二階の事務室に入ると、横たわる誰かの足が目に飛び込んできた。子ども用みたいに小さなローファー。それが誰のものかは考えるまでもない。

 ゆっくりと、進む。自分の足音がやけに大きく響く。

 デスクの裏側へ回り込むと、そこには一組の男女がいた。男は倒れている女子を見下ろしている。その顔は凍ったみたいに無表情だった。

 この意識世界に引きずり込んだ犯人、泥棒役の人間――永田凌はこちらを向いて薄く笑った。

永田凌

思ったより早かったな

安藤

やっぱり、信じられません。凌さんが犯人だなんて

永田凌

顔はそう言ってないぜ?

 彼は安藤の鼻を指差した。

永田凌

俺が犯人だという確信があってここに来たんだろ?

 それは、そうだ。犯人は永田凌以外にはあり得ない。
 でも、と安藤は心の中で叫ぶ。そういう意味じゃない。

安藤

動機を、教えてくれませんか?

 唯一のわからない点を、素直に訊いてみる。

永田凌

俺が犯人だと証明できたら教えてやるよ。当てずっぽうじゃ恰好が付かないからな。
そこにいる深月にもわかるように頼むぜ。深月は俺が呼び出しただけだから、状況がわかってないんだ

五十嵐深月

………

 思わず嘆息する。そんなこと、わざわざ話すまでもない。

 簡単なことです、と言い置いて、安藤は説明を始める。

安藤

先に話すべきなのは音楽室の金庫で見つかった『うそつき』というメッセージについてでしょう。
犯人が残したメッセージは全てパソコンで打ち出されたものだったのに対し、あれだけは例外的に手書きでした。その理由はあれを書いたのが犯人以外の人物だからに他なりません。
そして、あのとき紙が金庫の中に入っていたかのように偽装できた人物は太一だけです

永田凌

それは太一が金庫を持っていたからだろ?
メッセージが手書きだったというだけでは太一が用意したものとは言えないんじゃないか?

安藤

後ろめたいことがあるのなら、あんな自分が疑われるようなメッセージを出すわけがありません。見つけたとしても黙っていたでしょう。
なら、あの『うそつき』というメッセージは太一自身が用意したものであり、かつ、自白ではなく告発の意味を持っていたと考えるべきです。
つまり、太一の目的は二つ。
一つは自分が誰かと担当フロアを交換していたこと。
もう一つは、亜美が消えるところを『見ていた』という発言が噓であること

永田凌

ちょっと待てよ。それはおかしくないか?

 すかさず凌が反論する。

永田凌

俺が三階を捜索したことは文字探しで証明されているだろ? 俺は太一と共に三階にいたんだ。
なら、四階と五階を捜索していたのが亜美と千代子ということになる。亜美が消えたところを太一が見ていないのであれば、疑うべきなのは俺ではなく亜美とペアだった千代子じゃないか?

安藤

ええ、僕も最初はそう思いました。と言うより、ついさっきまで千代子が犯人だと思い込んでました。
でも、それだと辻褄が合わないことがあります。それが凌さんに掛けられた手錠です。
凌さんと亜美が一緒にいたのでなければ、亜美が持っていた手錠の存在が浮いてしまいます

 つまり、実際には橘兄妹が三階を、凌と亜美が四、五階を回っていた。担当フロアを交換していたのは太一と凌だったのだ。
 そしてそれは、凌に亜美を殺害するチャンスがあったことをも意味している。

安藤

消えた亜美と本来のペアだったのは太一です。自分から言い出したのでは部が悪いですからね。でも、凌さんには手錠によって潔白が証明されていて疑って良いのかもわからなかった。
メッセージを作ったのはただ事実を伝えるためだったんです

永田凌

いや、俺は三階に行っていた。証明もされている。それをどう覆す?

安藤

だからですよ

 凌を睨む。

安藤

行っていないフロアのことを知っているのは、創造主である証拠なんです。凌さんは墓穴を掘ったんです

 こうして、いくつかの条件を重ねていくと、凌の疑いが濃くなる。実に簡単なシステムだ。

五十嵐深月

でも、待って

 いよいよ犯人の独白か、と思ったところで、横から声が飛んできた。これは思わぬ伏兵だ。

 深月は凌の左手首を指差して言う。

五十嵐深月

凌には手錠が嵌められているんだよ? 泥棒なのに手錠されても平気なんて、どういうこと?

 確かに、その矛盾は解いておく必要があるだろう。凌から目を離すわけにはいかないので、深月を見ないで解説する。

安藤

僕がそれに気付いたのは亜美が生きている可能性を考えたときだった。
凌さんは警察の亜美に手錠を掛けられたわけじゃないんだよ。警察の亜美から手錠だけ奪ったんだ。
警察が自分自身に手錠を掛けた場合、それは誤答によって自滅になるけれど、泥棒が泥棒に掛ける分にはルール上誤答にはならないからね。完璧なアリバイに見えるってわけだ

五十嵐深月

なるほど……。すっかり騙された

 ぱちぱちぱち、と乾いた拍手が事務室に響く。犯人は嬉しそうに微笑んだ。

永田凌

さすがは安藤。
だが、憶測だらけだ。犯人から与えられたメッセージに対しての説明が欠けているぞ

安藤

最後の暗号、『優勝者』の意味についてですね?

