ハール

……寒い。

 辺りはすっかり白くなり、自分の足跡さえも消してしまう。運よく見つけた木の洞の中、ハールはこれからのことを考えていた。

ハール

これを売ったとしても……お父様に気付かれそう。

 彼女が身に纏うのは千種類もの動物の毛皮を使った外套。妖しげなその服の中には、太陽のような黄金のドレスと星のような銀色のドレス、月のような青白いドレスが隠されている。

ハール

一体お父様は、何をお考えになっているのかしら……。
……と結婚、だなんて。

 城を抜けだしてずっと歩きっぱなしだったからか、まぶたが重い。こんな所で寝てはいけないのに。こんな、だれに見つかるかもわからないところで……。

ヴォルツヴァイ

……腹減った。

 同僚と暮らしていた家を飛び出し、何日が過ぎただろう。物語以外での狩りを全くしなかったからか、ここ数日植物以外の食料を得ていない。兎には逃げられ、魚には笑われた
 空腹で人の姿に戻ることもできないため食糧を恵んでもらうこともできない。大きな宣言をしたというのに、あっけなく餓死しそうだ。

ヴォルツヴァイ

ぐるる……(どっかに元人間の獣がいてくれたらなぁ)。

 腹を満たし、物語をめちゃくちゃにすることができる。一石二鳥だ。元人間のため捕らえ易いし。

ヴォルツヴァイ

ガル?(ん?)

 近くの大木から、濃い獣のにおいがする。そして、それに混じって、人のにおいも。

ヴォルツヴァイ

……。

 足音を消す。呼吸を整える。獣としての本能に任せ、少しずつ、進む。相手は大木の洞の中だ。逃げられる心配は無い。

ヴォルツヴァイ

グルァァ!(命もらった!)

ハール

っ!

やめるのじゃ!

ヴォルツヴァイ

キャイン!(頭が!)

 少女目がけ躍り出たのと合わせたように、いつもは童話の始まりを告げる声が、脳内に大音量で流れた。

ハール

い、犬……?

ヴォルツヴァイ

ガウガウ(犬なんかと一緒にするな! 俺は誇り高い狼だぞ!)

ハール

……お前も一人なの?

ヴォルツヴァイ

ウォン(勝手に触るんじゃねぇよ)

ハール

……暖かいね。

ヴォルツヴァイ

グルル(やめろ、喰うぞ)

 とはいっても、襲おうとする度脳内の声に邪魔されできないのだが。

のう、取引をせぬか?

ヴォルツヴァイ

取引? 俺が何をしようとしてるかを知ってのことかぁ?

うむ、そうじゃ。たしかにわしはお主のような狂った物語をなんとかする役割じゃが、ちとその制約があやふやになってきてるのでな。
この童話の主人公を殺さぬ代わりに、手を貸してほしい。

ヴォルツヴァイ

はっ、そんなのに乗るわけねぇよ。

選べ。この童話を崩壊させて飢え死ぬか、この女子を食わぬ代わりに食料を安定供給されるか。

ヴォルツヴァイ

わふ(思う存分撫でるがよい)

 一つの童話を崩壊させるよりも、創造者達の所に殴り込みをしてハチャメチャにする方がいい。
 目の前を見ず、今後を思うのだ。

ヴォルツヴァイ

グルル(眠っちまってたか)

 千匹皮の娘に撫でられ、天の声が小人に届けさせた飯を食べ、うっかり寝てしまったらしい。
 すぐ傍には穏やかに眠り、抱きマクラのようにがっしりと己を抱きしめる千匹皮がいる。

ヴォルツヴァイ

ちっ、このままだと移動も人化もできねぇ。

 あたりは夜の帳に包まれている。少女が起きることもないだろう。

ヴォルツヴァイ

……ん? 人の足音?

 複数の人間の足音。うっすらと漂う鉄の臭い。それは片手では足りないほどの殺害をした者特有の臭い。

ヴォルツヴァイ

猟師か強盗か屠殺屋か……屠殺屋であってくれ。

 猟師であったら己が、強盗であったら彼女が危険な目にあう。
 残念なことに、こんな雪の中を真夜中に歩く屠殺屋などいないだろうが。

ヴォルツヴァイ

っ!

 頭部に、痛み。これは、猟銃か?
 また、死ぬのか? いや、これで終われる。童話外の死亡は、本当の死になる。
 でも、そしたらあの少女はどうなるのだろう。何らかの悪意のあるものが己を撃ったのなら、どうなってしまうのだろう。

なんで、ここにきゃつが!

 焦る天の声が遠ざかる。温もりが消えていく。
 この舞台から、永遠に退場する。夢が叶ったというのに、もやもやするのは何故なのだろう。

ウンアンリッシュ

みーつけた。

第十四幕「狂った脇役の現在」

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