7月11日、朝。
俺は頬杖をついて窓の外を見る。
梅雨明けはしていないのに、能天気なくらいいい天気だ。
デジャブのような、夢を見ているような日だ。
自転車通学をしている俺の景色はいつもと変わらず、まるで前に見た景色のようで。
授業中に聞く言葉もこれが二度目に聞くようで。
友人のお喋りさえ、繰り返し。
7月11日、朝。
俺は頬杖をついて窓の外を見る。
梅雨明けはしていないのに、能天気なくらいいい天気だ。
デジャブのような、夢を見ているような日だ。
自転車通学をしている俺の景色はいつもと変わらず、まるで前に見た景色のようで。
授業中に聞く言葉もこれが二度目に聞くようで。
友人のお喋りさえ、繰り返し。
それ、前も言っただろ?
って言ったら、そいつは不思議そうな顔をして、俺のことを笑った。
夕食の献立を予想したら当たった。
夜、友人からチャットアプリで盛り上がるという勘も当たった。
まるで、同じ日を繰り返しているかのようで――
……まさかな
屋上から飛び降りるティンカーベル。
3回のチャンスをくれたノルンという少女。
信じるにはお伽話すぎた。
けれども、嘘や夢と鼻で笑うには、今日の一日はあまりにも同じことの繰り返しだった。
……
ベッドで寝返りをうつ。
明日は確かめないといけない。
これが鼻で笑っていいことなのか、どうか。
7月12日。
昼休み、俺はスマホゲームを誘われたが、断って屋上へとやってきていた。
夢のとおりなら、明日、此処で少女が飛び降りる。
屋上は暑いせいか、人影はなかった。
なんとなく安心して、俺は手すりに掴まって下を眺めた。
……高っ
本気で死のうと思わなければ、絶対飛び降りない高さだ。
ティンカーベルは何を思って、この床を蹴ったんだろう。
……それを止めるって、さ
ノルンの言うように容易いことじゃない。
他人の人生に口出しをするってことは、それ相応に相手を知ってないと無理だ。
俺はティンカーベルの名前すら知らない。
学年も、クラスも。どこに住んでるかも。
ぞっとした。
今更ながら、あの夢が本当ならば――
俺はなんて気安く請け負ったんだ……
明日までに、ティンカーベルの名前だけでも知りたい。
名簿が図書館にあるだろうか。
俺が、足早に屋上から図書館へ向かおうとしたときだった。
……♪
鼻歌を歌いながら、ティンカーベルが屋上へやってきた。
目が合う。けれども、すぐにそらされた。
彼女の耳から伸びるイヤフォン。微かに音楽が聞こえる。
彼女は俺を無視して通りすぎようとした。
俺は自分の手を握りしめる。汗が滲んでいた。
……あのさ
必死に出した声は上ずっていた。ティンカーベルが足を止めて、不審そうに俺を見る。
なにか?
名前。教えてもらえる?
……なんの?
明らかに不審そうな顔で問い返してくる彼女。
そりゃそうだろう、学内とは言え、いきなり名前を聞くなんてナンパ以外の何者でもない。
俺は必死に言葉を探した。不審者扱いはまずい。
しんと静まり返る屋上に微かに漏れるドラムのリズム。
その曲の、タイトル
ああ
ティンカーベルはほっとしたように笑った。
『Wings』
有名なUKロックバンドの曲名だった。それなら俺でも知ってる。
いい曲だよな
うん、そうだね
そこで話が途切れる。
ティンカーベルはちょっとだけ俺に頭を下げて、手すりのほうへと歩いていく。
あ、あのさ!
俺は慌てて、彼女の背に声をかけた。
けれどもイヤフォンに遮られたのか、彼女が無視したのか、ティンカーベルは振り返らない。
あのさ、……死ぬなよ
それでも俺は言葉を絞り出した。
彼女はそこでまた不思議そうに振り返った。
じっと俺を見てから、微笑む。
ありがと
笑顔が、何故か胸に刺さった。
あの笑顔が、明日消えるとしたら。
それは、絶対にあってはならないことじゃないのか。
でも、俺にはもう、何も言えなかった。
握りしめた手は汗でぐっしょりと濡れている。
彼女に背を向けて屋上を後にする。
何にしても明日だ。
俺は、彼女を止められるんだろうか。
放課後、図書館で名簿を漁った。
彼女、ティンカーベルの名前は葛城ゆきね、と言うことがわかった。
俺より一学年下。あいにく部活も委員会もやっていない俺には仲介してくれるような人物はいなかった。
……どう接触したものか
本気で悩んで、自分で少し呆れる。
あれは夢かもしれない。まだ悲観するには早い。
明日を待とう。
7月13日。
俺は放課後になるや否や、屋上へと駆けた。
先に俺がいれば、早々自殺もできないだろうと踏んだのだ。
けれども、もうそこにティンカーベルはいた。
おそらくは授業をサボったのだろう……イヤフォンから音楽を聞いている横顔はどこか泣いているようにも見えた。
俺に気づいて、目を擦り、微笑む。
昨日の、音楽の趣味のいいおにーさん
覚えててくれて嬉しいよ
俺が一歩、ティンカーベルに近づいたとき、彼女はひらりと柵を乗り越えた。
まるで、本当に飛べるかと信じているかのように。
……何をするんだ
空を、飛ぶのよ
これじゃあ、同じことの繰り返しだ。
何か言わなくては。どうにかして止めなくては。
ティンカーベル。死ぬなよ
咄嗟に出た言葉に、彼女は驚いたようだった。
軽く目を見開き、嬉しそうに笑った。
空を飛ぶからティンカーベルか。随分詩的なのね。でも――
死ぬなよ
おにーさんに、何がわかるの?
胸に突き刺さる一言だった。
そうだ、俺は彼女のことを何も知らない。
ただ、わかるのは。
キミが死んだら、俺は悲しい
ティンカーベルは目を伏せた。軽く首を振って、髪を払う。
それはもう、決断したかのような、仕草。
ありがとう。――じゃあね
まるでまた明日会う友達のようにティンカーベルは空を飛んだ。
とん、と屋上の床を蹴り、青の中に身を投げ出す。
馬鹿、やめろ――!
伸ばした手は届かない。叫んだ声も届かない。
俺の目の前で彼女の姿は掻き消えた。
ああ……!
俺は膝から崩れ落ちる。
助けられなかった。
助けられなかった助けられなかった。助けられたかもしれないのに、助けられなかった。
俺は……
……まったく、もう
少し怒った声が聞こえた。
崩れ落ちた俺の横にノルンが立っていた。