翌日、予想通り俺は糞野郎に連れて行かれた。
そして予想通り、

魔王

何これ?

奴のいらだたしい声。目の前に広がるのは青い海。そして……

大量の難民達。皆不安を顔に湛えて、行列や人だかりに加わっている。

様子を見るに、ここでは食料や物資の配給が行われているらしかった。少し離れた岩場の影で、俺達は人間共を観察する。

治療テントはこちらです!

女性と子供優先でお願いします!

油断するなよ、いつ魔物が襲ってくるか分からんからな

疲弊した市民達の間を、同じ格好をした兵士達がせわしなく動き回っている。

こう同じ外見をしていると、確かに勇者が混じっていても気付かれないだろう。

魔王

人だらけじゃん

アリサ

……そうっすね

魔王

なに? もう海開きしたの?

アリサ

よく見ろよボケ……泳いでる奴なんざ一人もいねぇだろ……

魔王

なに? アイツ等嘘ついたん? ふざけんなよアイツ等、アリサよかブスなくせして

アリサ

いや……ここらへんは俺の担当区域でしたから……こんなんなってるなんて、アイツ等は知らなかったんじゃないでしょうか

一応俺は三人をかばってやる。しかしそれでこの糞の機嫌が収まるわけも無く。

魔王

アリサ、今から掃除してくるからさ。お前は危ないから離れた場所で遊んでなさい

爽やかな笑顔を浮かべたゴミ野郎は、岩場から出て難民達の元へ歩いていく。途中で片手を振り上げたかと思うと……

耳をつんざく轟音が轟き、天気は一瞬にして嵐へと変わった。大粒の雨が頬を叩きつけ、まだ濡れていない砂を巻き上げる突風が吹き渡る。

海面は渦を巻いて暴れ狂い、一部が東洋の龍のように天空へと立ち上る。さらにその一部は本物の生ける怪物となって、避難民達を襲い始めた。

悲鳴が次々とわき起こる。突如地獄と化した辺り一帯を逃げ惑い、陸地側にある防風林へと一斉に逃げ込んでいく。

兵士達はなんとか体勢を立て直し反撃しようとするが、たった一人で天候すら支配する魔王には手も足も出ない。

な、なんなんだあの男は!?

あやつが魔王だ!! 市民を守れ!! ここで奴を倒すんだ!

く、くそっ、魔王め――うわぁぁぁぁああああ!!!

断末魔をあげて、彼らは暴風に吹き飛ばされていく。未知の魔法の恐怖から、ものの数分で部隊は総崩れとなり、糞野郎に立ち向かう者はいなくなった。

転んだり足がもつれたりして逃げ遅れた人間は、哀れ水龍に足の先から丸呑みにされ、そのまま海中へ引き込まれる。

魔王

はーはっはっは!!! 人間共よ逃げ惑え!! 父なる海へと還るがいい!

アリサ

……あれだけ見ると魔王っぽいんだが……

魔王

アリサとのデートを邪魔した罰だ!! 一人残らずこの邪龍で食い尽くしてやろう!!

