リジェクトキューブの中。


オレは右手に握られた《黎玄》がMEへと還元されていくのを見ながら呆けていた。



アシストが切れたリバウンドによる脱力感。
模擬演習に負けた敗北感。



それとともに男だと思っていた蘇芳が女の子だったことへの驚きが大きかった。

確かにこの学園でのドレスコードというのは非常に緩い。

フード付きパーカーを制服の下に着ても何も言われないし、学園の中で制服でない格好をしてる者もちらほら見た。

そんな学園で女の子が男子用のズボンを穿いていたって別に不思議じゃない。

だが、髪で顔を隠していたあたりからして、あえて男に思わせているような気もしないでもない。


まぁ、そもそも蘇芳自身が男と名乗ったわけでも、女と名乗ったわけでもないのだから、それもやはりオレの思い込みでしかないのだけど。



何はともかく。



どうしたものか、とその真っ黒な空間を見渡していると視覚ディスプレイに篠原先生の顔が映し出された。

篠原 紀伊

二人とも、模擬演習ご苦労だったな。
双方とも初めての執行演習にしては十分な動きだったな。
まぁ緒多は最後の最後でミスが目立ったがな。

確かに、自分の放った刃で追い込まれたというのも非常に滑稽な話である。

緒多 悠十

あははは……気をつけます。

篠原 紀伊

しかしまた、使い方の難しい装備を選んだものだな。
あれは相手の動きを完全に読む能力が必要な上級者用だ。
初心者が使いこなそうと思うなら、未来でも見えないと厳しいだろうな。

オレは「未来を見る」というワードに内心ドギマギしながら苦笑いで応えた。

篠原 紀伊

では、両者ともMINEの執行システムを終了して待機しろ。
その後他の見学者と――

と、その瞬間。

篠原先生の言葉を遮って通信が――途絶えた。

数秒待っても、通信は回復しない。


これは、異常事態だ。
そして、緊急事態だ。


何かが起きている。
何かが――起きてしまっている。


そう、感じた。


そしてパーソナライズ中の彼女の言葉を思い出す。

クロノス

ユウが望もうが望まなかろうが、能力を使わなきゃならない時が必ず来るよ。

望もうが。

望まなかろうが。


能力を使う時が必ず来る。



これが、その時だというのか。



嫌な予感。嫌な違和感。
嫌な実感。嫌な一致感。

とにかく、このキューブに閉じこもっているうちはどうにもならない。


頭の中でMINEに執行システムの終了する命令を入力した。


リジェクトキューブの内壁にタイルのような模様が浮かんだかと思うとそれが下の部分から剥がれ、粒子状のMEへと還元されていく。





そして。



視界が水色に染まった。


告げられる、未来の情景。憧憬。前兆。惨状。

『                      

                       』

* * * * *

篠原 紀伊

何が……起こっている?

紀伊は次々と文字が羅列されるモニタールームの画面に向かって、キーボードを凄まじい勢いで打ちながら呟いた。



端的に答えは出る。


Cスタジアムのメイン・システムへのハッキング。


だが彼女が疑問に思っているのはそういうところではない。


Cスタジアムのメイン・システムを始め、学園内のランニングシステムは全て、人間の脳レベルまで高度にブラックボックスされている。


すなわち、そんなことが可能なシステムは人間の心象世界を構築するほどのパーソナリティー解析力をもつMINEを除いて存在しない。


そしてスタジアムのネットワークは外部のネットワークからは遮断され、スタジアム入場時に学生証、あるいは教員証を通した者からのアクセスしか許されていない。


すなわち可能性として考えられるのは生徒の誰かがハッキングを行っているという事になる。


一体誰が、何の目的で。


やっとの事でスタジアムカメラを復旧をした時。



信じがたい光景が現れた。




それは。




戦闘を終了したはずの蘇芳が黒いリジェクトベールの前に立ち、ゆらりと剣を振り上げている姿。

篠原 紀伊

な、何を……。

届くはずのない声が口から漏れる。


少しずつ黒いキューブが還元していく。


それはすなわち、キューブの保護が失われるということである。

篠原 紀伊

や、やめろ!