 安藤はそちらを見ないまま、ショーケースを指差す。

安藤

深月。悪いんだけど、その中の金メダルを取り出してくれないか?

五十嵐深月

うん……。わかった

 深月の手に金メダルが二つ握られる。

安藤

そのメダルはここで六年前に開かれた卓球大会小学生の部のものです。
一つは『橘千代子』の名前がありますが、彼女は自分を真の勝者とは認めていませんでした。理由は決勝戦で五十嵐深月が棄権したからです。彼女が創った世界であれば、『優勝者=橘千代子』が成り立つのはおかしいです。
なら、もう一つのメダルにある名前は誰なんでしょう? 『五十嵐』とありますが、棄権した深月は違いますよね。
そもそも、メダルが二つあるのに、両方女子であるはずがない。もう一つは男子の部のものであると推測できます

五十嵐深月

『五十嵐凌』

 深月が聞き慣れない名前を呼んだが、それがメダルのリボンに記された名前だということは見ないでもわかった。

安藤

優勝者とはつまり、凌さん、あなたのことです

 凌は小さく溜め息を吐いた。

永田凌

俺と深月は兄妹だった。六年前に両親が離婚して、俺が母の旧姓になったんだ。そのことを安藤は知らなかったはずだよな?
よく見抜いたよ

安藤

見抜いたわけではありません。深月が最初のペア組について『妥当』と言っていたからわかったんです。
それに、本当はそのことを深月に確認してから凌さんに会いに来るつもりだったんです

永田凌

…………

 凌が黙り込んでしまったので、安藤は駄目押しとばかりに証拠を列挙する。

安藤

足りないようであれば補足しましょう。

音楽室の金庫についてですが、あれは元からあったものです。ただ、凌さんが太一に『何もなかった』と報告していたため、太一はあの場所でそう言うしかなかったんです。

太一がトイレから姿を消したのは凌さんが殺したから。この世界では死体は消えるようですからね。そこに転がっている千代子の死体もじきなくなるんでしょう。

千代子の携帯端末の電源を落としたのも凌さんです。『うそつき』に認定された太一ならまだしも、彼女からの告発は脅威だったはずですからね。

音楽室にあった金庫のナンバーも――

永田凌

もういいぜ。お前の勝ちだ。見事だよ

 凌が諦めたように呟く。だが、絶望しているようには見えない。むしろ清々しい空気すら纏っている。

安藤

それで?

 称賛を無視して先を促す。

安藤

動機は何なんですか? どうして、こんなことをしたんです?

 しかし、彼はなかなか口を開かない。

 たっぷり十秒の逡巡を置いた後で、凌はこう呟いた。

永田凌

全ては……、深月のためだ

安藤

え?

永田凌

パソコンのログインパスワードの意味はわかったか?

 突然の問い掛け。

 それはわかっている。『ししゃがいる』だ。

 気付いた瞬間、足元から背中にまで寒気が這い上がってきた。冷たい何かに心臓を掴まれる。

 まさか、と思う。思ったままの言葉が、声になる。

安藤

まさか、深月が死んでいる……?

永田凌

はははっ

 凌が苦笑した。

永田凌

違う。死者はお前だよ、安藤

 瞬間、思考が停止した。

 何を言っているのか、わからない。

 黙っていると、凌はこう続けた。

永田凌

三日前の帰り道、安藤は交通事故に遭ったんだ。意識不明の重体で病院に運ばれて、手術は成功したが意識は戻らなかった。植物状態のまま、もう一生目覚めないかもしれない。医者はそう言ったよ

安藤

なんだ

と強がってみる。

安藤

死んでないじゃないですか

永田凌

死んでるも同然なんだよ!

 怒鳴る凌。彼のそんな姿を見るのは初めてだった。

永田凌

お前がそんな状態になって、深月がどれだけ泣いたと思ってるんだ……。狂いそうな深月を見ていたら俺まで発狂しそうになった。俺には堪えられなかった。
だから、深月と安藤が二人きりになれて、そうして俺の目の届かないどこかに行ってくれればと、そう願ったんだ。
そうしたら……、この世界ができていた。この世界が俺の創造物であることと、ここでは人を操る以外のことなら何でもできるということに気付いた俺は、ゲームを始めた。それだけの話さ

安藤

太一と一年生二人まで連れてきてしまったのは?

