彼の姿を初めて見た者は、
言葉を失って立ち尽くすか、
からかい半分にこう言う。
彼の姿を初めて見た者は、
言葉を失って立ち尽くすか、
からかい半分にこう言う。
どうしたんだィ?その頭…?
店の奥に据えられた炉の炎が、薄暗い工房にゆらゆらと男の影を映し出している。
歴戦の冒険者を思わせる引き締まった身体を丸め、愛用のハンマーを片手に仕事に勤しんでいるその男の名は、グリジャン。鍛冶屋である。
ただ一つ奇ッ怪なのは、毛のない頭の天辺から額の辺りまでざっくりとめり込んだ、大鎌の刃。
普通に生きていられるような刺さり方には見えないのだが、当の本人は涼しい顔で、今日も今日とて、炉で真っ赤に熱せられた、ブロードソードの元になる鋼の棒を、カツーンカツーンとリズミカルな音を立てながら、ハンマーで叩いていた。
じゃまするよ
……うぃ
酒焼けした威勢の良い声に手を止め、グリジャンは戸口に目を向けた。
頭に巻かれた火竜のバンダナからチラチラとはみ出している潮焼けでちぢれた髪と、荒れた肌。
それだけを見ると漁師に見えなくもないが、傷だらけ
のリザードの皮鎧と、むき出しの両腕に浮かぶ刀剣の傷跡。加えて、腰に下げたレイピアの持ち手の使い込み具合が、中級クラスの冒険者であることを示している。
……海賊か
へへ……まあ、そんなところさ。
「海賊お断り」って、表の看板には無かったぜ
海賊にも色々な奴がいることを、グリジャンは知っている。
だが目の前の男が「良心的な海賊」であるか、「悪意ある海賊」であるかを、一瞬で見抜く力はない。
グリジャンは黙って、依頼の言葉を待った
こいつを、打ち直してもらいてェんだが
男が差し出したのは、年季の入った鮫皮の鞘に収ま
る、ひと振りの短剣。
グリジャンは無言でそれを受け取り、抜き出した。
モンスターのものとも人のものとも知れぬ血錆で赤黒く染まる刀身は刃こぼれが酷く、廃棄寸前といった状態であったが、グリジャンは言った。
前金で二十。失敗したら、金は返す
グリジャンの言葉に、男は少し驚いた調子で言った。
へぇ~!
他のどの店でも断られたのに、評判通りの腕らしいな。よし、お願いするよ。ほら、二十。
男は小汚い麻袋から金を出し、受付のテーブルにばらばらと並べた。
グリジャンはろくに勘定もせず、金をまとめてひっつかんで木箱にぽんと放り込むや、慣れた手つきで作業に取り掛かった。
短剣の柄を万力で固定し、サビ落としに効果の高い、マーリンの鱗とエホナの魔法草を混ぜた、特製の粉を振りかける。
刀身にまとわりついた錆の塊が、じわじわと粘化していく。
腕組みをしたまま戸口の壁に寄りかかってグリジャンの作業を見守っていた男が、おもむろに言った。
……なぁ、アンタ。そいつが刺さる前の記憶がないって噂、本当かい?
……コイツの修復には、時間がかかる。少し歩いてきたらどうだ
質問に答えないグリジャンに、男がいたずらっぽい笑みを浮かべて、言った。
聞き飽きた質問を食らって、いい加減うんざりって感じだな
言い飽きた返事をしてやろう。その通りだ。何も覚えていないから、話すことは何もない
グリジャンが溜め息まじりに返すと、男は少し声を落として、言った。
た・と・え・ば……俺がその『頭のやつ』の原因と、抜き取る方法を知っているって、言ったら?
ふん……
意味深な言葉に興味を示すでもなく、グリジャンは作業に集中したままである。
男は探るような視線で、グリジャンをまじまじと観察した。
炉の炎に照らされた大鎌の影で、その横顔から表情は読み取れない。
グリジャンは刀身を傷つけないように、溶けだしたサビのみをヘラで丁寧に落とし、再び粉を振りかけながら、ぼそりと言った。
……たまにいるんだ。
客を装い、どうでも良い仕事を依頼しつつ、下らない話。
例えば、実は知りもしないクセに俺の頭の鎌のことをさも知っているかのようなクソ話で気を逸らせた隙に、俺を殴るか殺すかして、店の金を盗もうとする輩がな
………………
グリジャンの頭が、ぐらりと男の方に傾く。
例えば、そもそも刀剣なんてものを振り回す客を相手にする鍛冶屋が、そういった輩に対して、何の備えもしていないと思うか?
