――遠い過去だ。
まだ智則が、保育園に通っている頃の出来事。
近所に新しい公園ができた。
まだその頃は健在だった両親と一緒に遊びに行った。

珍しくもない遊具しかなく、規模も小さい。
でも幼かった智則には、全てが新鮮に見えた。
はしゃいで遊び、気が付けば夕方だった。
気が済んだ智則が振り返ると、両親は誰かと話し込んでいる。そして、目の前には知らない子。

……だあれ?

その子は女の子。
智則に怯えるように怖々聞いてくる。
智則は首を傾げながら名乗った。
彼女も名乗った。そして、互いの両親が戻ってきて、近所に住んでいるということを知った。

彼女――玲美との付き合いは早いものでもう11年。
人生の半分はあの子と共にいた。
その前に違う子と非常に厄介な『約束』をしていたのだが、それは追追するとして。

玲美は誰よりも智則と長い間共にいた。
それは彼女の誇りであり、長い人間関係を維持し続ける大変さもよく知っていた。
本来なら人見知りでどちらかというと内向的だった彼女が年月を重ねていくうちに優しさの使い方を知り、優しさを向ける相手をつくり、同時に排他的、利己的になることが正しいと思うようになった。

彼女は仲間を護るためなら、自分が誰からも嫌われたって構わないと思う。
この身は、仲間によって支えられているモノ。
強いて言うなら、第二の家族を守るため。
そのためならたとえ、今の学校生活を全て引き換えにしてでも。覚悟はある。玲美だって戦う時は戦うと誓った。
玲美がした、智則とのあの『約束』の為に。

面倒なことに。
この男、自分の周りにいる全員と何かしらの『約束』をしていた。
それでもって、彼女たちは各々その『約束』に縛られている部分があった。
その『約束』同士がぶつかり合うとき、彼は変わる。
智則は恋を自覚し、そして……。

あずさ

…………

その日の夕飯。集ってきているいつものメンツ。
だが、空気はとても気まずい。
理由は、不機嫌丸出しのあずさの存在。
ピリピリする空気を彼女が提供していた。

和美

あずさちゃん……何かあった?

莉子

……あずねえ、怖い

和美と莉子にそう言われても、あずさは理由は話さない。
ただ、

あずさ

ごめん、腹立つことが幾つも重なって……

というばかりで。
茶碗を持つ手すら震えている。
恐らくは怒りの対象が近くにいる。
堪えている、という印象を受けた。

玲美

…………

智則

…………

黙々と食べている玲美と智則。
普段なら話しかければ反応する智則と、積極的に話題を振ってきてくれる玲美も黙っている。
玲美は何処か、満足気に見えるのは気のせいか。

あずさ

…………

あずさが睨んでいるのは、どうやら智則と玲美。
ここまでハッキリと苛立ちを見せているのも珍しい。
困惑する莉子と和美。
玲美の方は、余裕の表情で流している。
智則の方は何時も通り無反応でよく分からない。

あずさ

智則

とうとう我慢の限界が来た。
あずさが冷えきった声で名を呼ぶ。

智則

分かってる、後で話そう
飯食い終わったら俺の部屋に来てくれ
悪いんだけどさ、玲美
片付け任せてもいいか?

玲美

はい、任されました

あずさ

…………

察していたのか、智則は内容を彼女に言わせる前に話し合いの席を用意していた。
あずさは怒りに任せてこの場を台無しにしてでも二人にも文句を、と思っていたが出鼻をくじかれる。
渋々、黙って刺々しい空気を引っ込める。

莉子

……

和美

…………

取り敢えず、気まずいのは消えた。
今度はあずさが挙動不審になって、智則をチラ見し始めた。
和美も莉子も、空気の変化には気付いていた。
何だろう、今まで保っていた調和が乱れている。
バランスが崩れてきたというか。
良くない兆しが見え隠れしてきていた。
玲美の何時もどおりの言動も気になる。
一体、彼女達の輪の中で、何が変わってしまうのか。
まだ二人は、知らない。

久方振りにお呼ばれする智則の部屋。
大きなソファーが印象的なそれなりに広い部屋。
ゲーム機やらテレビやら、家具もそこそこ。
いざ、話し合いに望むとガチガチに緊張して動けなくなるあずさ。
普段からそうだが、素直さの欠如と短気、微妙なヘタレさが自分の短所だと思う。

あずさ

…………

大丈夫、大丈夫と自己暗示しながらあずさは黙って座っている。
今万が一なんかされたら、恐らくろくすっぽ抵抗できないで、ますがままにされる自覚もある。
そうなったらなったで仕方ないけど……。

智則

…………

智則

飲むか?

