7月12日。
寝坊した。
深夜までUKバンドを調べて、DLやらYoutubeをチェックしたりやらしていたのが、仇になったらしい。頭の中でぐるぐるドラムの音が響いている。
自転車に飛び乗って全力で漕ぎ、ぎりぎりで校門を通り過ぎる。自転車を置きに行こうとしたときに、ふと正門の隅で話し声が聞こえた気がして、俺は足を止めた。
俺の耳に間違えがなければ、ティンカーベルの声だ。
7月12日。
寝坊した。
深夜までUKバンドを調べて、DLやらYoutubeをチェックしたりやらしていたのが、仇になったらしい。頭の中でぐるぐるドラムの音が響いている。
自転車に飛び乗って全力で漕ぎ、ぎりぎりで校門を通り過ぎる。自転車を置きに行こうとしたときに、ふと正門の隅で話し声が聞こえた気がして、俺は足を止めた。
俺の耳に間違えがなければ、ティンカーベルの声だ。
ねえ、助けてよ、兄さん。ホントに限界なんだってば
……母さんには話しておくけど、こっちも限界なんだよ。無理だ
見殺しにするの!? 娘であり、妹なんだよ!?
そっちだって実の親に引き取られてるだろ
あんなの親じゃない!
激昂したティンカーベルの声。そして、しん、と静まり返る。
ぱたぱたと走る音が聞こえて、足音は遠くに消えた。
……なんだ? 今の……
複雑な家庭の事情が垣間見えたような気がする。ティンカーベルの自殺の原因は家の事情なのか?
俺が足を止めていると、すれ違った女子生徒たちがひそひそと話していた。
また葛城さん、相馬先輩にストーキングしてるんだ
あんなこと言われたって相馬先輩だって迷惑よね
ちょっ……
あれはストーキングじゃないだろ!?
どう考えたって何らかの事情があってのことだろ!?
どうして、ティンカーベルばかり悪い風に捉えるんだ!?
叫びたい気持ちをぐっと飲み込む。
ここで俺が怒っても、彼女が迷惑なだけだ。
無力さを感じながら、自転車を止めに行く。遅刻決定のチャイムが鳴り響いていた。
昼休み。
俺は友人たちに付き合いが悪くなった、などと言われながら、バスケ部の昼練を覗きに行った。
女子が群がっているから、どこがバスケ部の練習場かはよくわかった。
相馬先輩の最後の夏ということで、バスケ部自体にも気合が入っているように思える。
……相馬先輩は……
女子に紛れて探すのはかなり気がひけたが、そこをこらえて男の敵を探す。
すらりと背の高い男が、皆に指示を出しながらドリブルをしていた。
たぶん、あれだろう。確かに顔もいい。声は朝、ティンカーベルと話していた男と同じ声のように思える。
ティンカーベルは彼を兄さんと呼んでいた。
どういうことだ?
相馬先輩は2周目の今回から出てきたカードだ。俺の過去の3日では対処法はあみだされていない。
……家の事情となれば、迂闊に聞き出すこともできないしな……
俺が迷っているときだった。
近くで相馬先輩を見ていた女子生徒たちが声を潜めて話しだした。
そういえば、また今朝も葛城さん、相馬先輩に無理を迫ってたらしいよ
あの子、図々しいよね。義兄妹だかなんだかしらないけど、そんなに相馬先輩の受験の邪魔をしたいのかしら
……義兄妹?
俺が思わず、女子生徒たちを見ると、女子生徒たちは俺を胡乱な目で眺めて口をつぐんだ。
これなのか?
ティンカーベルが空を飛ばなければいけなかった理由は?
家庭の事情。
それは、俺が首を突っ込める範囲から外れている。
とは言え、ここで諦めるわけにはいかない。
誰か詳しく知ってるやつは……
俺は記憶を巡らせた。
俺に噂を教えてくれた友人を思い出す。
あいつなら、知ってるかもしれない。
俺は残りの昼休みをそいつに賭けることにした。
葛城の家庭の事情? 有名じゃん
そいつはあっさりと俺に言った。
……え?
お前、知らずに葛城に惚れたの? だったら聞かないほうがいいんじゃないか?
惚れてない。なりゆきだ
憮然として言い放つと、そいつははいはいと肩をすくめた。
ま、葛城の父親と相馬先輩の母親が子連れで結婚したらしいんだわ。だけど、葛城の父親の素行の悪さに一年経たずに離婚
……はあ
葛城の父親はさらに荒れて、仕事もしなくなり、葛城に風俗で働かせてるって噂
……
で、それが嫌な葛城は、相馬先輩にストーキングして、自分を相馬家に入れてくれって一点張り。迷惑な親子だよなあ
それって、迷惑って話じゃないだろ。児童相談所とか……
高校生になったら、働けますよ、菊池くん
そいつはくだらなさそうに肩をすくめた。
本当に嫌なら、高校なんか来ないで働けばいいんじゃね?
父親のせいで、葛城の人生、台無しになってもか?
俺に怒るなよ。だから、葛城はやめとけって言っただろ?
こんな噂の中、ティンカーベルは毎日登校してるのか。
高校に行きたいなんて、普通の夢じゃないのか?
家がうるさいと苦笑いをしたティンカーベル。
帰るまで屋上で時間を潰すと笑った彼女。
まわりの声を馬鹿馬鹿しいと言っていた彼女。
……俺に、何ができる?
無力だ。
俺たち高校生は、ガキではないのに、大人にはあまりにも無力で。
唇を噛みしめる。
助けたい。でも……どうすればいいんだ?
昼休みが終わるチャイムが鳴る。
俺は固く手を握りしめたまま、その場から動けずにいた。
放課後。
俺は重い足取りで屋上へ向かった。
ティンカーベルは、夏の風に吹かれて、イヤフォンから流れる音楽を聞いていた。
葛城
そっと声をかけると、彼女はどこか呆れたように俺を見た。
菊池センパイ。今日も来たんだ
音楽の話ができる奴は貴重だからな
無理やり笑ってみせると、ティンカーベルもどこか無理した笑みを浮かべた。
昨日、教えてもらった曲、気に入って、いろいろ調べたんだ
へえ。気に入った曲あった?
そんな他愛もない話をする。一定の距離を保って続ける。
これじゃあ、仲良くはなれても、それ以上にはなれない。
どうしたらいい? どうしたら、彼女が死ぬのを止められる?
……あのさ、センパイ
ふと、ティンカーベルが声を落とした。
あたしじゃなくて、もっとほかの人探しなよ。軽音部とか行けば、きっと話の合う人、いっぱいいるよ
……葛城?
高校、辞めるかもしれないんだ、あたし。だから、さ
ティンカーベルは泣きそうな顔で、俺をまっすぐに見た。
菊池センパイは、いい人だから。きっと話の合う人、みつかるよ
葛城……
笑うティンカーベルは、どこか透明になって消えてしまいそうな儚さで。
俺は胸を締め付けられる。
同時に自覚する。
この気持ちを恋と言うのだと。
俺は片思いをしているのだと。
ティンカーベルは小さく頭を下げると小走りで、屋上を出ていこうとする。
あ、あのさ!
俺は慌てて、彼女の背に声をかけた。
けれども、ティンカーベルは振り返らない。
あのさ、……死ぬなよ
それでも俺は言葉を絞り出した。
彼女はそこで不思議そうに振り返った。
じっと俺を見てから、微笑む。
前回の3日とは違って、どこか泣きそうな笑みで。
……ありがと
その笑みに、俺は知る。
もう、この時点で、ティンカーベルは死も選択肢に入れているということを。