あれは八歳の頃のことだった。近所で夏祭りがあった。様々な屋台や露店商が軒を連ねている。その中を亮太は涙目になりながら、とぼとぼと歩いていた。両親とはぐれて迷子になっていたのだ。不安そうにあたりを見渡すと、雑踏の気配が自分の真横を通り過ぎるようだった。
 亮太はハンカチで涙をぬぐうと、それをポケットにしまって再びとぼとぼと歩き出した。
 その時、背後で人の声が聞こえた。

そこの君。落としたわよ


 振り返ると見知らぬ少女がハンカチを手渡した。亮太はハンカチをポケットにしまったつもりが、落としたようだった。
声をかけたのは地元っぽい風貌の少女で、せいぜい十代くらいの年齢だったが、はるか年上という印象だった。この年頃の子供にとっては数年先に生まれただけでも、やけに大人びて見えるものだ。
 少女は亮太の気配に気付いて、心配そうに亮太の顔をのぞき込んだ。

どうしたの? お祭りに涙は似合わないよ


だが、亮太はうつむいたまま返事をしなかった。すると事情を見透かしたように詮索し始めた。

何かわけありね。話してみなさい


 その言葉に亮太も誰かに頼りたい気がして正直に話した。

僕、迷子になったんだよ

そうなの。じゃあ迷子センターに連れて行ってあげるね


 そう言って亮太の手を引いて歩き出した。すると、この界隈がにわかに活気付いて見え始めた。さっきまでと変わらないはずだけど、どうしてだろう。
 ある屋台の前を通りかかると少女はこう言い出した。

そうだ。林檎飴、買ってあげる。だから、もううつむかないで

うん


その瞬間うれしさの欠片のようなものが亮太の心に芽生えた。
一個三百円。現金の持ち合わせがなかったし、当時の亮太にとっては大金だった。

はい。お姉さんの愛情がたっぷり詰まった林檎飴よ


少女は冗談めかしたコメントとともに亮太に林檎飴を手渡した。林檎飴をなめるのは初めてではないが、いつもよりほんのり甘い味がした。

やっといい顔になったね。男はそうでなくっちゃね


 亮太には出会ったばかりのこの少女が何年も親交がある旧友のように感じられた。そんなことを思いながら二人で迷子センターに行ったが、両親には会えなかった。それでも、もうさっきまでの不安は感じなかった。

どうする? このまま待つ? それとももう少しお祭りを楽しみたい? ただ待っているのも退屈だしね

二人で歩きたいな


 亮太は甘えた声を出した。

じゃあ、とっておきの場所に連れて行ってあげるね


 そう言って二人で歩き出すと、いつの間にか人の気配が消えていった。やがて目当ての場所とおぼしき所に着くと、二人以外誰もいなかった。そこは池の前だった。水面を見つめると、その神秘的な輝きに吸い込まれていきそうだった。 

この池はね、好きな人と二人で水面を見つめると愛が実るという伝説があるのよ


 まだ幼すぎて少女の言葉の意味が理解できなかったが、なぜかその場の雰囲気にいつまでも浸っていたかった。
やがて花火が上がって夜空に大輪の花を咲かせた。それは水面にも映り、幻想的な光景を醸し出した。

綺麗ね……


 そう言って少女はしばし見とれていた。

ねえ…。どうしてこんなに親切にしてくれるの?


 亮太は不思議そうに尋ねた。

おばあちゃんの遺言よ。今日、ラッキーなことがあってね。だから幸運のおすそわけをするのよ。金は天下の回りものって言うけど、運もそう。人に与えた恩は世界を巡って、いつか自分の所にも返って来るのよ。だから、ここでせき止めてはいけないわ。私のオリジナル宗教みたいなものかな。だから君も困っている人を見たら助けてあげるのよ


 そう言って水面を見つめる少女は不思議なオーラをまとっているようだった。

そろそろ戻ろうか


二人は来た道を逆にたどり、活気付いた喧騒に戻っていた。迷子センターに戻ると両親が待っていた。亮太の母親は少女を見て意外そうな声を上げた。

あら、お友達?