アリサ

これだから嫌だよ……

魔王の威厳など欠片も無い、私怨を剥き出しにして暴れ狂う反吐野郎。濡れるのが嫌な俺は、岩場の奥深くへと入り込む。

帰りたい。せめてこの糞野郎から離れたい。しかし人間共と一緒になって防風林に駆け込んでは巻きぞえを喰らうだけだ。

アリサ

どこで遊んでろってんだよ、この糞野郎が……

アリサ

……待てよ、そういや確かここらへんに、緊急用の隠し通路があったはずだな……

昔の記憶を思い出し、俺は辺りを見回した。数分ほどで、目印を付けていた岩を見つける。
身体をくっつけて踏ん張ると……

アリサ

あったあった。この先をまっすぐ行けば、魔獣軍の前線基地に……うぇっ

喜ぶ俺の口元に、錆の臭いが突っ込まれる。長いこと使われていないため、劣化が激しい。

確か前の前の前の代辺りの四天王が、囲まれた状況で脱出する時の為に建造したと教わった。

とはいえ、実際にそんな危機など一度も訪れたことがない。そもそも図体が大きい俺やグラドは通路に入ることすらできない。ジオットがギリギリだ。

メンテナンスすらしていなかったが、まさか使う機会が訪れるとは。

アリサ

人間じゃなく、魔王から逃げる為に使うとは思わなかったけどな……

俺は内側から通路の蓋を閉める。

壁に掛けてあるランプは、とうの昔に油が切れてしまっている。俺はXperiaを取り出し、ライトをオンにして辺りを照らす。

足を滑らせないよう注意しながら、階段を一歩ずつ降りていった。

ね、ねぇ、ここって……

……行ってみよう

歩き続けて数十分。足が痛くなってきた頃、ようやく俺は出口に辿り着く。

ほこりの被った蓋をそろそろと開けると、光と共に話し声が漏れてきた。俺はXperiaのライトを消す。

……しかし、どこ行ったんかなぁ、エルドラゴさん

アリサ

……グラドの声だ

出た先は司令室の片隅。

乱雑に積み重なったガレキの真下に、隠し通路が設置されてあるのだ。

外の様子をこっそりと伺う。ジオットとグラドがNintendo Switchでぷよぷよテトリスをやりながら、行方をくらませた俺を心配していた。

ジオット

どこ行ったって……北部の帝国だろ。国民全滅させてこいってあの野郎に無茶振りされて飛ばされたって、ソフィーヤ将軍が言ってたじゃねぇか

グラド

そんなん言うかぁ? あの魔王人間界の侵略とか全然考えてねぇじゃん。今だって俺達にずーっと待機命令出させてるし

ジオット

オレも変だなーとは思うけど……ソフィーヤ将軍が嘘つくとは思えないぜ。第一メール入れたらちゃんと返してくれるし、まさか殺したりはあの糞魔王だってしなかんべ

グラド

でも電話にはなんでか出てくんねぇんだよな……おっ、6連いった

ジオット

うっわ! だからお前カエル積み止めろっつってんだろ! ちゃんと組めよ!

グラド

だって分かんねーよ組み方! 俺テトリス派だし!

ジオット

じゃあテトリスやれよ

グラド

あーいーよやってやんよTスピントリプルでぼっこぼこにしてやんよ

アリサ

元気そうでよかったけど……もうちょっと心配してくれよ……

多少疑問に思う程度でなんら行動を起こさず、延々とゲームを続ける二人。

下手に動かれても迷惑なだけなのだが、俺はなんだか、妙に空しくなった。

女にされてから、ソフィーヤ達と同様にほとんどの連絡先を消されてしまったが、幸いこの二人だけは覚えていた為すぐに復旧できた。

とはいえもちろん電話には出れないし、今話しかけるわけにもいかない。

アリサ

ここから出られれば、すぐに魔界に帰れるんだが……こいつら出てってくんねぇかなぁ

抜け出すチャンスが全く訪れず、俺はひたすら息を殺して待ち続けた。

グラド

当直めんどいなぁ~。どーして休みだってのに人間界にいなきゃなんねーんだよ

ジオット

そうだなー

グラド

他の軍はあのえこひいき魔王からたっかい給料貰って存分に休日を満喫してるってのによー。こちとら娯楽もなんもねぇ人間界で夜を明かさなきゃなんないなんてよ

グラド

お前やエルドラゴさんいなかったらとっくに辞めてるわこんなん! あーぁ金と彼女欲しい……

ジオット

……そうか。なんか、すまん

グラド

は? いきなりどったん

ごく普通に話していたジオットだが、急に弱ったような声を上げる。

ジオット

エルドラゴさんにはまだ伝えてないんだけどさ……近々魔王軍辞めようと思うんだ

アリサ

はっ!?

危うく声が出そうになる。

アリサ

な、なんでだよ、なんでお前が……

グラド

えーいや、なんでなん? お前キャリア組でしょ? もったいないだろ辞めんの

ジオット

実はさ……店、開こうかなって思って

グラド

は?

アリサ

み、店? そんな話聞いてねぇぞ

グラド

そんな話聞いてないぞ。なんの店だよ?

アリサの考えと全く同じ疑問を、グラドが口にする。ジオットは少し気恥ずかしそうに後ろ頭を掻いてから、ぽつぽつと話しはじめた。

ジオット

実はよ……この前魔王に、牛肉の唐揚げ食べさせられたって言ったじゃん?

グラド

うん

ジオット

エルドラゴさんの手前、いかにも迷惑そうに話したけど……その唐揚げ、めちゃくちゃ美味かったのよ。夢中で食ったわ

グラド

マジか

アリサ

マジか

ジオット

もちろんあの野郎は単なる嫌がらせで出したんだろうけど、オレにとっちゃ共食いしてでも食べたくなるくらい美味くてよ。これを魔界の人達にも広めよう、牛肉の唐揚げ屋を開こう……そう思ってんだ

グラド

マジかよ

アリサ

マジかよ

ジオット

マジだよ。けど店開くったって金なんかねぇし、本当はもっともっと先になるはずだったんだけど……運良く知り合いが、開業資金出してくれるって言ってくれてさ

グラド

牛肉の唐揚げに?

アリサ

牛肉の唐揚げに?

ジオット

牛肉の唐揚げに。見てろよお前、いつか絶対、オレの唐揚げ食わせてやるからな。もちろんエルドラゴさんにも

グラド

はぁ……分かった、楽しみにしてるよ

アリサ

……人が女体化されて毎日苦しんでるってのに……こいつは……

未来への希望と情熱で目を輝かせているジオットに、俺は怒りを覚えてくる。小さな握り拳がわなわなと震えた。

ジオット

つーわけでオレ、今月いっぱいで辞めるわ。もうあの糞魔王ともおさらばよ

グラド

えーお前、クーデターどうすんのよ? 今エルドラゴさん達色々準備してんでしょ?

