大怪我から少したった。
その日、授業中になんとなく机の中に手を入れると、指先に鋭い痛みが走った。

絢香

いっ

小さな声が出て、周りの数人がクスクスと笑うのが分かった。
とっさに声が出そうになったけど、深呼吸をする。
大体思ったことを何も考えずに口に出すと、あたしの場合は失敗する。

ゆっくりと息を吸ったところで思う。
今ここで騒いだとして、犯人が分かるわけではない。

怪我をしていない方の手で携帯を取り出し、スピーカー部分に指を当てて、椅子を引くタイミングで机の中の写真を撮る。

その音に反応した教師に、怪我をしたので保健室へ行く旨を伝え、ポケットから取り出したハンカチであたしの手を攻撃したものを机から取り出す。

むき出しのカッターの刃だった。
それを手に、教室から出る。

向かうのは保健室だった。
授業中の静かな廊下。
保健室を目指して歩いていると、イライラが募ってきた。

なんだかんだいって最近怪我が多い。
登下校時が一番怪我する。

階段から突き落とされてみたり、後ろから名前も知らない男子に殴られてみたりと、ぶっちゃけ本気で千裕たちに毎日家と学校の間を送り迎えしてほしいくらい。

休み時間だって、男子が先生に呼ばれていなくなれば、あたしは暴力の的だし……。

はぁ、学校に怪我しに来てるようなもんだよ。
心も体も。
腹が立つ。

保健室につくと、先生がいなかった。
伝言板に職員室と書いてあったが、めんどくさくて、消毒とテープだけもらおうと、保健室のドアを開ける。

状況からいうと、あたしはだいぶイライラして、ついでに油断していた。

絢香

い、ってぇなーもう

絢香

いいかげんにしろよ、マジで

絢香

ったく、ほんとにやり返されてもしんねーから、あたし

イラつきながら保健室に入り、消毒していると、傷口が思った以上にしみて、一人だったし、さすがに保健室にカメラなんて仕掛けられてないだろうと、たかをくくって口が滑った。

あーあ、これ録音でもされてたら、たまったもんじゃないなー。

なんて思っていたら、ベッドについているカーテンが突然開かれた。

泰明

だいぶやられてんな

絢香

あ、やす、……児玉君

泰明

泰明でいい

まさかの保健室で休んでいた泰明だった。

絢香

最悪

泰明

あ?

絢香

こんなとこで何してるの?

泰明

ちょっと体調崩して

絢香

はぁ?あたしあんたが体調崩してるとこなんてここ3年は見てないんだけど

泰明

……考え事があって

絢香

だからって、サボっちゃダメでしょ

泰明

お前に言われてたくないし

絢香

私は見ての通り、怪我しただけよ

泰明

……誰にやられたんだよ

絢香

そんなの知らないわ。どうせ、翠ちゃん、紫穂ちゃんあたりの差し金でしょ

泰明

そっか

奴はそれきり、何も言わなくなったので、あたしは傷口にテープをはる。

さて、帰ろうかとしたときに、泰明はベッドから降りてきてあたしの手の握る。

絢香

なに?

泰明

痛そう

そういって、ただただ指先の傷口を見つめる泰明。

何やってんだ、こいつ。

理解できない状況に固まっていると、ふと、袖口をまくられた。
あ、そこは昨日突き飛ばされたときにぶつけたあざがあるところ。
怪我を確認すると、今度はしゃがんで靴下を脱がされる。

絢香

ちょ、ちょっと!何してんの!

泰明

ほかにもあるのかと思って

絢香

せめて一言断りなさいよ!もう、私はあなたの彼女でも何でもないのよ?

泰明

うん

うん!?うんっていった?いま!?

え、ちょっと、ほんとに意味わかんない。
ここであたしが悲鳴の一つでもあげればこいつの信用は失墜……。
いや、待て、なんだかんだいいように言われそう、口先の小悪魔・悠美に。

ってことは、あたしは静かにしていた方がいいの?正解はどれ!?

思考がまとまらずどうしようかと思っていると、おもむろに泰明は口を開いた。

泰明

そこ座ってろ

絢香

は?

あたしの疑問なんてお構いなしに、泰明はなんかこう、消毒液とかたくさん置いてある台の上からシップとかいろいろ持ってきた。

そうして始まる怪我の手当て。

絢香

ほんと何がしたいの?

泰明

さぁ、俺も分かんねー

絢香

はぁ?

ここで想像してもらいたいんだけど、いじめの主犯格にいじめられっ子が手当てされてる状況。

困惑以外の何物でもない。
沈黙が続く。

先に耐えられなくなったのはあたしだった。

絢香

最近いじめが止まらないんだけど、1位さんは止めたりしないんですかー

泰明

止めるより、むしろ推奨してる

そして、今現在あたしの手当てをしている。
意味不明だ。

絢香

来年落ちるわよー

泰明

……そういうの、悠美に全部任せてる

絢香

はあ?

泰明

俺は疲れたんだよ

何が?今の状況が?

目の前には、最近ではもうあまり見なくなっていた、弱弱しい泰明がいた。

絢香

何に疲れてるのか知らないけど

泰明

お前とか、悠美とか

絢香

自業自得でしょう

泰明

俺はお前をどうしたいんだろうな

絢香

知らないわよ

絢香

先に、私の話を聞かないでチャンネル閉じたのはそっちでしょ。そうよ、私の話も……聞かないで

じわっと涙が出てくる。

やだなぁ、泰明のことで泣くのは嫌だ。
今は彼の前では泣きたくない。

そんなの、ただの当てつけみたいじゃない。
あたしは縋り付くような女じゃない。
あたしには、支えてくれる人がいるんだもん。

泰明なんて必要ないんだもん。

泰明

お前に、泣かれるのは居心地が悪い

絢香

……泣かせてるのは、あんた、でしょ

困惑気味な声がして、目元をぬぐわれる。

本気で、泣かしてるのあんただからね!
触んないでよ、馬鹿。

そんな言葉を出したかったのに、久しぶりにもらった大好きな人のぬくもりは振り払うにはなかなか難しかった。
泣き止まないあたしに、困ったように大きなぬくもりは近づいてくる。

泰明

なんで泣いてんの

絢香

突然優しくするからよ、馬鹿!あたし教室帰る!

泰明

ああ。

絢香

今日のこと、あんたのその中途半端なやさしさがあたしを泣かせたんだからね!

泰明

うん

絢香

もう二度としないで

泰明

うん

絢香

あと

泰明

なんだよ。もうお前に関わらねーよ

絢香

あたしは浮気してないし、あんたが初めての彼氏!

泰明

そっか

絢香

……わかったらさっさと離して

泰明

うん

絢香

誤解されるよ

泰明

……そうだな

そういって泰明のぬくもりはなくなった。

なくなったぬくもりの喪失感。
泰明のこと、どれだけ失望しても、それ以上に好きなんだ。

あたしは、悠美の彼氏が、今でも好きなんだ。

33時間目:それでもまだ

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