昼休みの残り時間で、ティンカーベルの住所と、噂で聞いた相馬先輩とやらを調べてみた。友人曰く、相馬先輩とやらは有名人らしいが、俺はまったく知らない。

 相馬智彦。バスケ部のキャプテンをしていて、夏で引退が決まっているという。成績優秀、眉目秀麗、性格温和。……男の敵だ。

 そんな人物だから当然、女子からの人気も高いのだが、それを鼻にかけないのがまたいいらしい。ちなみに彼女ももういるとか。なんというリア充。

雄哉

……くそ


 ティンカーベルもそんな奴のことが好きなのかと思うと、なんとなく面白くない。
 胸の奥がもやもやして何かを蹴飛ばしたい気分だ。
 ただ、ストーカーという噂が気になる。本人に直接聞くわけにもいかないし、俺は放課後の彼女との会話をどうするか、そればかり考えていた。

 放課後、とりつけた約束を無駄にしないためにも、俺は早めに屋上へと向かった。

 ティンカーベルは屋上の手すりに凭れ、イヤフォンを耳にはめている。

雄哉

……あの


 控えめに声をかけると、彼女は、どこか迷惑そうな目を俺に向けた。

ティンカーベル

来たんだ。……はい、これ、曲名のメモ


 ポケットから手書きのメモを差し出してくれる。俺は小さく頭を下げて、そのメモを受け取った。綺麗な字で、曲のタイトルと歌ってるグループ名が書いてある。このグループなら俺も知っていた。

雄哉

UKロック、好きなのか?


 何気なく問うと、ティンカーベルは少し驚いたように俺を見て、それから嬉しそうに笑った。

ティンカーベル

おにーさんも?

雄哉

そこまで詳しくはないけど。このグループなら知ってる。ロンドン五輪の公式ソングを手がけたグループだったような

ティンカーベル

そうそうそう! うわ、音楽の話できる人、珍しいー!


 ティンカーベルは満面の笑みを浮かべた。歳相応の嬉しそうな表情を見ると、なんとなく俺まで嬉しくなる。

ティンカーベル

その曲もいいから、聞いてみて。DL販売とかされてるし

雄哉

へえ、じゃあ、今、買ってみる


 スマホを立ち上げてさくっと検索する。ティンカーベルも興味ありそうに俺のスマホを覗いてきた。

ティンカーベル

他にはどんな曲、聞いてるの?

雄哉

UKロックならU2とかビートルズ

ティンカーベル

いいねえ、原点がわかってるじゃん


 嬉しそうにしゃべる彼女には暗いという印象も友達がいないという印象もない。
 ゲームやチャットアプリより、音楽を優先してるだけのような印象を受けた。

雄哉

いつも、ここで音楽聞いてるの?

ティンカーベル

うん。……帰るまで時間潰してるの


 ティンカーベルは柵に背を預け、床に座り込んだ。
 少し離れた横に俺も座る。初夏の日差しがさんさんと降り注いでくる。

雄哉

暑くない?

ティンカーベル

暑いけど、ここしかいる場所ないし


 俺と彼女は空を見上げた。眩しいぐらいの空だ。もうすぐ夏休みが始まる。
 けれども、その夏休みが始まる前に彼女は死を選ぶ。
 その理由は、未だわからない。

ティンカーベル

おにーさん

雄哉

……菊池雄哉

ティンカーベル

菊池センパイは普通の人と違うね

雄哉

ん?


 俺がティンカーベルを見ると彼女は少し嬉しそうに空を見上げていた。

ティンカーベル

あたしに話しかけてくる人ってさ、変な噂が本当かどうかって聞くばっかりで。ホント馬鹿馬鹿しい

雄哉

……


 俺は黙りこんだ。
 噂が本当かどうか、聞きたい気持ちはある。
 けれどもそれが失礼かどうか、そのくらい、普通の分別があれば推察できるはずだ。

雄哉

失礼な奴はとことん失礼だからな

ティンカーベル

朝の菊池センパイも相当失礼だったけどね

雄哉

……それは謝る


 強引なことをした自覚はあったので素直に頭を下げると、彼女はけらけらと笑った。

ティンカーベル

いいよ、おかげで音楽を語る人ができたし

雄哉

ずっと音楽聞いてるの?

ティンカーベル

うん。ゲームとか面倒だし、チャットアプリはうざいから入れてない

雄哉

あー、気持ちはわかる


 でも、それをしないから変な噂も立つんだろう。
 ただ、ティンカーベルはそんな自分のあり方を変えようとは考えていない雰囲気だ。それは俺にとって好ましく思えた。

 いつの間にか曲のDLも終わり、俺のスマホにティンカーベルと同じ曲のタイトルが表示される。流れる曲を止めて、俺は彼女をちらりと見た。

 他人の距離であることは変わりない。
 どうしたら、彼女を止められる?

雄哉

明日も、いる?


 俺が尋ねると、彼女は不思議そうな顔をした。

ティンカーベル

なんで?

雄哉

え?

ティンカーベル

なんで、あたしに関わろうとするの?

雄哉

それは……


 言っていいのか悪いのか。
 一度目の3日のときは2日目の12日に言った記憶がある。
 それなら、今日、11日に告げれば、もっと何か手を打てるのではないか。

雄哉

……どこか死にたそうな顔、してるから


 勇気を出して告げた声は、かすれそうな小さな声だった。
 ティンカーベルは目を見開いて俺を見る。笑い飛ばされるかと思ったけれど、笑うこともしない。ただ、空を見上げて足を投げ出した。

ティンカーベル

できたら楽だろうなーって思うことはよくあるよ

雄哉

……死ぬなよ


 咄嗟に言うと、彼女は乾いた笑いを浮かべた。

ティンカーベル

ホントに面白いね、菊池センパイって。他人のあたしがどーなったって関係ないじゃん

雄哉

……音楽の話ができるやつがいなくなるだろ


 口ごもりつつ適当な言い訳を告げると、ティンカーベルはまた笑った。

ティンカーベル

あはは、あたしの噂とか気にならないの?

雄哉

気にならないといえば嘘だけど


 俺はスマホを握りしめた。汗で画面が曇る。

雄哉

そんなこと、話してる分には関係ないじゃないか


 ティンカーベルは瞬きをした。初めて聞いた言葉を咀嚼しているようにも見えた。
 屋上の床から立ち上がるとスカートの埃を払う。

ティンカーベル

あたしの名前は葛城ゆきね


 ティンカーベルはそう、歌うように言うと、イヤフォンをつまみ上げた。

ティンカーベル

また明日の放課後なら屋上にいるよ


 そしてイヤフォンを耳に入れると、軽い足取りで屋上を去っていく。

雄哉

葛城、また明日


 俺がおもわず言うと、彼女は振り返らず、手だけひらひらと振った。
 屋上の扉を音もなく開け、閉める。

 彼女がいなくなった屋上で、彼女の教えてくれた曲を聞く。
 今晩やることは、とりあえず、UKバンドを調べて、曲を聞いて、片っ端からDLすることだろう。話のきっかけは多いほうがいい。

 俺もイヤフォンを耳に入れてぼんやりと屋上から校庭を眺める。
 しばらくぼーっとしていると、ティンカーベルが小走りにグラウンドを横切っていくのが見えた。
 それが相馬先輩のいるバスケ部の体育館の方向だったのが、俺には少しだけ気がかりだった。

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