ジオット

それはまぁ……大丈夫だよ。影ながら協力はさせてもらうから。色々と

ジオット

それにあの四人なら大丈夫だよ。ソフィーヤ将軍はベテランだし、紅音とアイヴィアスも、あの二人ならやりきってくれるって分かる

グラド

何その言い方。お前桐生将軍とアイヴィアス将軍の知りあいなん? 俺それも聞いてねぇぞ

ジオット

魔王学校ん時に後輩だったんだよ。そん時から二人とも滅茶苦茶強かったぜ

グラド

はー!? じゃあお前なに、後輩に立場抜かされてんの!? だっさ!

ジオット

うっせーな! だから言いたくなかったんだよ! おら死ねばっよえ~ん!

グラド

わー待て待て待て! あっ駄目だこりゃ……ちくしょうもっかいだ!

対して引き留めることもせず、グラドは呑気にゲームを続ける。怒りを通り越して、なんだか虚しくなってきた。

アリサ

はーぁ……あの糞さえいなけりゃ、俺もこんな感じでのんびり侵略できてたのによぉ……ジオットだって辞めなかったし……

グラド

あー早くエルドラゴさん帰ってきてくれー。予約したソフトの発売に間に合わん

ジオット

どういうことよ

グラド

経費で落とせばいっかなーって思って、金ねぇのにゲーム予約しちったんだよ。申請ならなんやらはエルドラゴさんしか出来ないからさ

ジオット

……お前よ、それホントに考え直した方がいいぞ……完璧に不正だろ

グラド

うるせーな、幹部なんだからいいだろ。一万年以上バレなかったんだ、絶対大丈夫だっての。ソフィーヤ将軍だってやってるぞ

ジオット

……だからってやっていいって訳じゃないだろ……少なくとも紅音とアイヴィアスは――

グラド

ほれ、Xperia鳴ってんぞ

ジオット

あいあい……

ジオットはゲームを中断させ、テーブルに置いてあった自分のXperiaを手に取る。画面を見た後、すっと立ち上がった。

ジオット

外で話してくる

グラド

なんだ、彼女か?

ジオット

そんなわけねぇだろ。お前勝手に操作すんなよ

どこか落ち着かない雰囲気で、ジオットは司令室から出ていった。

グラド

……っかしぃな……アイツついこの前まで、平気でべらべら喋ってたってのに

そのままジオットは数分経っても帰ってこない。手持ち無沙汰になったグラドは、自分もXperiaをいじり始める。

グラド

……そうだ、今のうちに……

アリサ

ん?

アリサ

!!

グラド

ん?

着信音が聞こえた瞬間、俺は戦慄する。
間違いない――発信源は、俺の懐。

自分のXperiaを取り出すと、発信者はグラド。ジオットが辞めるという話を、俺に伝えようと電話をかけてきたのだ。

もちろん電話には出ずに切る。しかし、警戒せずにマナーモードにしておかなかったお陰で、奴にもばっちり聞こえていたようで。

グラド

え……エルドラゴさん? いるんすか?

アリサ

やべぇ……っ!! この姿を見られたら……!

グラド

そっちって隠し通路の方っすよね? なんでそこに……ていうかその体でどうやって……

立ち上がってのしのしと歩いてくるグラド。俺は音が聞こえるのも構わず、隠し通路の蓋を開けて潜り込む。

な、なんで逃げるんすかー?

アリサ

うるせぇっ、来んな来んな来んなぁぁぁ……!!!

俺は真っ暗な通路を灯りも点けずに降りていく。こんな姿を見られたら、もう死ぬしかない。

幸いグラドはここには入れない。部下に来られる前に、このまま地下まで潜ってしまえば――

きゃっ!?

アリサ

うぉっ!?

突如柔らかい何かにぶつかり、俺は階段を転げ落ちる。錆び付いた金属に体のあちこちがぶつかった。

幸いすぐ下の踊り場で停止する。混乱している俺は間違ってXperiaの電源を付けてしまい、闇の中に液晶画面の光が浮かび上がった。

う……うぅ……

アリサ

お……お前……なんでここに!?

目の前で呻く少女を見て、つい先日の記憶が蘇る。確か、この女は――

グラド

な……お前等何モンだ!!?

隠し通路の蓋が開けられ、より大きな光が差し込む。そして聞こえてきた、グラドの声。

その声は、俺にとって、絞首刑の足場が開いた時のように無慈悲に聞こえてきた。

し、侵入者だ!! 隠し通路にガキがいるぞっ!! 警報鳴らせ!! 体のちいせぇ奴は来いっ!! ガキを捕えろっ!!

けたたましい鐘の音が鳴り響く。同時に聞こえてくる、十数人分の荒々しい足音。

もう駄目だ。逃げようとしたところで、簡単に取り逃がすような奴らではないことは、俺が誰よりもよく分かっている。

わ、あわわ……

アリサ

……終わった……

騒然とする地上の様子を見て、俺は全身の力が抜けていく。少女……ミューリスは血相を変えて逃げ出すが、追いかける気も、一緒に逃げ出す気も無かった。

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