その翌日。することもなくて今日は何をしようかと思案していると、電話がかかってきた。いつもは母親が応対するのだが、この時は買い物に出掛けて留守だったから亮太が受話器を取った。
 電話のディスプレイには「折坂達也」と表示されていた。最近の電話は相手の名前と電話番号が表示されるから意外な人からかかってきて驚くことも少ない。しかし、電話の声は意外な人だった。

亮太? 千鶴よ

 そう言えば、千鶴がこの家に電話してくるのは初めてかもしれない。その点では意外性のある人物だった。

明日、暇?

特に用はないけど

じゃあ私とデートしてくれない?


 えっ!? と心の中で驚きの声を上げた。どうしようかと一瞬思ったけど、熟考せずに

いいよ

と承諾した。

あら、よかったわ。明日の午前十時に広島駅の前で待ってるわね

 簡潔に用件だけを伝えて電話を切った。
 その直後になって考え込んだ。「デート」なんて明言したけど、どういうつもりなんだろう。もうすぐお見合いを控えている身で他の男とデートしていいのだろうか。それ以前にデートなんて初めてだ。最初の相手が千鶴なのは幸運なんだろうか。そんなことを思いながら翌日を待った。
 翌日の朝になって勝負の日が来ると、どんな服を着て行こうかと少し迷ったけど、昔からなじみのある相手なんだし、気を使う必要もないだろうとよく着る服を着て行った。
 待ち合わせの場所は広島駅。広島市の中心部なら大抵のものはある。先に到着して待っていると

お待たせー

と元気な声がして千鶴が現れた。ノースリーブの白いワンピースに水色のカーディガンという出で立ちだった。普段見ない服装だったけど、おしゃれをしたつもりなんだろうか。そんな千鶴を見るのはこれが初めてかなとふと思った。

今日はどこに行くの?

あんたはどこがいい?

あれ、そっちがデートコースを決めているんじゃないの?

希望がなければ、今から映画を見て次にウィンドウ・ショッピングをする予定なの。それでいいかな?

僕は何でもいいよ

じゃあ映画ね


 そう言って千鶴は亮太の手を取って歩き出した。女の子の二人で手をつなぐなんて初めてだ。そう思うと気恥ずかしさがこみ上げて来た。
 映画館の前に着くと、何を見るんだろうと思って千鶴に尋ねた。

今日は何を見るの?

これにしようよ


 若い男女がデートで見るんだから甘いメロドラマかと思ったけど、千鶴は今、話題のアニメを指差した。

普段テレビで放映しているアニメの劇場版よ。劇場版だとどんな演出になるのかしらね

 と言われても亮太はテレビシリーズの方を知らないのだが。
 中に入って客席を見渡すと二人以外、親子連れしかいなかった。どう見ても場違いだ。どんな映画なんだろう。亮太はにわかに人の目が気になり始めたが、千鶴は平然としていた。
 始まった映画は五人の少女が合言葉を唱えると派手なコスチュームに変身してモンスターと戦うという内容だった。女の子向けのアニメはこんななのか。これは一人で見るには勇気がいるな。そう思いながらちらっと横を向くと、千鶴は目をキラキラさせていた。
 映画が終わると千鶴はうっとりした様子だった。

やっぱりあれを見ると童心に帰るわね

帰るの?

あ~、何よ。その傍点を付けたみたいな言い方は?

帰ってくれると僕もうれしいよ

だったら今日は一日中、童心に帰ってやる~

 千鶴は悔しそうに言ったが、表情は悔しそうに見えなかった。
 そんなやり取りを交わしながら映画館の外に出ると、正午になっていた。太陽が燦々と照り付けていた。カラッと晴れて心地よい暑さだった。
 それから二人はファミリーレストランに入って一息付いた。

もちろん、おごってあげるわよ

僕がおごってもいいよ。その方が社会の慣習に近いし

いいの。今日はお姉さんっぽいことをさせて。大枚はたいておごってあげるからね

大枚と言っても、千円札一枚以下の金額だろ

あら、美女と一緒なんだから高級料理並みのサービスと思いなさい

あはは…‥

 亮太は笑い声をもらした。そう言えば、家族を含めても誰かと二人だけで差し向いになって食事をするのはこれが初めてかもしれないが、この言葉で緊張感が和らいだ。
 二人とも日替わりランチセットを注文した。やはり千円札一枚以下の値段だった。料理が運ばれて来ると特に変わった様子はなかったが、千鶴は

どう? 高級料理みたい?


 と言って身を乗り出した。

君が淑女だったら気分だけでも高級レストランにいる雰囲気だったかもね

じゃあ淑女っぽくするわ

 と言ったものの、どうすればそうなるのかわからない様子だった。
 結局どんな雰囲気になったのかはともかく、食事が終わってレジで会計を済ませる運びとなった。千鶴は伝票をレジに置いた。

1987円になります

 店員がそう告げると、千鶴は「ICOCAで払います」と言って機械にかざした。

残高不足です

 不吉な電子音とともに店員の声が無情に響いた。

電子マネーなんて財布から小銭を取り出す手間を省くためだけに作られたのよ

 千鶴は亮太の方を向かずにクールに言い放った。そして財布の中をのぞき込んだが、十秒ほどたってこう言った。

亮太。二円ちょうだい

あれ? おごってくれるんじゃなかったの?

