早く返事をしないと……
寝ぼけ眼に突然のメッセージ。
不測の事態に私はあたふたと返信する。
はあ!
……あ!
やっちゃった!
痛恨のフリックミス。
慌てて訂正のメッセージを送る。
はい!
今帰ったところです。
あと、さっきのは入力ミスです!
ごめんなさい!
すぐさま立つ既読のフラグ。
スマホを握りしめながら
間木さんの反応を待っていると、
ひと呼吸置いてメッセージが送られてくる。
帰ったばかりで忙しいですよね。
僕の方こそごめんなさい。
……いえ。
ただただ、堕落してました。
気にせず身支度をすませて下さい。
僕は美咲さんの事なら
いくらでも待ちますから。
『いくらでも待ちますから……』
『いくらでも……』
何気ない気遣いのメッセージが頭で木霊する。
……今までこんなに大事にしてもらった事あった?
私はこれまでの暗い自分史を省みる。
しかし、どんなに思い返してみても
思い当たる節は一度もなかった。
しばしの妄想の後、
私は自然とメッセージを返していた。
ありがとうございます、間木さん。
身支度したら、また連絡します。
そう返信した後、私は
……うん、まず身を清めよう。
こんな格好じゃメッセするにも
間木さんに申し訳ない。
スマホをベッドへと投げ、
すぐさまバスルームへ向かう。
洗面所で薄い化粧を落としてから
シャワーを浴びる。
髪を洗っていると先程のやり取りが
否応なしに脳裏に浮かび顔が緩む
『いくらでも……』
『いくらでも……』
ハッ!
いけないいけない……。
しかし、
いま妄想したら長くなるから、
と自分に言い聞かせ、
私は身支度に集中する。
そして、疾風のごとく入浴を終えた私は
時計に目をやる。
……20:05。
15分ってとこかしら?
おそらく私の入浴時間の最速記録を
更新したに違いない。
妙な達成感を覚えながら
濡れた髪をさっと拭きタオルを頭に巻く。
こんな時、セミロングでなく
ショートボブにしておけば良かった、
と自分のズボラさを呪う。
今度時間を見つけて髪も整えよう。
作業を終えた私は、
勢い良くベッドへと転がり込む。
枕元に転がるスマホを手に取り、
ロックを解除しようと画面を見ると、
1件の通知に気づく。
……きっと間木さんだ。
私は手早くロックを解除し、
喜々としてメッセを確認する。
あ、あと、僕のことは
一心と呼んで下さいね、美咲さん。
あ……あぁ……
言葉にならない声が口から漏れる。
……嗚呼、なんと畏れ多い提案。
痛烈な置き手紙に卒倒しそうになる。
異性に免疫のない私が
そんな言葉を口にしたら……
……泡を吹いて気絶してしまうわ。
けど……
はい、一心さん!
……送っちゃった。
こんなの、メッセじゃなきゃ
私には無理ね。
それからの時間は、
私達はお互いの事を話し始めた。
まるで共鳴するかのように。
好きな本。
好きな映画。
好きな食べもの。
犬が好き?猫が好き?
たけのこ?きのこ?
他愛もない話。
けれどもとても大切な話。
そして、話せば話すほどわかってくる。
……うん。
そう、一心さんは私の理想の人。
初めて、そう思えた人。
メッセのやり取りの中、
一心さんは時折影も見せる。
僕は呉羽市の出だよ。
隣の町じゃないですか!
一心さんはどちらの高校ですか?
……そうですね、その話は
デートの時にとっておきましょうか。
ああ、もう……
あけすけに全てを語る人よりも
格段に魅力的ね。
すっかり一心さんの虜となってしまった私は、
誰に語るでもなく、
ひとり惚気ていた。
――夢の様な時間は
矢のように過ぎ去っていく。
時計の針は既に2時を回っていた。
いけない、もうこんな時間だ!
あ……
気づきたくなかった現実が、
私と一心さんの邪魔をする。
もう寝ないとね。
一心さんから切りだされた閉幕の合図。
あーあ……。
もう……おしまいかぁ……。
未練がましい私は
少しだけ勇気を出し語調を変えて
メッセージを返す。
うん……。
もっともっと話したいけど仕方ない。
こんなところで
めんどくさい女なんて思われたくない。
おやすみ、美咲さん。
おやすみなさい、一心さん。
最後の挨拶を済ませると
現実に引き戻される。
はぁ……。
すっかりのぼせ上がった私。
顔の火照りは一向に冷めない。
きっと、傍から見たら
ハートマークがうようよ浮いていたに違いない。
SNSメッセージの最後にも
ハートのスタンプを入れたくなったけど、
さすがに実施する勇気はまだ無かった。
それは、また今度ね……。
―-こうして、私の初日の舞台は終演を迎えた。
すー…すー…
ハッ!
気が付くと、スマホを握りしめたまま
朝を迎えていた。
もうこんな時間かぁ……。
あれ?
もしかして昨夜の事は
夢だったんじゃ……。
一抹の不安が私を襲う。
慌てて手の中のスマホを弄り
ベッドの上でメッセージの履歴を読み返す。
あ、あと、僕のことは
一心と呼んで下さいね、美咲さん。
一心さん……
しばしの間、昨晩の余韻に浸ったあと、
夢ではなかった事を確認できた私は、
すべき事を思い出した。
……買い物に行かないと!
ベッドから起き上がり、カーテンを開ける。
窓から覗く太陽の位置は
だいぶ高くまで登っていたが、
外出を脅かすほどの時間ではない。
うん、いい天気。
畏れていた全身の筋肉痛は
思いのほか軽く、
体を動かすことは問題無さそうだ。
遅い朝食を口にして、
外出の準備を整え
玄関でスニーカーを履き
深呼吸をする。
すー……
はー……
……よし、可愛い服を買うぞ。
意気込んで家を出ようとしたその時。
メッセージの着信が通知された。
……一心さんからだ!
私は浮かれてスマホを操作する。
え……?
……ごめん、美咲さん
――それは、
一心さんの海外転勤が
決まった連絡だった。
うたかたの喜び
つづく