座ったままのグリジャンから発せられる鬼気が、大蜘蛛の噴射糸のように、壁の男を捕える。
狭い工房の壁には、鍛治を終えた武器が並べてある。グリジャンがそのどれか一つを取り、一歩踏み込めば男と刃が交わる距離だ。
対する男もまた腕を組んだまま動かないように見えるが、その右手の指先は、腰にあるレイピアを抜ける位置に、じりじりと寄せられている。
部屋の空気が、ぴんと張り詰める。
男の小鼻とその周辺に、汗の玉がぶわりと浮く。
……ヘヘッ、おっかねぇ。
鍛冶屋が出せる殺気じゃねえな
口を開いた男に、グリジャンは言った。
強盗が目的なら、反撃される武器がそこらじゅうにあって、さしたる金があるわけでもない鍛冶屋を狙うってのは、ずいぶん間の抜けたハナシだと思うがな
グリジャンの指摘に、男が口元を歪め、ヤニで黄ばんだ歯を見せながら言った。
そうとも限らんさ。
例えば『伝説の魔神と相打ちになり、奇跡的に生き残った男と、その証』みたいな『生きたお宝』がそこにあったりしたら、な
…………
グリジャンそのものを狙っているとも取れる言葉を発せられたというのに、グリジャンは警戒を解き、あらかたサビを落とし終わった短剣を打ち直すべく、炉に入れた。
魔法薬が炎に反応して、緑色の火花がパチパチと弾ける。
海賊の好きそうなおとぎ話だな
…………
グリジャンがふいごで空気を送り、火床を更なる赤へと染める。
よしんば、そういう男がいたとして、お
前はどうするつもりだ
グリジャンの気迫に押され気味な自分を誤魔化すかのように、努めて軽い口調で、男が言った。
そうだなぁ。
スキを見てそいつを殺して、死体ごと売っ払っちまうとか?
魔神を相手したような男だぞ。お前ごときに殺せるって保証は?
へっ……。どんな英雄でも、寄る年波には勝てねえし、スキを見てブスッとやっちまえば、案外あっけないもんさ
グリジャンは「やれやれ」といった仕草で、立ち上がった。
火鼠の防護手袋で覆われたその手には、火床で熱せ
られて真っ赤に輝く短剣が握られている。
お、おいおい、ちょっと待ってくれ。
ただの暇潰しの冗談だよ。
何気ない会話ってやつさ。
そもそも、オレっちが『その類』の強盗って、まだ何も証明されちゃいないだろ?
グリジャンは慌てふためく男の目の前まで、ずかずかと歩み寄ると、赤く熱せられた短剣を、自らの心臓の真上にもっていった。
逃げることもできず、見動きが取れなくなった男が固唾を飲んで見守っていると、グリジャンは手にした短剣を、何のためらいもなく突き立てた。
うおおっ!?
トチ狂いやがったかオッサン!?
男は気でも違ったかと目を白黒させたが、剣の突き刺さった胸からは、一滴の血が滴り落ちることもなく、グリジャン自身も平然としている。
グリジャンは反対側の手で頭の鎌を指差し、言った。
チンピラ風情にする話じゃないが、きかせてやろう。
頭にコイツが突き刺さったまま、郊外の死体置き場で目覚めた時、俺は何も覚えちゃいなかった。
都の教会まで行ったが、強引に抜くことはできず、抜かなければ一生死ねない呪いがかけられていると言われた。
道行く人に気味悪がられながら、自分でコイツを何とかしようと、武器の研究をしているうちに、鍛冶屋の技術が身に付いた。
呪いのせいで飯を食わなくても死なないが、生きるには金が必要だろ?
だから始めたんだ。鍛治屋をな。
頭一つ分、背の高いグリゴラに見下ろされ、男はただただ、縮こまりながら言った。
そそ、そうかい。色々と苦労したんだな
俺の昔話は、これで終わりだ。
それ以前のことは覚えていないし、最早知りたいとも思わない。
どうだ、満足か?三流海賊
言い終わると、グリジャンは胸の短剣を引き抜いた。
その刀身は、新品と見まごうばかりに輝いている。
店が評判になった、もう一つの理由さ。
修復不能なボロ刀でも、ある程度きれいにしてやってから身体にぶっ刺すとアラ不思議。新品と見紛うばかりに、きれいさっぱり元通り。
滅多に人には見せないんだ。ありがたく思えよ
グリジャンは作業台へと戻り、短剣を鞘に戻して、男に投げた。
仕事は終わった。出口は分かるな?