見ていた智則はそう言って何かを差し出した。

缶コーヒーだった。
これでも飲んでリラックスしろと言いたいのは分かる。
さり気無く嫌いじゃない味を渡すのも有難い。

あずさ

あ、ありがとう……

智則

怖がらなくてもいい
そんな緊張しなくても
妙なことはなんにもしないから

壁に寄りかかって、同じく缶の蓋を開ける。
そして煽りながら言われる。

あずさ

それで緊張してるんじゃないっての!

緊張しているのは久々だということと、これから聞く内容のせいだ。
こんな込み入ったことを聞いていいのかと思うけれど、あの昼間の出来事を見てしまった手前、我慢なんてできそうにない。だからこうして勇気をだして……。

あずさ

……あんた、何飲んでるの?

智則

ピザだ
中々に美味いじゃあないか

智則、また変なことしてる。
今度は缶コーヒーならぬ缶ピザ?
液体に加工されている見るから下手物のそれだった。
満足。纏めるなら今智則は満足している。
人前で見せるのは貴重な、悦に浸っている状態で。

智則

美味い……
この濃厚さがたまらない
まさかこんないいものが身近にあるとはな……

あずさ

理解しがたいわ……

なんてものを飲んでいるのんだ。
満たされた智則。その時、丁度電話が鳴り響く。
智則の携帯電話だ。

あずさ

!!

智則

すまん、ちょっと出る

ディスプレイを確認して断りを入れる。
相手は知らない番号。多分、彼女だ。
タイミングが悪い。
この距離じゃ、会話も漏れる。

智則

もしもし

彩愛

もしもし、智くんかい?
こんばんわ、彩愛だけど

やはり、相手は彩愛だ。
夜に電話するといっていたから、予想はしていた。
女の子の声が聞こえて、途端に殺気立つあずさ。

智則

志木か
昼間は悪かったな

彩愛

なに、気にしなくてもいいさ
一応、クラスのみんなに案内してもらったよ

智則

そうか、埋め合わせは今度する

彩愛

それはそれで期待して待っているとしよう

あずさの不機嫌メーターが目に見えて上がっているのを見ながら、智則は平坦な声のまま、要件を聞いた。

彩愛

要件かい?
智くんの声を寝る前に聞きたかった
それだけの話だけど

あずさ

……

内容を聞いて、呆れる智則。
まるで恰も恋人のような言い分。
あずさも聞いていて、怒りが増す。
智則はやれやれ、と肩を竦めてあずさに近づいた。

あずさ

ッ!?
な、なによ……!?

寄られると、珍しく怖がるような声で逃げようとする。
表情を取り繕っているが、声が震えている。
身の危険でも感じたのだろうか。
苦笑いして、何もしないとジェスチャーで伝える。

智則

すまん、志木
今こっちも立て込んでいてな
急ぎじゃないなら、悪いが切るぞ

彩愛

ん? 修羅場?

智則

大体志木が悪いのは間違い無い
狙って電話してくるお前も大概だ

彩愛

おーおー、怖い怖い……
刺される対象が私になりそうだ

怒りが再沸騰するあずさ。
相手の言い分がこちらを見透かして挑発されているかのような。何も知らないとでも思ったか。全部知っている。
ここにいることも気付いているような発言。

あずさ

!?

智則

要件はわかってる
こいつ絡みで聞きたいことがあるんだろ?
ちょっと待ってろ、すぐに切るから

最後は同じだった。
あずさの頭を、優しく撫でる智則。
宥めるかのように、優しく。

智則は小声でそう言うと、何度か話をして、それから電話を切った。

あずさ

……………………

子供扱いされている気がする。
同時に、悪い気分じゃない。
怒りで沸騰した頭を優しく撫でる智則の手で、熱が抜けていくような感覚。
嫌いじゃ、ないから。
昔から、あずさが怒りすぎるとこんな感じでいつも宥めてくれていた。
今でも、そのくせは変わらない。
安心するというか、何というか。微妙な気分になる。

智則

さて、五月蝿いのは片付けたぞ
丁度いい、話ってのは奴のことか?

