三月に入って間もなくのこと。


仕事の合間に事務所に戻ると、唯が一人でソファーに座っていることに気づいた。

黙々と何かの作業をしているようだ。

……いたっ

プロデューサー

ゆ、唯っ? どうしたんだ?

悲鳴に近い声が聞こえて、僕は焦って唯のところに駆け寄る。

プロデューサー

ケガしたみたいだけど、大丈夫かな

あ、プロデューサー。おはようございます。えっと……

針で、指を軽く刺してしまっただけなので……

唯は少し恥ずかしそうに頬を染め、うつむき気味の視線をうろつかせている。

その手元には、キルト布と針と糸があった。

プロデューサー

裁縫……? 唯が? 学校の課題か何か?

失礼な質問な気もしたけど、唯は超のつく手先が不器用な女の子だ。

包丁をにぎるだけで怖がるのに、裁縫をしている姿を目にすることになるとは思わなかった。

自分でも似合わないことをしている自覚はあるのか、いつもよりさらに恥ずかしそうで、目線すら合わせてくれない。

課題じゃなくて。あの……これ、ホワイトデーのお返しなんです

プロデューサー

ホワイトデー? 女の子の唯が?

反射的に聞き返してしまった。

が、すぐに意味は理解できた。

唯は周囲をきょろきょろと見て、今この場には自分たちしかいないことを確認してから――

……バレンタインの時、私、学校の子たちや、ファンの子たちにたくさんのチョコをもらってしまって

その中でも、いわゆる本命チョコ……っていうのも、いくつかもらってしまったんです

特に本気の子たちは、しっかりホワイトデーにお返ししなきゃいけないんじゃないかって

チョコだけじゃなく、プレゼントや手紙もたくさんもらったし……

そういうのって、とても勇気がいることだったと思うんです。だから私も、誠実に応えなきゃいけません

プロデューサー

ああ……なるほどね…

苦笑が漏れる。

やっぱり唯はマジメで、しかも芯の強い子だ。

でも、それと唯の裁縫姿がどう繋がるんだろう?

僕の疑問が顔に出ていたのか、真顔だった唯は、再びぽっと頬を染めた。

誠意あるお返しって何かなって考えて…それで、思いついたんです

…私の好きなものを、手作りでプレゼントすれば…って。自分がそういうのもらったら、嬉しいから…

プロデューサー

へえ。いいアイディアかもしれないね

なるほど。

それで唯は、自分の好きなものを裁縫してみることにしたということか。

そして唯の好きなものということは……。

プロデューサー

きっと相手の子も喜ぶよ。……可愛い、猫のマスコットだね?

ねっ、猫じゃありません! 大好きですけど……これは、その、しろひぐまさん、にしようとしたんです!

ムキになって言いつのる唯に、僕は慌ててしまった。

プロデューサー

えっ、し、しろひぐまさんって真っ白じゃなかったっけ?

まだらに茶色いから、たぶん犬か猫なのかと思ったんだけど……。

……いや、自分に嘘をつくのはよそう。

正直なことを言えば、目の形で猫と判断しただけで、なんの生物なのか、そもそも生物なのか無生物なのかもハッキリ判別がつかない。

これは……針で何度も指を刺してしまって。汚れてしまったんです

プロデューサー

血染めなんだ……

思いついたはいいけど、なかなか上手くいかなくて……

唯はうなだれてしまった。

アイドルとして、指をケガするのは良くはないけれど……。

見たところ、傷自体はそれほどないみたいだ。

プロデューサー

ま、まぁ、ホワイトデーのお返しならお菓子でいいと思うし、そんなに思い詰めないで、気軽にやってみるのがいいんじゃないかな

は、はい。まだホワイトデーまで日にちもありますし

仕事とか学校の合間に、挑戦していきたいと思ってます

時間がかかることは分かってるので、ゆっくりと。自分の手で、しろひぐまさんを作ってあげたいんです。それで可愛いって喜んでもらえたら、嬉しいなって

唯は嬉しそうに目を輝かせている。

しろひぐまさんを自分で作りたい。モチベーションの比重は、そこにあるかもしれない。
 
何であれ、自分のやりたいことに真っ直ぐでいられるのは良いことだ。自分を抑えつけているところがある子だから、そういう面を見ると安心する。

全力で見守っていこうと、胸をあたたかくしていたところに。







――ガチャリとドアが開いた。







ぞろぞろと入ってきたのは、ナチュライク!の3人だ。

ミユ

あ、プロデューサー、唯さん、おつかれ~

スケジュールを確認すると、3人ともダンスレッスンの帰りみたいだ。

つかさ

あら? あららら? 唯さん何を作っているのですか?