あ、ああ……
男はわたわたと短剣を受け取り、腰のベルトに装着した。
もう出て行くだろうと思い、グリゴラは自分の作業を再開する準備を始める。
だが、受付の前にまだ立っている男は、ぼりぼりと頭を掻いたり、ズボンのふとももに掌をこすりつけたりして、なかなか帰ろうとしない。
どうした?まだ何かあるのか。
便所なら貸さんぞ
いや、その……
何だ。はっきり言え。俺も暇じゃないんだ
……………………………ふむ
男のまとう空気が、一瞬にして変貌した。
それまでの三下のチンピラじみた卑屈な態度が嘘だったかのように、どこか気品すら感じる物腰になり、別人が憑依したかのような口調で、男が言った。
……素性を隠しておいて良かった。
いきなり本題から入ったら、今のような話は聞けなかったかもしれないからね
何…………?
突如ただならぬ気配を発した男に面食らいつつ、グリジャンは言葉を待った。
その鎌は999匹のガーゴイルの血肉で練り上げた特製の鎌で、本来は人間の魂を狩るものだが、刺さったままだと不死になるとは、私も知らなかったよ
テメエ……
まさか……!!!!
身構えるグリジャンの前で、男は頭に巻いていたバンダナを、しゅるりと脱ぎ去った。
額にある第三、第四の眼が人間でないことを示し、その金色の瞳の輝きが、少なくとも下級魔族ではないことを宣言している。
お前……なのか……!?
俺とやり合った魔神……?
男はバンダナを巻き直し、
小さく頭を振って、言った。
魔神という呼び名は美しくないな。
『シゾラス公爵』と『改めて』教えておこう
グリジャンは、目の前にいるこの男が、全ての根源となった宿敵であることを確信し、久方ぶりの高揚と恐怖で、毛穴という毛穴が開くのを感じた。
コイツを奪い返しに来たのかッ!
グリジャンが頭に刺さった鎌を左手の親指で指さして言った。
今にも殴りかからんばかりに、ハンマーを持つ右手がぎりぎりと軋みをあげている。
記憶が戻ったのか?
……いいや。
だが、調べることはできる。
さっきは「最早知りたいと思わない」なんて言ったが、ありゃあ嘘さ。
忘れたくても、こんなデッカイもんが頭に乗っかってやがるんだ。コイツについて考えない日はねえ。
グリジャンは、既に身体の一部と化した頭の大鎌をコツコツと拳で叩きながら、言った。
北の古塔でお前とやり合ったことまでは調べがついたが、どうしてこうなったのか、どちらが勝ったのか、お前が生きているか死んでいるのか、いくら調べても分からなかった。
まさか今頃になって、そちらから訪ねてくるとは……
感慨深げに言うグリジャンに、どこか人としての情緒を感じさせる口調で、シゾラスが言った。
貴様と相対し、私は魔力の源である大鎌を失った。
私の魂は記憶を持ったまま、運命のいたずらで人間に転生した。
娼婦の子としてな。
親に捨てられ海賊に身をやつし、およそ三十年間探し回った後、頭に鎌が刺さったまま生きている鍛冶屋の噂を耳にした。
嬉しくて涙が出たぞッ……!
くうっ!!
言い終わるや否や、シゾラスがレイピアを抜くと同時にグリジャンに突きを放ち、グリジャンはかろうじてハンマーで刀身を払い、しのいだ。
どうした?そんなもんかシゾラスッ!人間になって腕が鈍ったか?それに俺は不死だ!殺そうったって無理はハナシだぜ!!
言い放つグリジャンと対照的に、極めて冷静な口調でシゾラスは言った。
貴様を殺すのは簡単だ。
私が私の下に返るようその鎌に命じれば、私は魔力を取り戻して、貴様はあっさりと死ぬだろう。
……だが、私はそうしない。
ナニィ??
シゾラスは静かにレイピアを戻し、奥歯を噛みしめながら身構えるグリジャンを見据えて、言った。
貴様に敗れ、地位はおろか魔族としての身体も失い、人間として生まれ変わった私が、今更、鎌の魔力を取り戻したところで、帰る場所などない
…………………
私はこのまま、人間としての生を全うする。
そして次に何に転生するか分からないが、また貴様に会いに来る。不死の呪いで生き続け、もがき苦しむ貴様を拝むためにな
ばっ、ばかな…………
シゾラスはくるりときびすを返し、風のように店の外へと出て行った。
待て!待ってくれシゾラス!俺を殺せ!!殺してくれシゾラスッ!!おおいっ!!!!!
グリジャンは慌てて店を飛び出し、店の外をあちこちと探し回ったが、シゾラスの姿はどこにもなかった。
グリジャンの頭の鎌のような真昼の三日月を見上げ、グリジャンは人目もはばからず、大声で泣いた。