もう一度ドアが叩かれる。弾けるような快音。一瞬、聴覚が麻痺する。

 けれど、ガラスでできているはずのそれは無傷のまま。何事もなかったかのように沈黙を守っている。

永田凌

駄目だな……

 手にしていたパイプ椅子を床に投げ、
先輩の永田凌は溜め息を吐いた。冷たい金属音がフロアに響く。

 彼の投げ捨てたパイプ椅子を持ち上げる。ずしりと重たい。メンバーの中で最も長身で、かつ、最も腕力のある凌でも無理ならば、力尽くでの脱出は諦めるしかないだろう。

五十嵐深月

安藤くん

安藤

うん?

 呼ばれて振り返る。と、女子三人組がこちらに向かってくるところだった。

 センターに立っていた五十嵐深月が僅かに眉尻を下げる。彼女は表情の動きが少ないが、安藤にはその違いがわかった。

五十嵐深月

非常階段の扉も駄目だったよ。一階にある窓も全部見たけど、どこも鍵が掛かってる

 入り口も非常階段のドアも窓も、全て無反応。内側にいるのに鍵が開く気配がない。

 どうやら閉じ込められてしまったようだ。

 いや、と内心で頭を振る。その表現には語弊がある。

 安藤たちにはそもそもここに入った覚えがないのだ。卓球部の活動を終えて、高校から帰路へ着き、それぞれが自宅を目指した。ただそれだけの、いつも通りのことをしていたはず。なのに、一度別れた彼らはここでこうして顔を合わせている。

 これが精一杯の状況説明。記憶も意識も途切れているのだから、仕方がない。

橘太一

なんで開かないんだろう……?

 非常階段のドアと格闘していた橘太一も諦めて戻ってきた。

 入口近くのカウンター前に六人全員が集まる。帰り道だったのだから当たり前だが、全員が制服を着ていた。

橘太一

ど、どこなのかな? ここは

 太一が緩慢な口調で喋る。彼は少しふっくらとした体型をしているが、それが喋り方と関係しているかはわからない。

橘千代子

F県立青少年センター

 太一の妹、千代子が静かに答える。

橘千代子

と、ここに書かれています

 千代子が示したのはカウンターの上に置かれたA4サイズの茶封筒。その中央に大きく、彼女が読み上げた通りの文字が記されている。

結城亜美

いやいやいや! 見覚えあるなー、とは思ったけど、それはない! あり得ないってー!

 後輩の結城亜美が反論する。

結城亜美

だってそうでしょ? 青少年センターって、二年くらい前に取り壊されたじゃん。もうないはずだよ

 亜美の言う通り、F県立青少年センターは二年ほど前に閉鎖している。

『青少年センター』とややこしい名前をしているが、要は地区センターだ。利用する少年少女の減少と費用の関係から維持ができなくなったと聞いている。

 現在は存在していないはずの施設。しかし、ドアの位置も、リノリウムの床の感触も、掲示板の貼り紙の雑なデザインも、全てが記憶の通りだ。ドッキリにしては大掛かり過ぎる。

安藤

みんなここに来たことはあるんだな?

結城亜美

ありますよー、もちろん。地元ですもん

 亜美に呼応するように全員が頷く。

 自分はというと、小学生の頃にはよく来ていたものの、中学校に進学して部活動をやるようになってからはめっきり来なくなってしまっていた。このメンバーともずっと前からすれ違っていたかもしれないと思うと、なんだか感慨深い。

五十嵐深月

それより、その封筒を開けてみましょう

永田凌

そうだな。ここが何なのかわかるかもしれない

 凌が茶封筒を破る。中から出てきたのはA4紙。そこに並ぶ、パソコンで打ち出された文字を全員の目が追っていく。

『ようこそ、F県立青少年センターへ。

 ここはF県にある青少年センター、平たく言えば地区センターです。が、現実ではありません。過去に実在したそこをモデルにして創られた、ある人物の意識の世界です。心の中に閉じ込められたと解釈していただいても誤りではないかと思います。

