こんにちにゃ~っ


猫さんに挨拶。

こんにちにゃっ


返事に、思わず笑みがこぼれる。

今日は何処へ行く?

そうね、今日はわたしが素敵な場所へ案内するわ

黒い毛並みが陽光を反射する。艶やかで、今日も猫さんはとても綺麗。しなやかな尻尾を揺らし、彼女が先行していく。


軽やかな歩調に、私は置いてけぼりを食らわないように早速後を追った。


一人と、一匹と

歩く。

今日も暑いね~

嫌になるわよね、まったく


話す。

今日は此方よ

うわぁ、こんな場所に階段なんてあったんだ

上る。

日焼けしちゃいそう~

人間も大変なのね。わたしは余程のことがない限り、毛が焼けたりはしないもの


休憩。

飲み物持って来れば良かったぁ……

帰ったら、わたしにもわけてくれるかしら?

もちろんっ


また、上り、そして。

到着よ。今日紹介する私のお勧めは、此処よ


まるでリポーターのように気取ってみせる猫さん。

わあっ……!!


階段の先にあったのは、何の隔てもないまっさらな草原。昔から此処に住んでいたわけではないけれど、それでも知らなかったことが悔しい。

素敵でしょう?

とっても!!初めて来たよ、こんなところ

ふふ、喜んでもらえたようで良かったわ


くるり、ゆっくりと体を回転し、その景色をひととおり眺める。思わずため息がこぼれるほど、その景色に圧倒された。

猫さんは、そんな私を見て満足そうに目を細めている。

今日はどんな一日だった?

また、男性に声を掛けられたわ。わたし、今は恋には興味がないのよ、貴女との散歩がとても楽しいから

楽しいって言ってもらえてすっごく嬉しいけど、でも、素敵なひとに出逢ったらちゃんと恋するんだよ?

それは、言われるまでもないことよ

フェンスもなにもなく、其処には街と青空だけが広がっている。綺麗、私の乏しい語彙ではそんな表現しか出来ないけれど、もう、こんな景色には他の何処へ行っても出逢えないのではないかと思ってしまう。

貴女は?今日はどんな一日だった?

昨日とあまり変わらないよ。あ、でも、此処を知ることが出来たから、昨日よりとってもいい日

それなら、よかった


猫さんはさっきの私のようにくるりと一回転し、その場に丸まった。一連の動作がしなやかで、猫さんは本当に、綺麗。

私も彼女の隣へ座る。

……今日もね、わからなかった

うごめく動物の口元が、脳裏に浮かんでは消える。
浮かぶ頻度の方が多くて、私は見えている景色のことを忘れてしまいそうになる。

私、人間なのに。やっぱり、わからないの。猫さんの言っていることはわかるのに。母さんと父さんの言っていることも、わかるのに


猫さんは、顔洗いをしたあと、言った。

前に言っていた、坂野さんは?

坂野とは、引っ越してから一度も会ってないの

そう……

私は、動物の話していることが理解できる。

動物、だ。其処には人間だって当然含まれる。

……けれど、わかるのは、相手が心を開き、また自分も心を開いた時にだけ。

つまり、引っ越して来たばかりの私には、この街の、こんなに綺麗な眺めを作り出す街に住んでいる人たちの話していることが、ひとつも理解できなくて。

苦しい日々は続き、いよいよ三ヶ月目に入った。

猫さんと出逢ったのは、登校初日の放課後だった。

最初は当然、彼女の言葉も、なにもわからなかったけれど、段々と、彼女と言葉を交わせるようになり、今一番此処で私が心を開いているのは、家族を除いて彼女だけなのだ。

猫さん、私、どうすればいいのかな……


思案顔でゆっくりと尻尾を揺らす猫さん。その動きを見ていると、少しだけ、固まっていた心が柔らぐ。

私、この街の人たちと、仲良くなりたいのに。ちゃんと、理解できるようになりたいのに。駄目なの、音は聞こえても、言葉は聴こえない。なにも、聴こえないの

……わたしは、貴女が無理しているから、聴こえないのだと思うわ


猫さんが、伸ばした私の足の上にそっと乗り、私の目をじっと見つめた。

貴女は早くわからなきゃ、って焦っているのだと思うの。それは、貴女の素直な意思で人と関わろうとしているということにはならないわ。それでは、貴女はこのままずっと、誰とも言葉を交わせないままになってしまう。人と関わることを恐れては、駄目よ


真っ直ぐに見つめてくるブルーの瞳が、優しく私を諭す。

……坂野さんと、話をするといいと思うわ。貴女は、わたしと、お母様とお父様としかお話しできていないのでしょう?先生の言っていることも理解できないのでは、勉学にも支障が出てしまう。このままでは、駄目だわ。一度、貴女のことをもっとよく理解してくれている人と、お話しするべきよ


猫さんはそう言って、私の手の甲をそっと舐めた。

……くすぐったいよー

たまには猫らしいこともしてみようと思ったのよ、我慢なさい


すりっ、と、頭を手首にすり寄せてくる猫さんは、

大丈夫よ、坂野さんは、きっと貴女の助けになるわ。わたしは、話を聴くことしかできないけれど、坂野さんは貴女を直接、支えることの出来る人でしょう

……ありがとう、猫さん

どういたしまして


青と緑とグレーと、少しずつのたくさんの色みに染め上げられている景色を目に焼き付け、立ち上がる。

猫さんは、猫らしく猫伸びして、そして、言った。

今度わたしも、坂野さんにお会いしたいわ

うん、いいね、紹介するよっ

そして、歩く。

すこし涼しくなったかな

えぇ、でも、飲み物はわけて頂戴ね


下る。

階段を下るリズム、私とっても好きなの

早く下りすぎて、躓かないように気をつけるのよ


休憩。

この階段、今度何段あるか数えてみようかなっ

……気が遠くなりそうね、その作業は

また、下り、そして。


陽が沈み始めた街に降り立って、私はもう一度、

今日はありがとう

どういたしまして。明日は、貴女がわたしを案内して頂戴ね

もちろんっ


前方から、少しやんちゃそうな猫が駆け寄ってきた。

あら、あの猫は……


お、もしかして。

それじゃ、私はおいとまするねっ

あ、待って、まだ飲み物をいただいてないわ

彼に奢ってもらいなよっ


バイバイ、手を振り、私は歩く。

歩く。

……坂野、元気かな


想う。

あのアホ顏に、逢いたいな


歩く。

電話、してみよう


想う。

くよくよすんなって、怒られちゃうかな


歩く。

……でも


止まり、そして。

話すだけでも、なにかが軽くなるはず

また、歩く。

家へ向かって、歩く。
すれ違う人たちに、会釈して。

歩く。

一人と、一匹と
Fin.

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