永田凌

知るかよ。たまたま病室に揃っていたからか、あるいは……、そうだな、全員をお前に会わせたいと俺が願ったから、か

 凌の声には自嘲が含まれていた。

永田凌

ついでに言うと、俺が殺した人間はきちんと現実世界に戻ってる。そこは安心して良い

五十嵐深月

ごめん……

 唐突に深月が独白する。

五十嵐深月

わたしにも、安藤くんが植物状態だっていう記憶があったの。だから、ここから出られなければ良いのに、ってずっと思ってたんだ。
凌が犯人だとは、知らなかったけど……

 なるほど、と安藤は内心で頷く。深月があのとき見せた表情は、そういう理由か。

 きっと凌は、このゲームを通して、自分に死の恐怖と深月の気持ちを伝えようとしたのだ。だから、深月にだけ安藤の状態に関する記憶を保持させた。

 まったく、と安藤は笑う。なんて不器用な男だろう。もっと別の方法もあったはずなのに。

永田凌

俺は深月にこの世界の真実を語り、自殺する。そういう予定だったが、お前のお陰で前半の手間は省けた。
俺はこれから自殺し、この世界を抜ける。そうしたらもう、何をしてもお前ら二人はここから出られない。
それが、俺の導き出した最良の選択だ

五十嵐深月

わたしも……、安藤くんと一緒なら、それで――

安藤

良いわけ、ないだろ

 彼女の言葉を遮る。

安藤

そんなの、間違ってるよ。凌さんも馬鹿じゃないのか。そんなことして、深月の未来はどうなるんだよ。大切な妹なんだろ? こんなこと、僕は望まない

永田凌

だったら、どうしろって言うんだよ! 誰も救われないじゃないか

 どうすれば良いか。そんなこと、考えるまでもない。

安藤

僕が意識を取り戻せば良いんですよね?

 当たり前のことを言ったはずなのに、二人は唖然とした。数秒ほど、静寂が下りる。

永田凌

適当なこと言うな!

 先に我に返ったのは凌だった。

永田凌

現実では意識がないんだぞ? そんな言葉、信じられるか

安藤

信じてください

 安藤は意識して微笑んだ。

安藤

必ず目を覚まします。約束しますよ

 それが安藤の精一杯のハッタリだった。

 凌の言う通り、意識もないのに目を覚ますなんてできるわけがない。そんなことは自分がよくわかっている。それでも、二人には騙されてもらわなければ困るのだ。二人の幸福のためならば、噓吐きにでも、泥棒にでも、殺人犯にでもなれる。凌や深月がそうだったように。

五十嵐深月

安藤くん

 声に振り向く。と、深月は泣きそうな顔をしていた。けれど確かに、笑っていた。

五十嵐深月

わたしは、いつまでも待ってるから……。いつまでもよ。この意味がわかる?

安藤

脅しだね

五十嵐深月

脅しじゃなくて、本気なんだから

 彼女はこちらの目を覗き込んで、念入りに重圧を掛けてきた。

五十嵐深月

安藤くんがこの口約束で後悔しないためにも、少しでも早く起きて。
そしてわたしとまた試合をすること

安藤

試合で負けたからね、大人しく従うよ

五十嵐深月

約束、絶対守ってくれるって、信じてるから

 深月の発言は、諦め掛けていた安藤をその気にさせるには十分だった。きっと、彼女はこちらの噓を見抜いていて、だからこそ、願いを聞いてくれようとしている。ただし、深月自身の願いを叶えることを条件に。まったく、と安藤は苦笑する。彼女には敵わない。

 彼女を見つめ返し、頷く。なぜだか、奇跡を信じても良い、という気になっていた。

 凌に向き直る。彼は疲労と苦笑の中間みたいな表情を浮かべていた。

永田凌

永遠に卓球していられる場所を提供してやろうってのに……。まあ、二人がそれで良いって言うなら、それで構わないけどよ

安藤

今度は現実世界で卓球しましょう

永田凌

ああ。あんまり待たせんなよ

 凌は躊躇いながらも右手を出した。目を合わそうとしない辺りが彼らしい。

 安藤は凌と握手し、そのまま、彼の手首に手錠を掛けた。

 その途端、あらゆる音が搔き消された。

 ブラックアウト。

 偽物の世界が壊れていく。

 足場が崩れ、宙空に放り出される。が、自分が昇っているのか、墜ちているのか、わからない。そこには、ただ漫然と闇が広がっていた。

 不意に、途方もない脱力感に襲われた。指一本は疎(おろ)か、瞼一つ動かせない。それに気付いて初めて、安藤は自分が目を閉じていることを覚った。

 睡魔が襲ってきて、首を絞めてくる。眠くて息ができない。

 全てが黒く塗り潰され、あらゆる感覚が奪われる。

 自我が、掠れていく。

 意識が薄れ、溶けてなくなる。


 その寸前――、



 遥か遠くから誰かに呼ばれた気がした。


            (完)

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