身体が焼け付く。
ノクトビションはその芳香が自分を恐ろしく変えてしまうことに本能的に気付いた。
怪物じみたものに。
いや、怪物そのものに。
身体が焼け付く。
ノクトビションはその芳香が自分を恐ろしく変えてしまうことに本能的に気付いた。
怪物じみたものに。
いや、怪物そのものに。
全身を搔きむしりたくなるようなもどかしさ。
そのままエリカの肌に牙を突き立ててしまえば。
紅く、朱く、赫く、緋く、赤い命の液体を飲んでしまえたらどんなに楽だろうか。
でも、奥深くでノクトビションの理性がそれを許さない。
それをしてしまえば、本当に怪物になってしまうと知っていた。
ぐぷり、と。
粘り気の液体の中に心が落ちていく。
そして何者かがノクトビションを背中から包むように抱きすくめる。
その者はノクトビションの首筋に舌を這わす。
鳥肌が立つ。
それは狂気と快楽と恐怖と乖離に飲まれる感覚。
這う舌は耳までなぞる。
喰われる、そんな風に思ったときにその者は耳元で息をつく。
そんなに怯えることはないよぉ。
ほら早く落ちなよ。堕ちちゃいなよぉ。
それは嬌声か怨声か。
でも、その声をまともに聞いていたら本当にノクトビションの心は“終わってしまう”。
は――離せ――!!
何を拒むのぉ?何を嫌うのぉ?何を憎むのぉ?
い、いいから――早く――!
あなたこそ早く底に落ちなさいなぁ。
早く牙を突き立てなさいなぁ。
早く血を飲みなさいなぁ。
血を。
血液を。
血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。血。血液。液血。血液血。液液血。血液。
血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血
うう
わわ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
!!
お、おい!いきなり何しやがる!
エリカに突き飛ばされて、壁に背中を打った衝撃で一種のトランス状態に陥っていたノクトビションの意識は復帰する。
あ、は、はぁ……ああ゛あ――。
はっ、としてノクトビションはエリカの首筋に視線をやる。
しかし、そこには別に傷はついていない。
ノクトビションの牙が届く前にエリカは彼を突き飛ばされたらしい。
それは確かに幸いなことだったのだけれど、ノクトビションの乱れた呼吸はもとに戻らない。
それどころか、エリカの警戒する視線にさらに動悸は加速する。
その目はまさに敵を、いや怪物を見る目だった。
当たり前だ。
エリカからすれば波打ち際で倒れていたところを助けた少年に突然襲われたようにしか思えない。
さっきまで持っていた麦茶がこぼれ、服を濡らしているのが、ノクトビションにはやけに冷たく感じられた。
そして、ノクトビションが次にとった行動は。
「逃亡」だった。
一目散にドアに駆け寄ると、力任せにドアを壊して外へと飛び出す。
お、おい!待てよ!
エリカの静止を振り切り、ノクトビションは走った。
エリカの敵を見る視線から逃れるように。
そして、自分が血を吸う怪物だという事実から逃れるように。
そのあと、ノクトビションはただあてもなく歩き続けた果てに、どこかも分からない雑木林に行きついた。
もう既に太陽は地平線の向こう側。
木々の隙間から差し込むわずかな月光だけが明かりと呼べるものだった。
なんで……こんなことになるんだ……。
それはあなたが怪物だからよぉ?
不意に頭の中で聞こえる声。
その声がノクトビションに血液操作のことを教えた。
そして、あの時感じた吸血衝動もまた、彼女が元凶なのだと容易に推察できた。
お前……僕に何をした。
何にもぉ?
あなたに何かしたのはあの科学者たちじゃないのぉ?
そう言って彼女は取り合わない。
放浪の中、幾度か彼女の声を聴き、何度も同じような問いを投げかけてみたが、しかし、彼女はただの一度だってそれに答えようとしていない。
そうだとしても、この吸血衝動はお前のせいだろうが。
さぁ?
でも、それはあなたのためなのよぉ?
あなたが「完全」になるためのぉ。
何を言って――。
ほらぁ。だから吸いなさいな。
そこに転がってる女の血を。
――――え?
それは、死体。
いや、まだ死んではいないのか。
まだ胸のあたりが上下に動いている。
しかし、身体中から血液が噴き出している。
まるで身体の内側を蹂躙されたように。
いや、問題はそこではなかった。
その傷がどの程度なのかなど、この際関係がない。
だって、助からないことは明白なのだから。
そうなると、残った問題はただ一つ。
その身体の所有者。身元の特定。
でも、ノクトビションにとってそれはとても簡単だった。
身体はズタボロで原型はとどめていないけれど、でもその服装と、赤い目を彼は知っている。
だから、次の瞬間、彼が断末魔の叫びを上げたのを誰も咎めることはできない。
とても一瞬の触れ合いだったとしても、彼にとって人の温かみと冷たさを教えた人物だったのだから。
本当はもっと彼女のことを知りたかった。
もう一度出会って、謝りたかった。
怪物ではなく、人間として。
うう
わわ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
ああ
!!
他の誰でもない、観咲エリカの身体が血みどろでそこに転がっていたのである。