隣に腰を下ろして、智則は問うてくる。
その頃には、割と熱は冷めていた。

あずさ

ん、まぁ……そうだけど……

あずさ

っていうか、何時まで撫でてんのよ
気安く触んないで
セクハラで訴えるわよ

何度も撫でられるのが照れくさくて、ついつい余計なことを口走る。おかげで何度損したことか。
本当に自分の性格が憎らしい。

智則

それでお前の気が済むならそうしろよ
落ち着くまではこうしてるつもりだ

でも、こういうところだけは気づいてくれる。
嫌がっていないことを。
肝心なことは全部無関心で、無理解なくせに。
言いたいことを言い出せないあずさの性格を知っている。
本当に嫌がっているならこの時点で殴り倒されていると分かっているから続けているんだ。
卑怯な男、だと思う。
なんでこんな奴を……と我ながら思う。
でも仕方ない。感情は理屈じゃない。
言ってしまえば本能なのだから。

あずさ

……
し、仕方ないわね……
そうしたいならそうすればいいじゃない
あたしは別にして欲しいとか思ってないし

智則

あぁ、俺がこうしたいからこうするよ

あずさ

……………………

撫でられる頭。
丁寧にされているうちに緊張とか、怒りとか、全部抜けていく。
この状態なら、何時も通りに振舞うことはできるだろう。
あずさは思い切って聞いた。

あずさ

ねぇ……智則
あんた、今日珍しいことあったよね?

智則

あぁ、あった
うちの学校に転入生が来たんだ
随分と懐かしい奴の顔がな

やっぱりだ。あの女、宣言通りの事をしている。
内心イラッとするが、続ける。

あずさ

なんかされたでしょ?

智則

あぁ、初っ端から告白された
速攻で断ったけど

智則は普段通りの顔でそう言った。
そこには照れ隠しなどの感情はなく、ただのイベント程度の認識であることがわかる。
そして、速攻で断ったと言った。
それは吉報だった。

あずさ

……断ったの?

智則

まぁな
脈略がないってのと、相手はどうやら俺のことを覚えていたようだが……
俺は満足に覚えていない
だからそんな状態だと相手にも失礼だ
もっと言うと、興味がなかったのが大きい

あずさ

あんたは……

どうしようもない気がする。興味がないから断る。
確かにそう言われたら、どうしようもない。
だが仮にも相手のいる感情的な事情を、容赦なくぶった斬って断るってどんな神経してるんだか。
それに救われる自分もいるのだけど。
これは、自覚させるのは大変そうだった。
まぁ……その役目は既に幼馴染に出し抜かれたが。

智則

それだけだ
告白されたのは俺の初めてだ
お前に言わなくて悪かった

あずさ

……それは、いいけど

違う。聞きたいのは、そのことだけじゃない。
昼間、嫌な予感がしてサボった先で見てしまった、あの光景。
幼馴染同士の、告白のシーン。
のぞき見するつもりはなかった。
でも、見てしまった。
その時は怒りだけだったけど。今は……怖い。
これ以上は、怖くて聞けない。
だって、あっちは覚えていない、興味がないで終わっている。
だけどもう一つは、長年の知り合いで、お互いをよく知る相手で。
聞けば行動を起こす前に、下手すれば負けを認めることになる。
そんなのは……何が何でも嫌だった。

あずさ

ねぇ……智則
あんたは……玲美のこと……
あの子のコト、どう思ってんの……?

