ノルン

……まったく、もう


 少し怒った声が聞こえた。
 崩れ落ちた俺の横にノルンが立っていた。

ノルン

あたし、ちゃんと言ったよね? 容易くなんかない。それでもあたしは、キミに賭けたって


 俺は頷いた。確かにノルンはそう言った。

ノルン

3日を3回繰り返すだけの力しか、あたしにはない。そのうち1回をこんな風に無駄にして。あと2回で助けられるの?

雄哉

……助けてみせる


 口から出た言葉は意外にも強い意思がこもっていた。
 二度も同じ人間が目の前で死ぬのは、俺だってダメージが大きすぎる。

ノルン

あたしはキミを信じていいの?


 そう言われると信じろ、とは言い切れない。
 でも、もうこんな絶望は味わいたくない。

雄哉

……全力で頑張る


 それが、今の俺に言えるすべてだった。
 ノルンはしばらく俺をじっと見たあと、苦笑いのような表情を浮かべた。

ノルン

わかった。あたしは何もできないけど……応援してる。また時間を戻すけど、その前にしておくことはある?


 俺は首を横に振った。今は一刻も早くこの場を離れ、次の3日に備えたい。
 ノルンは了解したように頷くと、指をパチンと鳴らした。
 やけに大きく響くその音で、俺は2回目の3日前に戻っていく――

 7月10日、15時37分。日曜日。

 ベッドの上にいた俺は跳ね起きた。
 今度は夢なんかじゃない。スマホの時刻表示が妙に現実味を帯びて目に飛び込んできた。

 3日間を無駄にしないためにも、今日から行動するべきだ。
 俺はベッドから起き上がると、スマホに前回の3日間で得た知識を入力した。
 名前、学年、聞いていた曲。
 2日目の昼も屋上に来ていたこと。そのときは「死ぬなよ」という言葉に「ありがとう」と答えていたこと。

雄哉

……ありがとうってことは、そのときにはもう自殺がちらついていたのか?


 自殺は突発的かもしれないけれども、原因の根は深そうだ。
 3日目の放課後は授業をさぼって屋上で泣いていた様子が伺えた。とすると、その泣いた原因で絶望したと考えるのが妥当だろう。

 死にたいと思うのはどのくらいの覚悟がいるのだろう。
 そんな相手に再び生きたいと思わせるには何が必要なんだろう。

 あまりにも哲学的だ。
 俺はスマホを睨んだまま、ベッドに再び寝転んだ。

 原因を調べる必要がある。その原因を取り除き、彼女を安心させなくてはならない。
 けれども赤の他人の俺はどうやってその原因を探ればいい?

雄哉

本当に容易くないよな


 俺はスマホを握りしめて大きなため息をついた。

 7月11日。

 俺はいつもより一時間早く家を出て、学校へ向かった。
 いつも通学に使っている自転車を置いて、スマホをいじりながら校門でティンカーベルが来るのを待つ。
 もうグラウンドでは運動系の部活の奴らが朝練をしていたが、彼女が運動部に入っている印象はどうしても持てなかった。
 賭けではあるが、こうして通学してくる生徒を見てれば彼女を見つけられる可能性も高いと思ったのだ。

 友人に奇異な目で見られれば、適当な言い訳でその場を繕う。そんなことを数回繰り返した頃、見覚えのある姿が目に入った。
 ティンカーベルだ。
 白いイヤフォンを耳に入れ、どこかつまらなさそうに校門をくぐる。

ティンカーベル

……


 すれ違う。目も合わない。
 なんと言って声をかけようか。口の中が乾く。手のひらが汗でにじむ。

 そのとき、ティンカーベルの鞄からスマホの着信音が響いた。
 彼女は音楽を聞いているせいか、気づかない。
 着信音は何回か響く。これはチャンスかもしれない。
 俺はさりげなくティンカーベルのそばに向かうと彼女の後ろから声をかけた。

雄哉

……あの


 ティンカーベルは不審そうに振り返った。そのときになって彼女も着信音に気づいたようだった。少し慌てたような顔を作る。

雄哉

……鳴ってたから、声かけただけだから

ティンカーベル

ごめん、ありがと


 ティンカーベルはイヤフォンを片耳だけ外すと、スマホを急いで取り出した。画面を見たときにちょうど着信音が鳴り止む。
 こんなに長い着信音は電話だろう。今時珍しい。
 俺が思わずじっと見ていたからだろうか、彼女はまた不審そうな表情で俺を見た。

雄哉

電話なんて珍しいね


 思ったままを伝えると、ティンカーベルは愛想笑いを浮かべた。

ティンカーベル

親がうるさくて。教えてくれてありがとね

雄哉

いや、別に


 そこで彼女は再びイヤフォンを耳に入れる。
 話が終わりになってしまう。なんとか、彼女との関係を作っておかないと。

雄哉

あのさ!


 イヤフォンをつけた彼女にも聞こえるように、大きな声で言う。
 彼女は面倒そうに俺を見た。うざい、とその顔が言っているが気にしている余裕はない。

雄哉

昼休み、ちょっと話せないかな

ティンカーベル

宗教などの勧誘はお断りしています


 ティンカーベルはそれだけ言うと、俺に背を向けて早足で歩いていく。
 俺は慌てて彼女を追いかけた。

雄哉

違うんだ、その……今、キミが聞いている曲を知りたくて

ティンカーベル

スマホで調べたら?

雄哉

調べられないから聞いてるんだ。えっと……


 もう話が続けられない。俺が諦めかけたときだった。

ティンカーベル

……放課後なら屋上にいるよ


 根負けしたようにティンカーベルが言った。そのまますたすたと歩いていってしまう。
 俺はちょっと呆然として足を止めた。彼女の背が遠ざかる。
 これはきっと、大きな一歩に違いない。
 俺は周囲の目も気にせずに、小さくガッツポーズを作った。

 昼休み。
 仲間の誘いを断って、俺はティンカーベルの住所を調べに図書館に行こうとした。

友人

お前さ、葛城に気があるの?


 仲間の一人が呆れたように俺に声をかける。
 葛城ゆきね。それがティンカーベルの名前だった。

雄哉

別に気があるわけじゃないけど

友人

あいつは辞めておいたほうがいいぜ。噂、知らないのか?

雄哉

噂?


 俺が瞬きをすると、そいつはため息をついた。

友人

3年の相馬先輩をストーキングしてるとかさ、家が貧乏だから親公認で風俗でバイトしてるとか

雄哉

……は?

友人

友達もいないみたいだぜ。なんか雰囲気が暗いじゃん


 俺は黙りこんだ。
 ストーキング? バイト? 寂しげな横顔からはイメージできない言葉ばかりだ。

雄哉

……確かに、雰囲気は暗いけど

友人

まあ、お前も暗いほうだから、いいのか


 笑い飛ばす仲間を軽く殴ってから俺は教室を出た。
 ……調べてみる必要はありそうだ。ふと朝の親がうるさくて、という言葉が脳裏をよぎった。

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