レディーに1グラムの金属片を八枚も持ち歩かせるつもり? に・え・ん!

 千鶴がそう言うので亮太は二円手渡した。トレイには千円札が二枚と一円玉が七枚乗って二十円お釣りを受け取った。亮太にはその光景が何ともレトロに見えた。

今年って昭和94年だっけ?

そうよ。でも、私、令和-23年生まれだから、そんな時代知らな~い

 千鶴は巧みに切り返した。
 店に外に出ると、亮太はさっそく指摘してみた。

近頃はスマホでも払えるよ。政府もキャッシュレス決済を奨励しているんだ

そんなことをしたら庶民じゃなくなっちゃう

十年後には庶民もこぞってスマホで決済することになるよ

……

 千鶴は絶句した。実は千鶴はパソコンやスマホが大の苦手で、必要最小限のことにしか使わないのだ。スマホもキャッシュレス決済できるアプリをダウンロードしていない。

そのうちAIが人間を支配する時代が来たら、君はレジスタンスを結成して戦いそうだね。そうなっても僕は共闘してあげないよ

これだからミレニアム生まれの現代っ子は……。2000年問題をくぐり抜けてきた世代の苦労はわかるまい

 誰でもいずれは「近頃の若い者は……」と言うようになるが、千鶴はこの歳でもう言い出した。もっともそんな小さい頃のことなんて覚えていないだろうけど。

次はウィンドウ・ショッピングよ

ああ、いいよ


 千鶴がそう言うと亮太もあいづちを打った。千鶴はデパートのガラス張りの空間に張り付いて、展示された高級ブランド品を見ていたが、亮太は全く興味がないので千鶴の顔の方を見ていた。千鶴はそれを見ながら、こんな感想を述べた。

いいな~。私の小遣いじゃ買えないし、誰か買ってくれないかな~

結婚したら旦那さんにねだれるだろ

どうかな。そんな金持ちでもないしね


 千鶴は亮太に視線を向けていたずらっぽく笑った。年上だけど、どこか子供っぽいと思った。
 ウィンドウ・ショッピングに飽きてくると、千鶴は予定外のことを言い出した。

今からゲームセンターに行かない?

そうだね。それも久しぶりだよ


 亮太が高校生の頃はゲームセンターに行ってはいけないという校則があって、教師が市街地を巡回するという慣行まであった。だから亮太は自発的にゲームセンターに行ったことがなく、友達に誘われて数回入ったことがある程度だった。
 店内に入ると千鶴は少し目移りした後、格闘ゲームの席に座り

亮太も相手して~


 と誘った。しかし、やってみると亮太は慣れていないため、弱くて千鶴の相手にはならなかった。勝って喜ぶ千鶴を亮太は父親のような視線で見つめていた。
 ゲームセンターは青少年の健全な育成を阻害するなんて言って、大人たちの槍玉に挙げられるけど、千鶴のこんな表情を見られるんだったら、たまにはやってもいいのかなとふと思った。
 夕方になってそろそろ帰宅する頃合いになった。家が近いのだからその直前まで来ないと二人は別れない。駅を降りて後はそれぞれの家まで歩くだけという時になって、千鶴はこんなことを言い出した。

見て。夕陽が海に沈んでるよ


 ふと横を向くと、確かに夕陽が海面をオレンジ色に染めていた。二人は立ち止まって海の方を見つめた。海沿いの町で生まれ育ったのだから海なんてもう見飽きているが、不思議と新鮮な感覚がした。

夕暮れの海はロマンチックね


 千鶴はキャラに似合わず少女チックな感想を述べた。亮太が無言のまま返答せずにいると、こう付け加えた。

この潮風の香りがいつもピュアな心を呼び覚ましてくれるわね

潮風が吹かないとピュアになれないの?

あははっ。いつもピュアなつもりだけどね


 千鶴は笑顔を弾けさせた。

今日は付き合ってくれてありがとう


 そう言って千鶴は昔を懐古するような安らかな表情をたたえた。

こんなことを言われても困るかもしれないけど、お見合いを控える身になって自分の気持ちに気付いたの。私もあんたのことが好きみたい。だから最後に思い出を作りたかったの。今日のデートは私たちの恋の卒業式よ


 突然のショッキングな告白に亮太は驚いて絶句してしまった。千鶴はそんな一瞬だけ張り詰めた空気を柔らかく崩した。

最後にもう一つお願いしていい?

何?

今ここで私とキスして。そうすれば今の気持ちを全て忘れられるから

いや、やめておくよ。そんなことをしたら僕の方が君のことを忘れられなくなるからね

そうか。宙ぶらりんな終わり方は未練が残るんだけどな


 それから二人は黙って波の唄を聴きながら海の彼方を見つめていた。

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