リリリリと、鈴虫の鳴き声がする。
リリリリと、鈴虫の鳴き声がする。
勢いよく身体を起こした私はあの時計塔のある公園のベンチに座っていた。
あれ……私……。
時計塔は深夜1時を指していた。
周りに人はいない。
昼間に見たあの仲睦まじい親子の姿も見当たらなかった。
当たり前だ。
生まれたての赤子――確か未来と呼ばれていた――を連れてこんな時間まで公園にいる方が異常である。
かくいう私は大学生とはいえこんなところで一人眠ってしまうような無防備さを発揮している辺り、相変わらず気が抜けているというか、間が抜けている。
――しかし、なぜ私はこんなところで眠っているのだろうか。
どうにも記憶が混濁していて、前後関係が曖昧で、そして、何かしら大事なことを忘却している気がする。
とりあえず家に帰ってお風呂に入ってリラックスした後に考えよう。
私はベンチから立ち上がると固まった身体をほぐすように伸びをした。
と、そのとき、突然声をかけられた。
おい、あんた。
はて。
こんな不誠実な男性の知り合いがいただろうか。
あの、どちらさまですか?
おいおい……。
どちら様ってことねぇだろうがよ、このくそビッチ。
え、えっと誰か人違いでは……。
初対面でここまで言われるような派手な格好はしていないつもりだ。
まぁ確かにこの白い髪はじゃっかんパンチが効いてるかもしれないが、しかし、そこまで言われる覚えはない。
ああ?しらばっくれようってのか?
てめぇのせいで散々な目にあったっていうのによぉ。
だめだ。
話がまったく噛み合わない。
ええと、なんのことかさっぱりなんですけど……。
なんだぁ、てめぇ。おちょくってんのか?おちょくってんだよなぁ、それ?
いいぜぇ、ったくよぉ。
その綺麗な髪、ばさばさに切ってさぁ、その白い肌にコイツを突き刺したらさぞかし快感だろうぜぇ……。
男はナイフをその手に生成した。
そう。万能元素MEによる、任意物質の生成。
あ――!
助けを呼びたいのに恐怖で声帯がこわばる。
今すぐ逃げ出したいのに足も動かない。
瞳。思い出して。私を使って。
知っている。
この声を私は知っている。
そうだ。私は《自由七科》の被験者なのだ。
MEを生成能力と対を成すMEの還元能力。
"操る"ではなく、"壊す"。
ブルッて声もでねぇってか。ハハ。
男は狂気に満ちた目を見開いて、手にもったナイフを振り下ろす。
Call//Liberal Arts//Logic
光の盾が展開され、男のナイフは粒子状に砕ける。
な――!なんだお前!
男は叫びながらもう一度ナイフを生成して襲い掛かってくる。
私は再び頭の中でコールする。
リピートよろしく、また同じようにナイフが砕けた。
こ、このあばずれ……。
男はMEが還元されることを理解したのか、今度は素手で殴るために拳をかざした。
あくまでも《自由七科》はMEの還元の研究であって、それ以外の防衛機能は持っていない。
先ほど現れた光の盾とて、あくまで形状が盾に近いものであって、例えば拳を防ぐような機能はない。
と、そのとき警笛が鳴り響く。
お、おい!
そこで何をしている!
中年の警官が私たちを発見したのだった。
チッ。サツかよ……。
男は舌打ちをして警察官が来たのと逆の方向へと走り出した。
おい!待ちなさい!
警察官はそう叫んでから、無線で連絡を取っているようだった。
私は一気に緊張がほぐれ、へたりとその場に座り込んでしまう。
君、大丈夫かい?
警察官は無線で話し終わると私のもとに駆け寄る。
は、はい……だいじょ――
その時、記憶の蓋が決壊した。
「能美さん、紅原瞳はどうしますか?」
「そうダネ。《自由七科》の被験者は処分するというのがあちらの要望だからネ」
「では、安楽死剤を投与しますか?」
「いや、待ちたまえヨ。ここで殺すと足がつく可能性があるダロ?一度開放してから、あとで処分することにするヨ」
「分かりました」
「それと、催眠手術で彼女のコードαについての記憶を消しておいておきたまえヨ。嗅ぎまわられて、僕の計画を邪魔されても困るからネ」
「ではそのように手配します」
「彼女とあと二人を処分し、実験データとともにコードαをあちらに送れば、僕は不死身の生体兵器の開発者として富と名声を手に入れる、そしてME技術の進展を邪魔するあの蓼科の《自由七科》の頓挫させたことで国からの報酬も得られるからネ。まったくもう、こんなに愉快なことはないヨ」
手術台での記憶。
それだけでなく、私が出会った"少年"のことを私は思い出した。
おそらくではあるが、《ロジカ》の能力を使ったことがきっかけなのだろう。
何はともあれ。
会いに行かなくては。あの"少年"に。
きっと、《自由七科》の殺害は単なる"吸血鬼"による凶行というだけでは終わらない。
もっと奥に深い何かがある。
それがどんな真実かは分からないし、もしかしたら、もっと残酷なのかもしれないけれど。
きっとあの"少年"は傷ついているはずだ。
ボロボロになっているはずだ。
だから、会いに行く。
この辺りで研究所といったらあそこしかない。
私は心配する警察官が目を離したすきに駆け出す。
き、きみ!どこへ行く!?
警察官の言葉に振り返ることもなく、私は走り続ける。
向かう先は……
立花研究所。