寄せた波が足の裏についた砂を捕まえて、返っていく波がそれを攫う。

ウミ

海の匂い……


大きく深呼吸して、呟く。

ウミ

帰ってきて……

ウミ

ミナミ

今日はどうだった?

舟、と呼ばれる村民が集まる小さな建物がある。
其処へ戻ると、ミナミが早速尋ねてきた。

ウミ

今日は荒れそうよ。船を出すのはやめたほうがいいわ

ミナミ

わかった、じい様方に伝えてくるね~

ウミ

行ってらっしゃい

海のことならなんでも知っている。

魚が何処でどんな風に生きているか、とか。
海藻が死んでしまった、とか。
人が溺れている、とか。

海のことがなんでもわかるのだ。見えるわけではない、感じるだけ。

––––––––––変な能力。最初は怖かったけれど、村の人々は私を受け入れてくれた。

そして、私を頼るようになった。私が此処に居てもいい、理由。

ウミ。みんなは私をそう呼ぶ。
ほんとうの名前は、わからない。

私は此処で暮らしていく。海と生きていく。
自分のことでわかっていることは、それだけだ。

ウミーーーーー!!


子供たちが駆け寄ってくる。

ウミ

どうしたの?

これあげるっ

貝のネックレス。
私が前につくり方を教えたものだった。

ウミ

つくったの?

うんっ、うけとって?

ウミ

嬉しいわ、ありがとう

やったあ、と声を上げて、走り去って行った。

綺麗な貝ばかりを繋げたネックレスは、光を集めて輝いていた。

子供たちは、無垢でとても可愛い。
私の命を救ってくれたのは村の大人たちだけれど、心を救ってくれたのは子供たちだ。
そのことには、感謝してもしきれない。

海辺を歩く。晴れた空が荒れた海面に映り込み、私はそれを眺める。

陽光が乱反射して、私は海を感じる。

海の中では、今日も命が巡っている。
たくさんの、命が。

けれど、わたしの探しものは、まだみつからない。

それは、海の青を纏っている。
それは、海の匂いを漂わせている。
それは、海のように広い心で私を抱きしめてくれる。





それは、私の、好きなひと。





まだ、みつからない。
現れない。会えない。






会いたい。話したい。
聴いてほしいこと、たくさんあるの。
抱きしめて欲しい。
貴方の海の匂いを、感じたい。






この広い海が、私の探しものを隠してしまった。
まるで能力と引き換え、とでも言うように。

ミナミ

ウミー、ご飯食べない?

ミナミが砂を蹴りながら、こちらへ歩いてきた。


もうそんな時間……。高く上った太陽を見上げながら、食べる、と返事をする。

波が高い。翳した手のひらの隙間で、波がうねっている様子が覗いた。

ミナミ

船、出さなくて正解だったねえ


ミナミも同じようにしながら呟く。

ミナミ

さすがね、ウミ

ウミ

ありがとう……

行こう、短い言葉に頷いて、私はミナミと舟に戻った。

……さすが、なんて。
反論しようとして、代わりに笑みを浮かべながら。

ミナミ

パエリア、昨日も食べたし……

ウミ

そんなこと言わないの

舟の料理担当のばあ様に、ミナミがぶうぶう文句を言う。
それを宥めながら、私は食堂に居る人たちに水を配って回った。

ばあ様の料理は、いつもすこしずつ味付けが違う。凝っていて、独特で、それがとても美味しい。
料理を習いたい、と思うけれど、ばあ様は怖くてなかなか声を掛けられない。

ミナミが悪態をつけるのが羨ましい、なんて、そんな風に思ってしまう。

変わろうと思えば変われるかもしれない。その度胸がないだけなのだ、きっと。

私は海に奪われ、海に与えられた。
それが私の人生の一つ目の転換期だとしたら、次はいつ来るのだろう。

ウミ

待っているだけじゃ駄目?
自分で迎えに行くべき?

広い海を前にすると、自分のあまりのちいささを自覚して、なにをする気も起きないのだ。

私の所為にするな

海が、憤る。

ウミ

……それじゃあ、あのひとを返して

…………

そう言うと黙り込む海。瞬間の狼狽で、さらに波が激しくなる。

ウミ

やっぱり、隠しているのね

ウミ

…………

ため息を抑え込んで、パエリアを口に運ぶ。
今日は辛さ強目の不思議なパエリアだった。

食器を洗うのを手伝い、ばあ様にお礼を言ってから、食堂を後にする。

空は曇り始め、反対に海は静まり始める。

ウミ

ミナミ、午後からは漁に出ても大丈夫ってじい様方に伝えてきてくれる?

ミナミ

おっ、機嫌直ったの?

ウミ

そうみたい


朝から機嫌が悪かった海が、ようやく落ち着いた。でも荒れる時は一日荒れるから、こんなことは珍しかった。

また、海辺を歩く。

予定がない午後は、世界に一人取り残されたように気分になる。

曇りの日の海辺に人は集まらない。
海が寂しそうに浜に波を打ち寄せた。

ウミ

私が居るじゃない

貴方は嫌

ウミ

……あの人なら、いいのかしら

…………

ウミ

あのひとなら、いいのかしら……

返して欲しい。



……でも、あなたも寂しいのね。
私にはミナミが居る。村の人たちが居る。
あなたも、ずっとそばにいてくれるひとが欲しかったのね。

ウミ

でも、私だって寂しいわ。
あのひとを、やっぱり、返して欲しい……

穏やかに寄り返る波が、今日は一段と優しく感じられた。

海の匂い。潮風が浜を吹き抜け、私を包む。

海は寂しがり屋。


––––––––––私も同じ。


すっかり海に染まってしまった私は、探しものをあてもなく求める。

ウミ

懐かしい声。

静まった海の中に声を聴いたような気がして、私はそちらを振り返った。

ウミ
Fin.

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