東京発の新幹線は数時間かけて広島駅に着いた。その中で池谷亮太は四カ月ぶりに見る故郷の町並に期待感のようなものをふくらませていた。四ヶ月ではほとんど変わらないはずだが、そんなに故郷を離れたことがない亮太にとっては何か新鮮なものを感じるのだった。
 亮太は生まれてから十八歳まで広島県で育ったが、今年から東京の大学に進学した。他の町で暮らしたこともなく、旅行にもあまり行ったことがない亮太にとって東京は未知の驚きを経験させてくれた。
 どこからこんなにわいて来るのかというほどの人口密度の高さや、それにも関わらず東京砂漠と呼ばれる人間関係の希薄さ。そして、面積は狭いのに規模が大きい大都市の景観。東京と広島は陸続きなのに外国に行ったようであり、あるいは虚構の世界に迷い込んだようでもあった。
 そんな生活にもようやく慣れ、夏休みになって帰省した。故郷を四ヶ月も離れたのはこれが初めてだった。
 自宅に着くとインターホンを鳴らした。そう言えば、自分の家に帰るのにインターホンを鳴らすのもこれが初めてかもしれない。

しばらく見ないうちに立派になったねえ

 家のドアを開けた母親はため息混じりにもらした。

ははっ。そんなことないよ

東京の暮らしはどうなの?

どこに行っても人が多くて驚いたよ。でも、あれも貴重な経験だね


 家に上がると麦茶を出してお客さんのように扱われた。もう同じ住宅で生活していないのだと実感した。

そう言えば達也はどうしてる?

いつも通りやってるんじゃないの? 久しぶりにあの家にも顔を出してあげたら?

 折坂達也は近所に住む友達で、小学校からの付き合いになる。達也は地元の大学に進学したから出会って初めて離れ離れになった。そこでお互い夏休みなんだし、家に行ったらいるだろうと達也の家に出掛けた。
 達也の家は歩いて十五分ほどの所にある。到着してインターホンを鳴らすと、達也の母親が応対した。

はい、どなた?

亮太です

あら、久しぶりね~


 達也の母親はうれしそうに声を弾ませた。

亮太君が来たわよ


 リビングに通すと二階の方に告げた。まもなく二階から階段を降りる音が聞こえて達也が姿を現した。四ヶ月会わなかったせいか不思議と新鮮な感じがした。亮太を見ると直後に感慨深そうに言った。

お前も都会人の仲間入りをしたな


 そして、リビングのソファーに腰かけると、珍しい物を見るように尋ねた。

東京はうどんのつゆの色が濃いらしいな

そう言えば、まだ見たことがないな

秋葉原には行ったか?

それもまだだな。大学と家を往復するだけの生活だしな

せっかく東京に行ったのにそれじゃもったいないぞ

はは……。全くだ


 そんな世間話に花を咲かせていると、玄関のドアが勢いよく開く音がして

ただいまー

とよく透き通る明朗な声がした。その姿を見て亮太は驚きの声を上げた。

千鶴ちゃん?


 それは達也の姉、千鶴だった。

あら、亮太もいたの? ゆっくりしていってね


 そう言い残して、そそくさと二階に上がって行った。
 千鶴は亮太と達也より四歳上で京都の大学に通っていた。昨年度、卒業したはずだけど、その後のことは亮太も知らなかった。そこで気になって達也の母親に尋ねた。

おばさん。千鶴ちゃんは今、何をしているんですか?

仕事はしていないけど、来週お見合いをするのよ。これで決めたいわね


 そうなのか。異常事態ではないが、意外な回答にしばし絶句した。

もうすぐ結婚か。少し前まで子供だと思っていたけど、いつの間にか成長していくもんだよな~


 達也は感慨深そうに語った。

お前の方が弟だろ

この歳になると姉ちゃんって感じがしないな。俺が四歳の時、姉ちゃんが八歳だったから、人生が倍違っていたけど、今は一・二倍くらいしか違わないからな。差は変わらなくても比率は縮小するんだ。だったらそんな年上には思えなくなってきたよ。お前はどう思う?


 それを聞いて、そういうものなのかと思った。そう言われると、そんな気がしないでもない。千鶴の声や表情にはまだ幼さが残っているし、性格は達也より子供っぽいくらいだ。そう思うと亮太の主観の千鶴のイメージが変わって、もう姉のような存在ではなくなったような気がした。
 それからしばらく達也に東京の土産話をしたが、やがて帰宅した。帰り道は坂道を登るため自転車では行かず、十五分ほど歩いて帰る。十五分という時間は考え事をまとめるにはほどよい時間だ。
 しかし、亮太の脳裏には考え事にならないもやもやとした雑念が渦巻いてまとまらないでいた。
 家に着くと、無言で階段を上がろうとしたところで母親とすれ違った。

久しぶりに行った折坂家はどうだった?

千鶴ちゃん、お見合いをするらしいよ

私も聞いたわ。何でも取引先のお坊ちゃんで、いいなづけも同然なんだって。お嬢様みたいよね~


 そうなの? だったらこれで決まりなのかなとふと思った。達也も言ったけど、人は成長するものだ。自分だって民法が改正されれば、もう成人する歳だ。誰だっていつまでも昔のままじゃないんだ。
 そんなことを思いながら、自分の部屋に閉じこもって昔の思い出を回想していた。

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