 さて、皆さんにはこれからあるゲームをしていただき、この意識世界からの脱出を目指していただきます。

 その〝あるゲーム〟とは、子どもの遊びの定番、「ドロケイ」です。

 六人の中に一人だけ、この世界を創った犯人である泥棒がいます。他の五名が警察です。警察の誰か一人が泥棒を捕まえれば警察側の勝利となり、この世界から脱出することができます。逆に、泥棒が警察の皆殺しに成功した場合、泥棒の勝利となります。警察が勝利すると、この世界で死んだ人も現実世界で生き返ることができますが、泥棒が勝利するとこの世界で死んだ方はそのまま目覚めることがありません。すなわち、意識世界での死が実際の死に繋がるのです。心して取り組んでください。

 なお、泥棒の捕獲判定には手錠を用います。カウンターの中に片手分の手錠が六つあります。それを各自一つずつお持ちいただきます。警察が泥棒の手首にこの手錠を掛けると逮捕完了、勝利となります。ただし、誤答をした場合、つまり警察の方が警察に手錠を掛けた際、誤答者はその場で消滅してしまいます。全員で計三回間違えた場合にも敗北となります。ご注意ください』

結城亜美

何これー。気持ち悪ーい

 亜美が唸り、親友である千代子の腕にしがみ付いた。

橘太一

なんだか、こういうのって、その、漫画であったよね……

 今度は太一が遠慮がちに言ったが、メンバーの大半が聞こえないフリをした。

 ある漫画の中で、これと同じ現象が起こるシーンがある。彼が言おうとしているのはそのことだろう。ただ、これはただの漫画の話ではなく、きちんと事例が存在する。

 一九二〇年代にイギリスで起きたもので、少女が父親を心の中に閉じ込めたのだとか。精神的ストレスによって周囲の人間を心の中に引きずり込むという偶発的な超能力現象で、ポルターガイストの一種らしい。容易くは信じられないが、現状と酷似していることは間違いない。

永田凌

ここに書いてあることは本当かもしれない。ほれ、手錠だ

 カウンターから出てきた凌が手の中の手錠を机上に放り出す。じゃら、という重たい音が響く。

 犯人からのメッセージ通り、片割れの手錠が六つ、カウンターにあったようだ。ライトに照らされて鈍く光るそれと、どこかのどかな景観とが、信じられないくらいに合っていない。なるほど、確かに現実世界ではないだろうな、と安藤は思った。

 意識の世界とか、脱出とか、死ぬとか、そんなことはどうでも良い。少なくとも、安藤にとっては大した問題とは思えなかった。それよりも、メンバーの誰かがこんなことを始めて、そして自分たちを殺そうとしていることの方が、ずっと重大で、何より不快だ。

 互いに警戒し合い、互いを疑い合って、その先で現実の世界に戻ることができたとして、はたしてそれは今までの自分たちなのだろうか。

 そんな安藤の不安にはお構いなしに、凌は黙々と全員に手錠を配った。それぞれ受け取ってから我に返り、彼に注目する。

 凌は堂々と話す。

永田凌

こんな下らないことを誰が考えたかは知らないが、ここでうじうじしてても仕方ないだろ。
犯人がいるなら、見つければ良い

 その言葉に頷き、同時に感心した。きっと凌は、こんな状況下だからこそ毅然とした態度が取れるのだろう。千代子と亜美は一年生。上級生として自分もしっかりしなくてはならない。

安藤

僕も凌さんの意見に賛成だな

 やんわりと彼の背中を押す。

安藤

ここにはこう書かれてはいるけれど、ゲームを支配している人間が実際にこの中にいるとは限らない。一人の泥棒役と五人の警察役がいるというだけ、という可能性もある。
敵視せず、協力して脱出の方法を考えよう

橘千代子

あの、すみません。どういうことでしょうか?