* * * * *

視界が元に戻る。



リジェクトキューブの還元が進み、そして黒い壁が完全に消え去った時。





緒多 悠十

ぐっ!

灼熱の剣がオレの真横すれすれを迸り、地面を叩きつけた。


オレは驚きながらも後ろ向きに飛び跳ねて距離を取った。



もし避けていなければ、いや、もしクロノスの力が働かずに未来を見ていなかったら――


――確実に死んでいた。

クロノス

ワタシだってお前に死なれたりしたら困るんだし。

今朝、クロノスはそう言った。

そしてオレはこう言い返したのだ。

緒多 悠十

日常生活でどうしたら死にそうな事態になるんだよ?

どうやら。


クロノスの言った通りになったらしい。

緒多 悠十

何すんだよ……蘇芳。

蘇芳 怜

……。

蘇芳は答えない。


再び髪に隠れて表情は読み取れない。

だが、そんなもの読み取らなくなても、ふざけているわけではないことくらいは分かる。


これは明確な――殺意。


剣を構え、ゆっくりと歩み寄ってくる蘇芳から距離を保つように後ずさる。


次の瞬間、視界から蘇芳が消えたかと思うと、


     界
  が
         大

              く
                揺
    れ
                   た。






そして。

緒多 悠十

グゥッ!!

横向きに吹き飛ばされた。



スタジアムの壁に激突し、意識が飛びそうになるのをぐっとこらえる。



ここで気絶などしたら絶対に助からない。


それでも容赦なく、背中と脇腹には激痛。


蘇芳は一瞬でオレの真横に移動して回し蹴りを食らわしたのだ。


センサーアシストやパワーアシストがなければ避けることも受け止めることもできはしないだろう。


オレはぐったりとしながら執行システムを起動しようとしたが、

前回の戦闘が終了していません。執行システムを再起動するためには終了要件を満たした上で全戦闘参加者の執行システムをシャットダウンしてください。

というダイアログが現れた。


アシストなしでは蘇芳の動きに対応できない。


ベールが展開されていない今、攻撃を受ける事はすなわち死を意味する。

クロノス

『ワタシを使えよ、ユウ』

再び声が頭の中で言った。

クロノス

『あの見えない皮を被っていられる間だけなんだよ、ユウがワタシの力に頼らず戦えるのは』

いつの間にかオレはあの白い空間に座り込んでいた。


そして、やはり目の前にはクロノスが立っている。

クロノス

死にたくないだろう?

緒多 悠十

あぁ、まだ死ぬわけには……いかない。

クロノス

なら、ワタシの力を使え。

緒多 悠十

……………………。

クロノス

その沈黙はYESととっていいのかな?

クロノスはニヤリと笑って膝をついた。


そしてオレの首に手を回し、その唇をオレの右眼へ寄せ、こう呟いた。

クロノス

――刻(とき)の代償をもって、刻(とき)を司る目を汝に与えん。我の口づけをもって、契約の証となす――

そしてオレはされるがまま、目を閉じ、クロノスの口づけを右眼の瞼で受け止めた。



思いの外柔らかいその唇を。

* * * * *

目を開くと『現在と未来の狭間』に立っていた。

――左眼に映るのは現在(オリジナル)の世界。
そして、右眼に映るのは未来(クロノス)の世界。


二つの視界を持っているような不思議な感覚。


どういう理屈でそうなっているのか分からない。

右眼の視界と左眼の視界は重なることなく独立して見えているのだ。


クロノス

『ユウ、いいか、よく聞けよ』

頭の中でクロノスの声がする。

クロノス

『時間ってものは繋がっているんだ。
もしある時点の運命をユウが変えれば、その後の時系列も変化する。
つまりこの場合、ユウの右眼に映る世界は絶えず更新されていく。
その度に代償は払ってもらうから、記憶を失うのが嫌だったら、とっとと終わらせる事だ』