好奇心の塊であるつかさが、いちはやく唯の手元にあるものに気づいたようだ。

あ、えっとこれは……

隠すタイミングを逃してしまい、恥ずかしそうにしている唯のところへ3人が集まってきてしまう。

ミユ

お裁縫や! 唯さんすごいな! 自分、縫い物なんてガッコでしかやったことあらへんわー

ミユ

糸通しが楽しすぎて何回もやってたら授業終わった……

つかさ

お裁縫!! わたくしも習い事は一通りやりましたが、家庭のことは全く……! お嫁さんになるためには必須の能力だと聞きます! 素晴らしいです!

八葉

とにかく何をしてても唯師匠はかっこいいです……尊敬します……!

裁縫セットを持っているだけで、生活力皆無の3人から大絶賛を集めている。

そんな、大したことじゃ……

囲まれながら、唯も満更でもなさそうな表情だ。

ミユ

ほんますごいなぁ……これはえっと、あれや! クラゲ!

(ぐさっ)

あぁ…っ、唯が笑顔のまま哀しみに貫かれている…。

プロデューサー

い、いやいや。これは違うよ。唯の大好きな可愛いものだよ。唯の好きなものといえば……?

つかさ

好きなもの……。なるほど、わかりましたっ!

あぁ、ありがとうつかさ。そうだよ、教えてあげてくれ!

つかさ

越前ガニ!

(ぐささっ)

2得点目だ! カニは可愛くない!

つかさ

この前に地元から取り寄せたものを、美味しそうに食べてくださったので……。違いますか?

……ご、ごめん。これ……クラゲでも越前ガニでもない

ミユ

んー。やっちゃんなら分かるかな? 唯さんのことやし

八葉

ええっ!?

唐突にふられた八葉は、明らかにきょどりだした。

話をふられないように後ずさっていたらしい。

真っ赤になって目をぐるぐるさせ、ぶつぶつと何か呟いている。

八葉

ど、どうしよう唯師匠が精魂込めて作ったものを当てられないなんて、そんなのぜったいダメだよ……! か、かんがえろ、かんがえなきゃ、かんがえるんだ八葉~……!

ミユ

八葉シンキングがはじまった

プロデューサー

八葉シンキング?

つかさ

解説します! 考え事で追い詰められた八葉さんの思考がだだ漏れになってしまう現象のことです!

ミユ

そしてロクな答えをださない…

八葉

クラゲでもカニでもない何か……タコ……イカ……あっ、エビ……?

ホントだ、妙な流れのせいで海の生物に心をとらわれすぎてる…!

八葉

いやエビはこんな茶色じゃない……いやでも、ナマなら……うぅ、ああ分かりませぇん! 私は一体どうすれば……唯師匠に申し訳が立ちません……!

ミユ

やっちゃん、さっきから考えてること全部口に出てるで?

八葉

ふぇぇっ!?

あぁ、自覚ないんだ……。

さすがに僕の方から説明しようと一歩前に出た。……僕も分からなかったから、人の事は言えないんだけどな……。

プロデューサー

みんな、唯の作ってるこれは……

けれど、隣に立つ唯から袖を引っ張られて止められてしまった。

あの、プロデューサー。自分でもこれには全然納得できていませんから

だから、いいんです。もっとちゃんと作れるようになります

プロデューサー

そっか……うん

唯の気持ちは伝わってきた。

きちんとしろひぐまさんに見えるものを作れるようになるまで、これがそうなんだとは言いたくないんだろう。

しょげているかと思ったけれど、唯の瞳は強い光を宿していた。

私、頑張るから。待っててね。しろひぐまさん


そして唯は、手に持った『何か』に向けて、力強く語りかけていた。

第1話 真摯なお返し

facebook twitter
pagetop