自分より長い付き合いの幼馴染。
正直、勝ち目は薄いと思う。
あの子は、認めたくないけれどいい子だ。
性格も良いし、見た目もいい。
プロポーションだって悔しいけど負けてる。
なんだって努力する秀才の子。それが玲美。
対して、あずさは。
意固地で素直じゃなくて、面倒くさくてうざったい。
やきもち焼きで、怒りっぽい。欠点だらけで。
……勝ち目、薄いのはわかってる。
比べられたら、勝てるところなんてなくて。

あずさ

やだよ……智則……
見捨てないでよ……
置いてかないでよ……
『約束』したじゃない……

遠くに行かないで。
手の届かないところに行かないで。
見捨てないで。置いていかないで。
あずさの心は、泣いている。
危険を察知して、泣き出している。
本当のことすら聞けない自分。
何もかも、全部嫌になる。

智則

まぁ……志木も多分、諦めないんだろうな
困ったもんだわ、どうしろってんだ……

あずさ

!!

智則は小声で誰ともなくそう言った。
独白なのだろうか。妙に疲れた声で。
それは、まだあの女が諦めていないところか、戦うつもり満々だと言われたようなもので。

あずさ

そんな……
あたし、どうすれば……
勝ち目なんて……タダでさえないのに……

不安だった。
壁が、増えてしまった。
諦めていないあの女まで、超えられない壁が。
いっそ、諦めてしまえば楽になれるだろう。
でも、諦めることもしたくなくて。
板挟みで苛立って苦しんで、こうして慰めてもらって。
情けなくて、余計に惨めになる。泣きたくなる。
どうしようもなく、弱い自分に。

智則

…………

智則

俺はまだ、どうするか決めてない
あずさ、大丈夫だよ

あずさ

……え?

一人でに沈み始めていたあずさの頭を撫でながら。
彼は、一拍置いてからこう切り出した。

智則

俺は今までお前らのことを意識してなかった
興味がなくて、無関心だったから
最低なことしてたと思う
本当に、今までごめん
無神経なことしてきて

智則

でもそれじゃあ、ダメなんだろうな
今日、色々あって考えたんだ
俺は、もっとみんなと向き合う必要があるって

智則

酷いことをしてきたと思う
だから、こんなこと言える口じゃないけど

智則

答えを出すために、俺は努力する
今はまだ、俺の中には空っぽなんだ
決めてないし、決める内容すらない

智則

急に変わることはないと思う
俺もそれは嫌だし……
俺自身、どんな選択するかわかんないんだ
急がれるのが一番困る

智則

あずさ、泣きそうな顔しなくても平気だってば
突然、全部壊れるなんてことはさせない
俺は、俺の思うように答えを出す
今の俺達を時間をかけて変えていけばいい

智則

時間はかかる
だから、早々居なくならないよ
辛くなったら助けるって言ったろ
あの指切りげんまんは忘れてねえぜ?

智則はそう言って、笑う。
その言葉に、あずさは驚いた。
忘れていると思っていた、彼との『約束』を覚えていたのだから。

あずさ

智則……あんた、覚えてて……くれたの?

智則

あぁ
辛くなったら俺が助けるってな
そんな心配そうな顔をするなよ
どんなことあろうと、俺は守り続けるぜ

あずさは昔から素直じゃない。
辛くなると、強がって我慢するから助ける。
二人の間にある約束はこれだった。
ちゃんと、彼はあずさを支えてくれている。

あずさ

……あんがと、覚えててくれて
なんか、軽くなったわ

智則

あぁ、心配事があったら何時でも言ってくれ
俺は聞くからさ

彼には多分、他意はない。
純粋に、幼馴染として助けてくれているだけで。
でも、今はそれでいい。

あずさ

弱気になるなんてあたしらしくないわね……
全員纏めて叩き潰すだけじゃない!

気持ちから負けてはだけだ。
気持ちだけは、負けてはダメだ。
大丈夫、まだ始まってすらいないんだ。
始まり次第、あずさも戦う。
誰にも彼は渡さない。

あずさ

智則はあたしのにするんだからっ!

結論はシンプルだ。
彼は渡さない。ぽっと出の女なんかには尚更。
負けを認める相手じゃなければ許さない。

あずさ

たとえ玲美が相手でも……負けるもんかっ!

自分よりも可愛くて頭が良くて器量も良い女の子。
一番のライバルが同じ幼馴染だとしても。
負けられない戦いがここにある。
あずさの戦いはこの日から、始まるのだった……。

玲美

まったくもう……
あの子も素直じゃないんですから……

玲美

さて、明日からあの女の動向をしっかり見張っておきますかね……

約束を覚えているとかお前は以下略

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