いいえ、通りすがりの者でございまーす


少女が一通り事情を説明すると、母親も安堵の表情を浮かべた。今日偶然出会ったことは伝わったが、付き添ってくれた彼女ににわかに興味を持った様子だった。

面倒を見てくれてありがとう。それにしても亮太が女の子と歩いているのを初めて見たわ。亮太にも女の子の友達が出来たらいいのにねえ


 と表情をゆるめながら何やら俗っぽい感想を吐露した。
少女は亮太の頭にぽんと手を置いて

じゃあ、ここまでね。男の子は泣いちゃだめだぞ


 とたしなめた。そして

あばよー。少年


 と言い残して手を振りながら去って行った。
少女が姿を消しても、さっきまでそこにいたという事実は消えない。目の前の空気が暖かさの余韻を残しているようだった。
 そう言えば名前を聞かなかった。それに気付いて名前ぐらい聞いておけばよかったと思った。

それから数日後。亮太が通う小学校は放課後を迎えた。幼稚園の頃は終業するとすぐにバスに乗って帰宅したが、小学校には放課後という言葉がある。どうせ今日は母親がいないから何をして過ごそうかと思っていたところ、友達になり立てだった達也が声をかけた。

先週、新しいゲームを買ってもらったんだ。一緒にやらないか?

ああ、そうするよ


亮太は一人でやるテレビゲームしかやったことがないから、興味を持って同意した。
達也とは三年生になって初めて同じクラスになった。亮太は人見知りをする性格でクラスメイトともなかなか打ち解けられないのだが、そんな亮太にも達也は気安く接してくれた。それに亮太も気を許し、この日二人で並んで下校することになった。
達也の家はわりと近くにあって、それまで互いの存在を知らなかったのが不思議なくらいだった。さっそく家に上がると、達也の母親が出迎えた。

あら、新しい友達が出来てよかったわね


 母親は喜んだ様子だった。
この家は同じ地域にあるのだから当然かもしれないが、亮太の家と同じく庶民的な間取りの普通の住宅だった。だからというわけではないが、遠慮なくリビングにも入れた。リビングはダイニングにつながっていて、その中央に食卓が置いてある。
すると亮太はそこに座ってお菓子を食べていたもう一人の人物の存在に気付いた。それは数日前に出会った少女だったのだ。

あら、あの時の


向こうも気付いて声をかけた。少女の透き通る声が室内に響く。宵の中で見た時は地味な印象だったが、今は颯颯(さつさつ)とした空気を漂わせていた。思いがけない再会に亮太の心に涼風が吹き抜けた。

あれ、知り合いだったの?


 それを聞いた達也は意外そうな声を上げた。

また会うなんて奇遇ね。ここらに住んでるの?


質問に答えようとしたが、亮太は突然の状況に戸惑い、口をつぐんだ。それとはうらはらに少女は平然として、答えを待たずにこんな感想を言い出した。

世の中、狭いものね。でも、広かったらつまらないかもね。格闘技だってリングが広すぎたら派手に暴れられないからね

姉ちゃんはこの家がもっと広くても暴れるだろ


 達也が合いの手を入れた。

あ~、だったら狭いうちに暴れてやる。今日はあれをやるんだったね。じゃあ私もいっしょにやろうか。達也なんかに負けないぞ


 そう言うと誘いもしないのに乗り気になった。
この家に置いてあったのはレースゲームだった。ゲームが始まると、ちまちましたキャラクターが車に乗って発車する。しかし、亮太はうまく操縦できず、たちまちコースアウトした。それを見た少女は

私が助けてあげるね


と言って接近し、爆弾を投げつけて来た。それが爆発すると、亮太の車がスピンし始めた。

あはははは! 初心者をいたぶるのは楽しいわ

 少女はそう言って笑い出した。どうやら助けたのではなかったようだ。そうしている間に達也が先を越したが、少女は猛追して一位でゴールした。

いえーい! 私が一着~


 少女は子供のようにはしゃいだ。少女の横顔をちらっと見ると、数日前とは打って変わって幼く見えた。
時間はあっという間に過ぎて亮太が帰る時間になると、少女も玄関まで見送った。

達也以外の男の子と遊ぶのも数年ぶりね。楽しかったわ

 好意的な感想に亮太もまた会いたいと思い、喜色を浮かべた。

僕もお姉ちゃんと遊んで楽しかったよ。また遊んでね

あら、お姉ちゃんと呼んでくれるの?

そう言えば、名前を聞いていなかったね

千鶴よ。でも、姉と慕いたいならお姉ちゃんと呼びなさい

気が向いたら、そうするよ。じゃあね


 そう言い残して亮太は折坂家を後にした。その帰り道の途中、これから千鶴をお姉ちゃんと呼ぼうかと思案したが、気恥ずかしさのようなものもあってやめることにした。それでも一人っ子の亮太にはあんな姉が欲しいような気がしないでもなかった。
 そんな想いを胸に、ゆるい坂を登りながら茜色の空を斜めに見上げた。

 これ以来、折坂家との付き合いは十年に及び、互いの両親も含めて親戚のような関係になった。だったら千鶴の結婚もめでたいこと。亮太の両親もわがことのように喜んでいた。しかし、亮太だけは心の中にもどかしさのようなものが残って素直に喜べなかった。

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