 首を傾げる千代子。

五十嵐深月

つまり

と、すかさず深月が補足してくれる。

五十嵐深月

泥棒には泥棒としての自覚がないんだよ。ここにいる全員が自分を警察だと思い込んでいる。安藤くんの仮説は、そういう話よ

 深く、顎を引く。さすがは深月。頭の回転が速い。

橘太一

でも、さ。だったら、えっと、どうやって泥棒を捜すんだい?

橘千代子

あ、ここにメッセージの続きがあります。二枚目です

 兄の疑問に、妹の千代子が応じた。

 犯人が残した紙はもう一枚あった。再び全員が覗き込む。

『ここに、この世界の秘密に辿り着くためのヒントを記します。

 この青少年センターの各階に次に行くべき場所を隠しました。

 それを見つけてください』

 要は施設中を探し回り、『次に行くべき場所』とやらのヒントを集めろ、ということらしい。これは骨が折れそうだ。

結城亜美

はいはいはい! 質問でーす

 突然、亜美が勢い良く挙手をした。

結城亜美

どうしてこんなまどろっこしいことしなきゃいけないんですかー?
犯人もここから出す気があるならさっさと出せば良いと思うんですけどー

橘千代子

掲示板には青少年センターの地図があります。そこには事務室など、一般の人には入れない場所もあると思うのですが、その辺りはどうなのでしょうか?

橘太一

別に、そんなに深い意味はないんじゃないかな。全部犯人の悪戯なんだろうし。入れない部屋があるかどうかは、行ってみればわかるよ

 一年生二人の質問を、太一が切り捨てる。

 安藤も彼と同様な意見だった。犯人の言動全てに過敏に反応するのも、ましてやそこに完璧性を求めるのも、あまり良いこととは言えない。疲れる一方だ。

 とは言え、少し気になるのも事実。メンバーは六人いるのに、この施設のフロアは全部で五つ。なんとなく、腑に落ちない。

橘太一

えっと、じゃあ、その、これからみんなで五つの階を回る、ってことで、良いんだよね?

 太一がそう言い、一年生が頷き掛ける。が、即座にそれを否定する者がいた。永田凌だ。

永田凌

いや、ここからはペアを組んでの別行動にする

結城亜美

どうしてですかー? 殺人犯が紛れているかもしれないのに、二人ずつになったら危ないじゃないですかー

安藤

だからこそだよ

 凌に加勢する。

安藤

全員が固まっているということは、犯人には一度に五人を殺すチャンスがあるってことなんだ。逆に、ペアなら互いを見張っているだけで、全員の安全が保障される

永田凌

というわけだ。俺が勝手にペアを作るぞ。ついでにフロアの分担も決める

 凌が二本指を立て、隣り合っている者を同時に指していく。

永田凌

安藤と深月が一、二階。俺と橘妹が三階。太一と亜美が四、五階。文句がある奴はいるか?

橘千代子

あの、妹じゃなくて、千代子って名前が――

結城亜美

異議あーり!

 亜美が喚く。

結城亜美

永田先輩、どうして亜美とペア組んでくれないんですか? 亜美は永田先輩とペアが良いでーす。千代子と交換で良いですよね?

永田凌

良いわけないだろうが。兄妹の証言じゃ信用ならない

結城亜美

亜美の気持ちに気付いていながらこの仕打ち……。あんまりです。泣きますよ? 泣かれたら困りますよね? だからほら、ペアを組んでください

 不毛な争いを眺めていると、ちょいちょい、と袖を引っ張られた。そちらを振り向くと、深月が肩を竦ませていた。

五十嵐深月

わたしたちは先に行ってましょ

安藤

そうだね

 四人に向けて声を投げる。

安藤

じゃあ、僕らはお先に。解答はそれぞれがメールで一斉送信して伝えよう

永田凌

ああ。全員、原則として担当フロア以外には行かないようにしようぜ

 亜美を片手であしらいながら、凌が言う。
 残りのメンバーに手を振って、安藤たちは一階にある体育館へ向かった。

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