空魚   

映画だったか漫画だったかドラマだったかわからないけど、額と額をコツンってするやつあるじゃん?女の好きそうなやつ。アレをやろうとしたんだよね。それが良くなかったんだけど。


角度か距離かタイミングか、何かが悪くて結果的に強めの頭突きなったそれはホテルを一緒に出たデリヘル嬢にクリーンヒットした。俺の頭も相当痛かったので嬢も相当痛かったんだと思う。


数分後、電話で店の人から大変に丁寧な説教をされ今後のサービス利用禁止を言い渡された調度その時、

ずどん。

雪枝ちゃんが空から降りてきた。


今日はここ数日間の中でも涼しい日だったので軽くご機嫌な様子だ。僕は目の前にあった自動販売機から炭酸の入っていないジュースを選んで雪枝ちゃんに飲ませる。

説明が必要だと思うので説明をする。



雪枝ちゃんは高校時代の元クラスメイトだ。寡黙で、気が弱くて、あまり目立たない女の子だ。うん。女の子なんだよ。少なくとも俺はそう思う。思いたい。他の誰が何と言おうと雪枝ちゃんは女の子だ。それでいいじゃないか。


雪枝ちゃんには同性の友達が居なかった。異性の友達も俺だけだった。友達でいいよな…?うん。いいと思う。ゲームとか漫画の貸し借りだってしてたし、その感想だって言い合った。立派な友達じゃないか。同志と言っても過言じゃないかもしれない。


そんな同志である雪枝ちゃんは二年二学期の途中から学校に来なくなった。登校拒否というやつだ。女子同士でイジメでもあったのか、そもそも学校が好きじゃなかったのか、雪枝ちゃんが来なくなってから数日間、クラスメイトは噂話で盛り上がった。数日間だけ。


心配?というか気にはなっていた。正直心配だったという自信がない。心配ってなんなんだろう?別に雪枝ちゃんが学校に来ないという選択をした事に不満は無いし、来たくないなら来ないのが正解だと思う。ただ俺は雪枝ちゃんと話したかったし顔が見たかった。うん。ただの我侭だ。俺の。


その我侭を都合良くスムーズに通す『ゲーム貸しっぱなし』という口実もあり、数日後、雪枝ちゃんの家に行ってみる事にした。もう数日早めに行ってたら良かったと思うし、数日早めに行った所で何だよとも思う。思ってばかりで頭は今もまとまらない。



「心配して来てくれたの…?」

雪枝ちゃんのお母さんと会うのはこれで三回目だ。多分、俺の事を彼氏だと思っているんだろう。実際、俺は雪枝ちゃんを好きだったと思うし、雪枝ちゃんも俺の事が好きだったんじゃないかな?どうだろう?多分、両思いだったと思うしさぁ、もう彼氏でいいんじゃないかなぁ、いいですよね。いいですね。


雪枝ちゃんのお母さんはひどく疲れた顔をしていた。そりゃあ娘が登校拒否になったんですもの。疲れもするでしょう。でも大丈夫です。俺です。俺が来ましたとも。彼氏と呼んでもいいくらいの男、俺が来たんですよ。ゲーム返してもらうって口実を武器に、来たんですよ俺が。




俺が来て何がどうなる訳でもない。




だって雪枝ちゃん怪物になってた。ここまで読んでくれた人、見たでしょ上のアレ。アレになってた。魚みたいなの。ふよふよ浮いてるの。んでもって大きいの。雪枝ちゃん大きいの。牛くらいあるの。知ってる?牛ってすごくでかい。


牛のでかさがピンと来ない人は牧場にいってみたらいい。牧場は良いよ。のんびりした時間がすごく贅沢に感じられる。運がよければ羊とか触れる。そして牛がでかい。あと臭い。



牧場の話は必要ない。



とにかく雪枝ちゃんは姿を変えた。雪枝ちゃんのお母さんが言うには二日前までは日本語で会話ができたらしいが目の前の雪枝ちゃんは喉の奥から「ギギィギィ」と金属で金属を擦ったような音を出す。鳥肌が立つタイプの音だ。もはや会話が出来ない。


ゲーム返してもらうとか、会話がしたいとか、学校になんで来ないかとか、その辺の考えが一切吹っ飛んだ。いや、学校に来ないのはそりゃ姿がこうなったからだろうけど、とりあえず今目の前にある現実を受け止めるか受け止めないかという二択しかなかった。受け止めますか?どうしましょう?本当にどうしましょう?








それから三年、現在の雪枝ちゃんは毎日空を飛びまわっている。






雪枝ちゃんは『空魚』と呼ばれ案外あっさりと世の中に受け入れられた。と、いうのも現在約57000体もの空魚が空を悠々と飛び回っているからである。



人間が空魚に変化する原因は未だ明らかにされていない。もしかしたら明日、自分や自分の肉親、ごく親しい人が空魚に変化するかもしれない。そういった人間の考えからか、空魚は大変丁寧に扱われている。空魚専用車両だってある。電車に乗る必要なんて無いのに。



雪枝ちゃんがジュースを飲み終えた。俺の方を見て指を一本立てている。おかわり。おかわりですね。了解です。買いますとも。炭酸の入っていないジュースを。



仲は良かったつもりだったが雪枝ちゃんが炭酸が苦手なのを知ったのは雪枝ちゃんが空魚になってからだ。最初、コーラを飲んで苦しんだ雪枝ちゃんを見た時、「あぁ、彼氏みたいな存在とか思い上がってたのにそんな小さな事すら知らなかったんだな、俺。」って反省したっけか。この反省はしたままの方が美しいし下手な事は考えないほうが良い。








しかし人は考えてしまうと止まらない。








人間だった頃の雪枝ちゃんは炭酸が苦手だったんだろうか?魂というものがあるとしたら目の前にいる雪枝ちゃんの魂は人間の頃の魂と同じだろうか?俺の事は俺だって解っているのだろうか?俺は目の前の雪枝ちゃんを本当はどう思っているのだろうか?雪枝ちゃんは雪枝ちゃんだし、姿形が違っても人間の時と変わらずに接したほうが正しいとか思い込んでるだけじゃないだろうか?正しいとは何だろうか?正しくある必要はあるのだろうか?俺は何がしたいのか?どう生きたいのか?深く考えるとひどく疲れて結局何もまとまらないのは何もまとめたくないから俺がそうしているだけじゃないのだろうか?俺もそのうちに空魚になるのだろうか?そうしたら本当がわかるのだろうか?本当って何だ?










雪枝ちゃんは飛んでいる。




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