冬の都会では冷たさが心の奥に染み込んでいく。行き交う人々はあるいはそれに耐え、あるいはそれを享受しながら歩いていく。私、早乙女星香もその一人だった。
 今は十二月で昼間にははらはらと雪が降った。でも、それに情緒を感じるほど余裕はない。私は高校三年生で、来月には大学受験を控えている身だ。青春の1ページを勉強漬けで終わらせたくないものねと思いながらも、もうすぐ終わる、これがラストスパートなんだと自分に言い聞かせた。
 学校は今日もいつも通りの日程を消化した。あと一ヶ月もあるのか、あと一ヶ月しかないのかわからないけど、泰然とした心境で受験を迎えるほど心にゆとりはなかった。まあ、皆そうなんだろうねと思いながら、校門を登校した時とは逆の方向にくぐった。
 母から買い物を頼まれたので、学校が終わると雑貨屋に行って洗剤や電池を買い込んだ。そして、今日は今年度から通い始めた予備校の授業がある。雑貨屋で買った品物をそのまま持ち歩いてもよかったけど、わずらわしい気もしたので、駅のコインロッカーに預けた。
 予備校では本番を間近に控え、寒い中に熱気が伝わってくるようだった。講師も「行けたらいいな、じゃない。絶対に合格するんだ」と生徒たちを鼓舞し、生徒の中にも「受験生ではなく、受験戦士になるんだ」なんて言う熱血漢がいた。どこが違うのか今一つわからなかったけど、受験は単なる勉強ではなく、熱さを秘めた勝負なんだと実感した気になった。
 それが終わって校舎を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。今の生活のわびしさがいちだんと募る。そんな深い藍色の夜だった。 
 ちなみに今日は帰宅しても誰もいない。両親は親戚の結婚式に行き、明後日まで帰って来ないのだ。私は最寄りのハンバーガー屋に一人で入って夕食を取った。これで一日の予定は全て終わり、後は帰宅するだけだ。

 私は雑貨屋で買った品物を駅のコインロッカーに取り出しに行った。私が荷物を入れたのは何の変哲もない区画。と言うよりは、どの区画も何の変哲もないはずだった。
 しかし、私が荷物を取り出そうとすると、隣の区画からごそごそと何かが動く音が聞こえた。何だろう? 私は当然、不思議に思った。よく見るとカギが差し込まれたままで、つまり施錠されていなかった。私はふと興味を持って、その区画を開いてみた。
 次の瞬間あっと声を上げそうになった。そこにあったのは毛布にくるまれた生後間もない乳児だったのだ。呼吸をしているし何よりも動いているから、まだ死んではいない。これは実の親に捨てられたんだと一瞬のうちに察知した。
 私は思わず毛布ごと中身を取り出してしまった。通りかかった群衆はまだ誰も気付いていない。私はそれを隠すようにして丁重に抱えて歩き出した。通りすがりの人々には私が抱えているのが生きている乳児だと気付かれていないか、あるいは気付かれたとしても、それがコインロッカーに遺棄されていたことまでは知られていないだろう。私は本当のことを誰にも気付かれませんようにと祈りながら帰りのバスに乗った。

 誰もいない家に帰ると灯りを付けた。同時にドサッとソファーに座り込み、しばらく茫然としていた。それから自分がしていることを論理的に整理しようと努めた。
 ろくに考えもせず、思わず持って帰ってしまったけど、軽はずみにこんな大それたことをした自分が信じられなかった。そして、どうすればいいんだろう、どうしてそうしたのか深く自問した。
 すると乳児がほぎゃあ、ほぎゃあと泣き出した。えっと……。こういう時はどうすればいいんだっけ。少し戸惑ったが、束の間でもこれからこの子を預かるために近所の薬局に粉ミルクと紙おむつを買いに行くことにした。

ちょっと待っててね……。ベイビー

 名前がわからないので仮にベイビーと呼ぶと、コートを羽織って外に出た。夜の街は体の芯まで冷え込んでしまうようだった。でも、気高い使命感を帯びた今の私には全く苦にならない。
 コンビニどころか牛丼屋まで二十四時間営業する必要があるのかと思ったこともあったけど、夜の暗闇の中に灯りが灯った場所があると安らげるような気もした。
 薬局に入ると暖房が効いていて、寒さを少し和らげた。粉ミルクと紙おむつをレジに運ぶと、私ぐらいの年齢の人がそんなものを買うのが珍しかったのか、店員に不審な目で見られているような気がした。その視線を何とかやり過ごして会計を済ませると急いで家に戻った。
 おむつを換えようとベイビーの産着を脱がせてみると、怪我をした痕跡はなかったから、虐待されてはいないことがわかった。あそこには何も付いていないから女の子らしい。
 それからミルクを作ったが、お湯は一度沸騰させて少し冷ましてから注ぐという初歩的なことも今まで知らなかった。慣れない手付きではあったが、初めてミルクを哺乳瓶に入れて飲ませるという希少な経験をした。
 お腹が空いていたのか、それとも乳児は元々そういうものなのか、ベイビーは中断せずに一気に飲み干した。すると泣き止んで再びすやすやと寝息を立て始めた。
 取りあえず一息付いたけど、これからどうしよう。もちろん警察に届けなければならない。でも、それに逆らうこの感情は何だろう? 心の中でその出自を探していた。それはやがて一つの形に収束していった。今の私の心を満たすもの。それは漠然とした存在ではなく、整った形を持っていた。
 いつしか窓の外は雨が降り始めていた。私はもの憂げな気分で外を眺めながら去年の夏の出来事を回想していた。

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