緒多 悠十

こりゃまた随分な悪徳商法じゃねぇの

クロノス

『死ななくて済むだけマシだと思いな』

緒多 悠十

ちっ。わかったよ。

執行システムは使えないのでME装備は呼び出せないが、MINE自体が動いているうちは生成を安定させられるはずだ。



オレは鉄刀にバンテージを巻いただけの粗末な武器を生成する。



蘇芳の剣を受け止める事はできないが、未来が見える状態なら十分避けられる。


刀を構え、左眼を手で隠し、右眼で蘇芳を見る。

『蘇芳は一気に間合いを詰めて、灼熱の剣がオレの心臓を貫いた』

隠した手をどけて両眼で蘇芳の動きを見つめる。ピクリと蘇芳の肩が動いた瞬間、オレは体を翻して一気に間合いを詰めてきた蘇芳の剣をかわした。

『剣をかわされた蘇芳は剣を逆手に持ち直し、振り向きざまにオレの首を撥ねた』

オレはかわした勢いのまま後ろに倒れこむ。

一瞬前までオレの首があった場所を剣が唸りをあげて通り抜けた。

『蘇芳は倒れこんだオレに対して逆手に持った剣を振り下ろし、オレの右肩を串刺しにする』

オレは倒れ込んですぐ体を転がして横に逃れる。蘇芳の剣が地面に深々と突き刺さり、刺さった部分のコンクリートが灼ける。

オレはすぐに立ち上がると剣が抜けなくなった蘇芳の隙をつくために刀を大きく振り上げた。

『蘇芳は剣から手を離して回し蹴りをオレの腹に食い込ませた。もろに入った蹴りのせいで肺の中の空気が口から全部吹き出した』

オレはバックステップで蘇芳の回し蹴りをすれすれで避け、キックバックして蘇芳の面に刀を振り下ろす。

顔あたりを斬られた蘇芳は後ずさり、邪魔とでも言いたげな様子で髪を払った。

緒多 悠十

!?

オレは蘇芳の顔を見て言葉を失った。



なぜなら、蘇芳の顔には――





何もなかったのだ。



目も、鼻も、口も。



模擬演習の間はあったはずの顔のパーツというパーツがない。



そしてその顔のパーツの代わりにあったのは、ピエロのようなメイクだった。


赤くて大きな口と涙のような黒い模様だけが描かれていたのだ。

緒多 悠十

そりゃあ聞いても答えない訳だぜ。

オレは背中につうっと汗が伝うのが分かった。


と、その時、MINEから音声が流れた。

【音声通信が申請されています。許可しますか?】

オレは頭の中でYESと答える。

篠原 紀伊

緒多、無事か!?

篠原先生だった。

緒多 悠十

まぁ……生きてはいますが……。
あまり無事とは言えない状況ですね。

篠原 紀伊

すまない。
Cスタジアムのシステムがハッキングされて復旧に時間を要した。
そっちで何が起きている?
蘇芳は何の目的でこんな行動を?

緒多 悠十

分かりません。
何しろ相手はのっぺらぼうですから、何も答えやしないですよ。

篠原 紀伊

のっぺ……?
どういう事だ?

蘇芳は通話しているオレを目がけてさらに剣を振るう。

緒多 悠十

すい……ません。
今それを説明する余裕はなさそうす。

篠原 紀伊

そうか。とりあえず他の生徒はスタジアム外へ移動するよう連絡した。私も今からそちらに向か……く、くそ、またハッキングか!?

緒多 悠十

篠原先生!?
どうかしたんですか!?

篠原 紀伊

ま……シス……がハ……ングを受け……る! とに……く、おま……逃げ……!

ブツッ。



ノイズ混じりの声を最後に通信が途絶える。


おそらく篠原先生は来れない状況に陥っているのだろう。

だが、他のクラスメートスタジアム外に出ているという事だけが救いだ。

オレの未来を見る能力がばれずに済むし、巻き込む可能性もない。


これで緋瀬も……。

緋瀬 未来

悠十くん!!

唐突に。脈絡もなく。

スタジアムに響いたのは――。




紛れもなく緋瀬の声だった。

記憶操作―Memory Shuffle―(2)

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