうか。
戦禍に巻き込まれていないことを祈るだけでした。


―50年後―

……どうだい、50年ぶりの祖国は

…………えぇ、風が心地いいわ

ゆっくり整理をつけていけばいいんだ。もうあの時のご家族で生きているのは君しか……

もうっ、心配性なのはちっともかわってないんだから!

孫も生まれてようやく歴史と向き合う決心がついたの。もう何も残ってないだろうけど、ゆっくり祖国を見て回りたい……ただそれだけ

……そうだね

あの……

…………あら? 私かしら?

こんにちは、マダム。この国は初めてですかな?

……いえ、この国の生まれなんです。ですが、もう50年間別の国で暮らしてきたので

戸惑われるのも無理はない。何せ50年とはとてつもなく遠大な時間ですからな。特に人にとっては

もしマダムがよろしければ、是非お連れしたいところがあるのです。ご一緒していただけませんかな?

…………

え、えぇ。主人も一緒でよければ

勿論です! では、行きましょうか

ここは……大学かしら?

廃校になった大学のスペースを借りて展覧会を開いているそうです。それが終わったら一部を解体して新しい教育施設を作るんだとか

先程の話からして……貴方もこの国の出身ですか?

いえ、若い頃に短い間だけ。帰国してから間もなくハイル軍に攻め入られたと聞いて気が気ではありませんでした。旦那様には良くしていただきましたし

……この喋り方聞いたことある。どこかで会ったことあるかしら

さぁ、着きましたぞ

……素晴らしい絵だ。テレビで見たことがあるものまである

ではマダム、心の準備はよろしいですかな?

準備? 何を仰って――――

あっ……ああっ…………!

お姉さま……!!

これが君のお姉さんの描かれた絵……聞いてはいたが、本当に見事だ

どうしてっ? てっきりハイル軍が持っていったものかと

その通り、彼女は絵を守りきれず軍に押収された。だが戦争が終わりハイル軍が負けると、押収された美術品を元の国に返そうという動きが生まれた。ここにあるのは全て、その運動によって返還されたものです

どうしても我慢できなかった。彼女との唯一の繋がりであるこの絵をハイル軍の手元に残しておくのは、どうしてもできなかったんだ

待って。じゃあ貴方……もしかして

妹さん……ですよね。お久し振りです。一目で分かりましたよ

…………あぁっ

ああああああああぁぁぁぁぁぁ!!

運命って、本当によく分からないものです。

簡単に離れてしまうと思えば、こうして長い時を経て再び繋がることがある。



もし神様がいるとしたら、私は心からお礼を言いたいです。
貴方のおかげで姉と再会でいました。
画家ともまた会うことができました。



この巡り会わせに、心から感謝を

ただいま、お姉さま

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